そんなには褒めないよ。映画評

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「希望の灯り」(ネタバレ)巨大スーパーマーケットの通路に東西ドイツ統一後の人々の悲哀が満ちている

希望の灯り? 似たようなタイトルの映画、あったよなあ…。ああ、アキ・カウリスマキ監督の「街のあかり」「希望のかなた」だ。って、これはひょっとして配給の戦略(笑)?

まあ、原作が収録されている短編集のタイトルが『夜と灯りと』だからということもあるのでしょうが、タイトルだけではなく、台詞や編集の間合いにもカウリスマキ監督を思わせるところがあります。

ちなみに映画の原題は、原作と同じ『通路にて In den Gängen』です。こちらの方がしっくりくる映画です。

 

希望の灯り

希望の灯り / 監督:トーマス・ステューバー

 

画の構図は特徴的です。(印象として)八割方、パースペクティブな構図になっています。物語が巨大スーパーマーケットで働く人々の話ということもあり、通路を使って遠近感を強調したシーンがかなり多く、室内のシーンでもやや引いて壁などを利用して奥へ向かうラインを出したり、上の引用画像の夜の道路もそうですし、他の屋外のシーンでも遠くに走る車を置いたりしてかなり意識されているようです。

 

とにかく、画は整っていて美しいです。

 

音楽は、特徴的というほどではありませんが、オープン前のスーパーマーケットをフォークリストが行き交うシーンの「美しき青きドナウ」、夜勤のテーマソングのように流れる「G線上のアリア」はかなり印象的に使われていました。

 

全体の印象としてはとにかくストイックです。台詞も少なく、物語のひとつの軸となる恋愛にしても、思いは描かれても、行為としてはちょっと寄り添う程度でキス(するかと思ったけど)もありません。また、もうひとつの軸である人間関係にしても、大きな事件が起きますが、それさえ、皆、受け入れるしかないことと心の奥底にしまい込むように黙して語りません。

 

そうした人々の姿が印象に残る映画です。そして、確かにラストには、波が静かに打ち寄せるようにささやかな喜びを感じさせたりもします。ただ、それは「希望」というわけではありません。

 

商品が何段にも堆く積まれ、通路をフォークリフトが行き交う巨大スーパーマーケット。新人のクリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)は、飲料部門に配属されます。

 

このフランツ・ロゴフスキさん、数ヶ月前に「未来を乗り換えた男」を見たばかりの俳優さんです。印象的な俳優さんです。

 

クリスティアンは上半身にタトゥを入れています。採用時に制服を渡され、客が嫌がるから隠せと言われます。

クリスティアンが制服を着るシーンは、必ず首と手首のタトゥのアップがあり、それを隠すようにクリスティアンが袖を伸ばしたりするわけですが、かなり意図的に同じシーンが何回も繰り返されています。

これが、生きるということは毎日の繰り返しであることの暗喩なのか、あるいはタトゥを何らかの意味で強調しているのか、とにかく作為的に繰り返されており、何をしたかったんだろうと意図をはかりかねるシーンではありました。

 

飲料部門には責任者としてブルーノ(ペーター・クルト)がいます。日本的雇用関係の上司ではなく同一労働同一賃金的同じ労働者という感じです。とにかくすべてにストイックなつくりですので、仕事はごく普通に教えてはくれますが、過剰に個人の領域に入り込むような人間関係が描かれることはありません。したがってパワハラなんてものはありえないような環境です。

 

時代背景は、公式サイトを見てもはっきりしませんが、おそらく東西ドイツ統一後の数年から十年後くらいではないかと思います。ブルーノが、ここは東ドイツ時代にはトラック輸送の国営企業だったと、また、自分や同僚たちはそこのトラックドライバーだったと懐かしそうに語っていました。おそらく西ドイツ資本が進出してきたスーパーマーケットなのでしょう。

 

この映画には、こうした東ドイツ時代への郷愁が色濃く出ています。上にも書きました労働環境にしても、ここには競争などというものがありません。それぞれが決められた仕事をこなし、決められた時間に帰る、禁煙なんだけれどもトイレに隠れて吸う、休憩時間(かどうか怪しいけど)にはチェスをする、消費期限切れを食べてはいけないけれども皆隠れて(堂々と)食べている…。それがいいとも悪いとも言っているわけではありません。過去から未来へと続くパースペクティブな世界にあって、この一点にただ佇むのみということなのでしょう。 

 

重要な人物はもうひとり、菓子部門で働くマリオン(ザンドラ・ヒュラー)です。この俳優さんは「ありがとう、トニ・エルドマン」の娘役の方でした。

 

クリスティアンはマリオンの何に魅せられたか、出会いのシーンとしては華麗にフォークリフトを操る姿のシーンがありましたが、一目惚れ的に好意を持つようになります。クリスティアンは寡黙な人物でその気持ちを言葉にすることはありませんが、やはりそうした気持ちは伝わるもので、マリオンも少なからずよい印象も持っているようです。

 

クリスティアンは休憩室でマリオンと話(といってもほとんど話さないけれど)をすることを楽しみにしています。ある時、マリオンがクリスティアンのタトゥを見つけ、きれいねと腕に触れたりします。また、ある時には、あなた刑務所に入っていたでしょうと言い当てられ、若い頃に荒れていたことがあり、窃盗で服役していたと告白したりします。

 

それ以上の関係に進展することはないのですが、クリスティアンの気持ちはかなり強いように描かれています。ある時、マリオンに目をつむってと言い、おもむろにプチケーキを取り出し、一本のろうそくを立て、火をつけます。マリオンの誕生日です。マリオンは目を開け、ふっと息を吹きかけます。クリスティアンは仕事道具のカッターナイフでケーキを切り分け二人で食べます。ケーキは廃棄されるものだったと思います。

こうしたことに全く違和感のない映画ということです。

 

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このシーン、ケーキをカットするアップ以外はこの構図のまま進行していたと思います。

 

クリスティアンは、同僚からマリオンには夫がいると聞かされます。また、ブルーノからは、マリオンも大変だ、大切にしてやれと曰く有りげなことも言われます。

夫のDVをにおわせていたように記憶していますが、シーンとしてはそれらしきものはありません。

ある時、アリオンがしばらく出勤しなくなります。クリスティアンは見舞いのつもりだと思いますが、マリオンの家の前で待ち受け、夫が出ていったと見るや玄関のベルを鳴らします。しかし、誰も出てきません。鍵のかかっていない窓を見つけ、家に入ってしまいます。

 

このあたりの(犯罪的)行動をどう考えればいいのかわかりませんが(笑)、二階に上がりますと、シャワーを浴びていたらしいマリオンが夫かと声をかけます。クリスティアンは慌てて出ていきます。この後の立ち去るクリスティアンを二階の窓からとらえたカットはマリオンの目線ということです。後日、マリオンは(クリスティアンが置いてきた)花をありがとうと言っていました。

 

いくらなんでもここまで気を許すってどうよ!? と思う人は心が濁っています(笑)、という映画です。

 

こうやって書いていますと、最初は何も起きない映画と書こうと思っていたのに、全くそんなことはなく、実にいろいろなことが起きている映画で、まだ書きたいことの半分も書いていないような気がしてきます(笑)。

 

仕事中にクリスティアンの昔の仲間がやってきて誘われたり、マリオンの家に行った後、その仲間の店に行き酔いつぶれて翌日一時間遅刻したこともありました。クリスマスには、就業後に皆でパーティー(のようなもの)となり、同僚のひとりが日焼けライト(?)を持ち出し裸になって日光浴をしたりします。

多分、あれは南欧へのあこがれの表現ですね。クリスティアンが商品棚のパスタの名前をトルテッリーニ、トルテッローニ、ペンネ、ペンネ・リガーテ、フジッリと教わるシーンもそうだと思います。印象的な横移動のカメラワークで見せていました。マリオンの家で見たジグソーパズルも海辺の風景だったと思います。

 

物語をまとめましょう。

途中、割と唐突に、三人の名前がタイトルのように入ります。特別、章立てになっているわけでもありませんが、この三人を軸にした物語ということなのでしょう。クリスティアン、マリオンときて、そしてブルーノです。クリスティアンとの関係として描かれます。 

 

最初は不器用にハンドリフトも扱えないクリスティアンでしたが、徐々にフォークリフトの扱いにもなれ、職場内の試験にも合格します。仕事に慣れるに従いブルーノとの信頼関係も生まれ、ある日、いつものように就業後にバスを待っていますとブルーノが車を寄せ、家で飲もうと誘ってきます。

家に入りますと、妻が眠っているので静かにと言われます。そして二人で飲み始めます。

 

ということなんですが、その後の展開は記憶が曖昧で、二人がどんな話をしたのか、クリスティアンは自分の家に帰ったのか泊まったのか記憶がはっきりしません。

とにかく、後日、出勤していないブルーノのことを同僚に尋ねますと、ブルーノはもう来られないと言われます。ブルーノは首をつって自殺したのです。そして、妻も亡くなっているのか、離婚なのか、クリスティアンが訪れた日もいなかったということです。

 

クリスティアンの演技は徹底して無表情で貫かれており、この時も目に見える悲しみの表情はありません。クリスティアンに喜怒哀楽表現がないのは際立っています。これが監督の指示なのか、フランツ・ロゴフスキさんの持ち味なのか、いずれにしても監督も納得してのことであることは間違いないでしょう。

 

そしてラスト、飲料部門の責任者となったクリスティアンがフォークリフトを走らせていますと、マリオンが横に飛び乗り、リフトを上げてみてと言います。クリスティアンがフォークリフトを停止させリフトを上げますと、マリオンは、ブルーノに聞いたの、リフトを下げる時、波の音が聞こえるの、と言うのです。

 

リフトを下げながら上を見上げるクリスティアンにかすかな微笑みがこぼれます。

 

トーマス・ステューバー監督は1981年に旧東ドイツのライプツィヒで生まれており、現在、37歳か38歳、ベルリンの壁崩壊が1989年ですので、その後の東西ドイツ統一の激動の時期を最も多感な10代で経験していることになります。

また、脚本にもクレジットされている原作者のクレメンス・マイヤーさんもライプツィヒ近くのハレで1977年に生まれた同年代です。

 

そうしたふたりの青年期の体験が言葉ではなくトーンとして強く現れた映画なんだと思います。

 

夜と灯りと (新潮クレスト・ブックス)

夜と灯りと (新潮クレスト・ブックス)