「ある殺人、落葉のころに」ネタバレレビュー・あらすじ:わかりやすさを拒否することの意味

三澤拓哉監督ってどんな人かとウィキペディアを見ていましたら1987年生まれとあり、ん? そういえば2、3日前に見た「14歳の栞」のプロデューサーや監督も同年代だったなあと、まったく関係はないのですが妙に気になったわけです。

理由は、かたや時代の先端をいく(目指す?)映像クリエイターたち、かたや時代に反旗を翻す(かのような)映画制作者たち、そんなふうに見えた映画です。

 

ある殺人、落葉のころに

ある殺人、落葉のころに / 監督:三澤拓哉

 

 

わかりやすさを拒否すること

上映館の解説にあった「幼なじみの4人」やタイトルの「殺人」といった言葉しか頭になく見に行きましたので前半は疲れました(笑)。

 

やろうとしていることはよくある地方都市の濃密な人間関係なんだろうなあとなんとなく前半で分かってくるのですが、肝心の4人がなかなかそれぞれの人物像として固まってきません。

 

なにせ映画は極めて不親切で見たいところを見せなく(意図的に)撮られていますし、意味不明に風景写真のようなカットが頻繁に挿入されたりします。台詞も少なく4人の会話もほとんどなく人間関係が掴みきれません。台詞も画の中の人物が話している言葉でなかったり、誰が喋っているのかわからなくしてあります。編集もわざと時間の流れをわかりにくくしてあります。

 

冒頭の「私は覚えている(だったかな?)」とノートに書く人物がいったい誰で何を覚えているのか、書いている人物は男(後半でしかわからない)なのになぜそれを読むのが女なのか最後までよくわかりません。まあ一般的な手法と考えれば、これから語ること(描くこと)はすでに起きたことだよということくらいで、なぜ女が読んでいるのかはわかりません。

 

なぜそんなわかりにくいことをするのか?

 

まさか意図せずやっているということはないのでしょうから、考えられることは、わかりにくくしたかったからでしょう、って、それじゃ身も蓋もありませんのであえて言えば、ミステリアスな映画にしたかった、物語を語ることに意味を見いだせなかった、そんなところでしょうか。

 

で、あとはそれを見る我々に委ねられているということになり、もし後者のわかりやすい物語を語ることに意味を見いだせないと考えた結果であるとするならば極めて評価の高い映画だということです。

 

ネタバレあらすじとちょいツッコミ

以下、公式サイトのストーリーと私が見てこういうことかなと思うことですので断片的ですし間違っているかもしれません。

 

俊、知樹、和也、英太の4人は子どもの頃からつるんでいます。高校時代は4人ともバスケットをやっており、監督(顧問?教師?)は和也の叔父です。

 

体育館での練習風景が入っており、指導する和也の叔父も登場しますが台詞はありません。実際に現在の(映画内の)4人が画の中にいたかどうかわかりません。エンドロールに協力として学校名が入っていましたのでその映像だったんでしょう。

 

この体育館風景の映像と他のシーンの画が異質です。

 

和也の家は土建業をやっており、和也本人は跡継ぎということなんでしょうが、他の3人も高校卒業後にそこで働くようになっています。和也の叔父であるバスケット部の監督のすすめだったとどこかに台詞が入っていました。

 

映像としてはどの程度の土建業なのかはわかりません。ワンシーン、ショベルカーで土砂を扱うシーンが入っていましたが画としてもかなり手抜きです。他に個人から何かを請け負うシーンがありますがこれも何やっているのかわかりません。和也の父親が仕事をしているシーンもありませんし、他の従業員がいるかどうかもわかりません。

 

そもそも4人とも土建業の服装をしていません。ですので4人がまともに仕事をしているようには見えないということで、そういう人物たちの物語だということです。

 

このシーンもそうです。4人(だったかどうかは?)がある人物の後をつけ地下道に入り何やらやっています。画が引きになりますのではっきりしませんが、後からお金を分けたりしますのでカツアゲをしたということです。

 

結局、こういう描き方をしますと、4人の人物設定が地方都市の閉塞感のある社会で生きる若者たちというかなりありきたりなことになってしまいます。もしそのつもりならそれでもいいのですが、それですとあえてわかりにくくしていることが無駄なあがきに見えてしまいます。

 

カツアゲのターゲットとなっている人物が誰かもよくわからないのですが、ラストに同じシーンがあり、トレーラーを見てみましたらロー・ジャンイップさんとなっています。ググってみますと、2018年の大阪アジアン映画祭でグランプリを受賞した「中英街一号」の俳優さんです。

 

4人は土建屋の倉庫でたむろしており、和也は他の3人に対して、たとえばそのひとりに「オレの前で携帯にさわるな」とか、英太が恋人を連れてきても「女は入れるな」とか命令口調ですので一定の上下関係が生まれているようです。

 

和也の叔父が亡くなります。画としては、叔父が庭のようなところに顔に何かが被せられて倒れており、その前のどこかで草刈機を回す画が入っていたことからすれば、何かの拍子にその上に倒れて顔が潰れたということでしょう。殺人を匂わせたかったのかもしれません。

 

叔父には千里という妻がいることがわかります。誰も知らなかったということが誰かの台詞で入っていました。

 

ストーリーによれば「恩師の未亡人・千里に惹かれていく俊」とあり、確かにそのふたりが歩いていく後ろ姿を友樹が見るというシーンがありましたし、ふたりが林の中で抱き合うシーンがありました。

 

続いて「俊に密かな想いを寄せていたことに気がつく知樹」とあり、これは地下道のワンシーンでなんとなくわかりました。はっきりした記憶はありませんがそれらしき台詞がかぶっていたのかもしれません。

 

和也と友樹(だったかな?)が夜中に何か(産廃?)を不法投棄しにいきます。倉庫に戻ったものの和也が鍵がないと言い、ふたたび廃棄した場所に戻ります。途中、何かにぶつかったらしく停車します。ふたりは車から降りて下を覗いていますがそのまま立ち去ってしまいます。ここも引きの画でよくわからなくしてひき逃げを匂わせようとしているのでしょう。

 

和也の祖母が行方不明になります。和也の母との間になにかあるようなシーンがあったようななかったような、それに人間の足だけ見えたカットがこの後どこかに入っていました。不法投棄したゴミの中? これも何かが起きているということを匂わせているのですが、ただ祖母はすぐに海岸で死体となって見つかります。

 

倉庫で4人が飲んでいます。英太の恋人沙希がやってきます。和也が入っていいと許可します。

 

このあたり、かなり後半にはいっており、もうおおよそやろうとしていること、つまりこの映画は物語を語っているのだけれどもそれを意図的にわかりにくくしているだけだということが分かってきますので、逆に言えば、この沙希の行動はあざとく見えてきます。沙希がここへ来る理由などなく、物語を語るために沙希に越させているということです。

 

和也と沙希だけになった時、和也が紗希を襲います。沙希は逃げます。英太は沙希のやめて!の声も聞き逃げていく姿も見ているのですが、倉庫に戻ります。

この沙希の件は映画として結構大きく扱われており、シーンとしては、英太が沙希のもとに戻るシーン、英太が和也に問いただすシーン、知樹(違うかも?)が沙希のもとを訪れて事を大きくするとお前も英太もここじゃ生きていけなくなるぞと脅すシーン、和也の母親が沙希を待ち伏せて車の中で話すシーン、沙希が英太に封筒に入ったお金を見せるシーン、こんな感じです。

 

俊が花卉農家で働いています。スーツ姿の和也がボーリング場の知樹と英太にお金を渡して去っていきます。

 

多分、時が経っているのでしょう。和也が土建業の跡を継ぎ、金回りがよくなっているということなのかもしれません。

 

あれ? おかしいなあ、ラストシーンがまた地下道でのカツアゲのシーンなんですが、そうするとあれは過去のシーンなのかな? それにこのカツアゲのターゲットとなっている人物が誰だかわからないのはどういうことなんでしょう?

 

とにかく、和也がその男を脅しているシーンがあり、その前に空壜がころころと町中を転がり落ちていき最後にその地下道で止まるシーンがあり、男が空壜を握るところで終わっています。

 

和也を殴り倒した(殺した)とは映画は語っていません。

 

再び、わかりやすさを拒否すること

こうやって思い返してみますと、この映画、かなりありきたりの物語を語っていることが見えてきます。

 

おそらくそれをミステリアスに見せるために意図的にわかりにくくしているのでしょう。

 

もしそうだとすれば、というよりも、あえてわかりにくくしているわけですのでどう取られようと覚悟の上だろうということで言えば、わかりにくいこと自体はいいとして、それが新しい物語を生み出すためのわかりにくさであれば大いに評価されるべきものと言えますが、物語を語っているにもかかわらずその物語をわかりにくくするためだけにそうしているのであればそれは邪道ということでしょう。ましてやその物語に新鮮さがなければなおさらです。

 

十年(字幕版)

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  • 発売日: 2018/12/04
  • メディア: Prime Video