「14歳の栞」カメラの前のリアリティ、中学2年6組35人の3学期

ある中学校の2年生ひとクラス35人の3学期を撮った映画です。

ただそれだけです。でも映画になっています。

 

14歳の栞

14歳の栞 / 監督:竹林亮

 

 

映像コンテンツとしての映画

中学2年は14歳、多感との形容詞が似合うこの年令の子どもたちをよくドキュメンタリーで撮ろうと考えたものだと思います。それもクラス全員のです。嫌だという子はいなかったんでしょうか? 学校からの指示(命令?)だとすればちょっと気にはなります。

 

ハフポストの記事によりますと、この企画は、映像コンテンツ会社チョコレイトの栗林和明さんがクリープハイプの「栞」のプロモーションの相談を受けたところから始まったそうで、その歌詞の一節「簡単なあらすじなんかにまとまってたまるか 途中から読んでも意味不明な2人の話」から「中学2年の3学期」のキーワードが浮かび、「クラス全員の日常を切り取ったドキュメンタリー映画を作りたい」とアイデアが広がったそうです。

 

この「栞」は映画のテーマ曲ともなっておりエンドロールで流れていました。

 


クリープハイプ -「栞」(OFFICIAL VIDEO)

 

監督は竹林亮さん、映画だけではなく映像コンテンツ全般いろいろ手掛けている方のようで、「ハロー!ブランニューワールド」という作品がYoutubeで見られます。

 

ただ、私にはちょっと無理です(ペコリ)。

 

編集と音楽

映画として成立させている要素は編集と音楽です。

 

使われている映像は、学校生活の授業、休み時間、給食、部活、登下校の日常風景、これらがほとんどを占めており、それに数人の家庭内の映像と子どもの頃のホームビデオ、そして35人のインタビュー映像です。

 

さすがコンテンツスタジオ&ディレクターの作品という感じで、それらの映像が見事に切り刻まれて再構成されています。それに音楽もうまくつけられています。

 

全員ではなかったと思いますが、35人を教室にひとりずつ座らせてインタビューを撮り、その映像、といっても人によって答えはワンフレーズであったり、ちょっと長めの人もいたりしますが、ひとりずつ名前のスーパーを入れて紹介し、その前後に関連した(ように見える)エピソード的な学校生活の映像を入れています。

 

インタビュー以外の映像にカメラ目線の画はありません。ハフポストのインタビューに竹林監督の言葉として

いつの頃からか『カメラを見ないであげよう』『今撮影してるから話しかけるのやめとこう』などの気遣いが感じられるようになって…。

とあるように、ある時から子どもたちは自分たちが被写体であることを意識し(あるいはあきらめ)広い意味での演技をするようになったのだと思います。

 

もちろんだからといってその画が嘘ということではありません。

 

カメラを向けられれば、誰でも自分が見られている、カメラの向こうから誰かが見ていると意識します。ドキュメンタリーの難しさはそこにあり、記録映画のように無機質なものを撮り、それに関連するインタビューで構成するようなものは、そこにいたる過程が難しくても撮影自体は簡単ですが、この映画のように非俳優である子どもたちの自然(に見える)な姿を撮ろうとしますとカメラを意識しない環境をつくることがまず必要になります。

 

それがこの映画の凄さだと思います。一人二人ならまだなんとかなるのでしょうが、35人というのは大変だったでしょう。その意味では35人全員を等しくと見せているのはある種のテクニックで、映像の中で中心となっているのは1/3くらいではないかと思います。 

 

見えてくるのはリアルな14歳か?

製作側がどの程度意識しているかはわかりませんが、タイトルに「14歳」が入りますと、どうしても二十数年前の神戸連続児童殺傷事件が頭に浮かんでしまいます。1997年でした。1995年10月から始まった「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジも14歳、14歳が時代を読み解くキーワードとなった時代があったのです。

 

それから二十数年、ということは、この映画の14歳の親たちはあの時代の14歳だった人たちかも知れないということです。

 

だからどうということもありませんが、当時を知るものとしてはどうしても意識してしまいます。この映画の製作者たちはどうなんでしょう? 「14歳」という言葉にそうした時代の持っていた意味合いを感じることがあるのでしょうか? 

 

栗林和明さんは1987年生まれ、竹林亮さんの年齢はわかりませんが、2008年に大学を卒業しているとのことですので栗林さんとほぼ同じくらいでしょう。10歳とすれば数年の違いですが、10代にとっての数年は大きいですので意識はないのかも知れません。

 

確かにこの映画にはそうした「14歳」への思い込みのようなものは感じられません。「14歳」への決めつけも感じられません。撮れたものへの率直な信頼感のようなもので構成されています。

 

だからといってそれがリアルであるとはかぎりません。すでに書きましたようにカメラが向けばひとは演技します。この映画の中でも頻繁に出てきますが、インタビューに学校と家とは違うと答える子どもがいます。ひとりでいる時、親といる時、友だちといる時、そして学校にいる時、みな違う顔を持っているのでしょう。

 

社会が人と人との関係で成り立つ以上、多かれ少なかれひとは演技して生きています。ましてやこの時代、生まれた時からカメラを突きつけられている14歳です。