アイネクライネナハトムジーク

伊坂幸太郎原作、今泉力哉監督、斎藤和義音楽の恋愛ドラマ

今泉力哉監督、公式サイトに「恋愛群像劇の名手」というコピーで紹介されていますが、確かに、私が見た「知らない、ふたり」も「愛がなんだ」も恋愛群像劇ではありました。

その二作に比べますと、あまり出来はよくありません。おそらく問題はシナリオですね。

アイネクライネナハトムジーク

アイネクライネナハトムジーク / 監督:今泉力哉

この映画はオファーを受けての監督なんでしょう。ですので、本人がこの映画に納得がいっているかどうかはわかりませんが、メジャーになるということはこういう映画も作っていかなくてはいけないということかと思います。

何にしても話をまとめすぎです。ハッピーエンドとかそういうことではなく、いろいろな人間関係につじつまを合わせすぎです。

 今まさに恋愛(以前)真っ最中のカップル御用達の映画ということです。

愛は人と人が出会うことから生まれるわけですが、本当の愛は、何年後か先に、その出会いの相手が本当にその人でよかったと思えた時にそうだと言えるという恋愛格言のような話が全編に散りばめられています。

佐藤(三浦春馬)と紗季(多部未華子)はたまたまの出会いが運命の出会いに変わり、同棲するようになり、そして10年後、壁にぶつかります。

基本、この映画は恋愛寓話みたいなものですからどうこう突っ込み入れることもないのですが、街頭アンケートでのたまたまの出会い、そしてかなり意表をついてはいますが、工事現場の誘導員の紗季と車を運転する佐藤の運命的な出会いも、トレンディドラマの出会いパターンです。

それにしても前半のふたりのシーンがそれだけってのはちょっといただけません。

多部未華子さん、いつ出てくるの? と待ちくたびれました(笑)。で、出てきたと思いましたらワンシーンのみ、えー!? 運命的な出会いはどうなったの? と、不思議なくらい、再び出てこなくなります。これはさすがに映画的にどうよと思います。

前半のほとんどをしめるのは、佐藤の学生時代からの友人一真と由美の夫婦の話、ボクサーの小野と美容師美奈子の出会い、そして佐藤の会社の先輩藤間の離婚話です。あとは10年後の後半に向けての伏線とまではいかない振りです。

由美は、学生時代、佐藤や一真たちのあこがれの存在でしたが、あっけなく一真と結婚し、今はふたりの子どもがいます。一真は、現在の社会通念でいえばとてもいい人とも魅力的とも言えない、言葉づかいもがさつで横柄、子どもの前でもアダルトビデオを放っておくような人物です。それに対して、由美が怒ったり、イラッとしたり、何らかの感情を見せるシーンはまったくありません。

この由美に対する演出意図がどういうものであったのかはわかりませんが、結果として森絵梨佳さんの演技で救われています。存在感が薄いのです。これ、悪い意味で言っているのではなく、あの一真に、たとえば良妻賢母的であったり、姉さんタイプの包容力があったりしたら、つまり由美に感情的なものが見えたら、映画が一気に現実的なものとなって、とてもあの寓話的空気は生まれなかったということです。

なにせ、この映画のテーマである恋愛格言を言葉で語るのは、その一真なんですから。

小野と美奈子の出会いは感動的です。美容師の美奈子はある客から弟を紹介され、電話で話すようになります。互いに好意を持ち始めてはいますが、どちらからも会いたいと言い出せません。ある時、その姉である客から、弟が、間もなく行われるボクシングのタイトルマッチでウィンストン小野が勝ったら告白しようと思っていると言っていたと聞かされます。美奈子は、そんな他力本願なとやや失望します。

そして、その試合の日、ウィンストン小野は勝ちます。なんとなくもやもやとした気持ちを抱えながらも小野の勝利を願っていた美奈子は、テレビから流れてくる小野の勝利インタビューに驚きます。小野は、「ボクシングでの挑戦には勝ったけれども、まだ僕には挑戦しなくてはいけないことがあります。ある女性に告白することです。(記憶で適当に作った)」と語るのです。

これもめちゃくちゃベタなトレンディドラマパターンです。

あるいは意図的にそうしているのかもしれません。この前半の時代背景は、アナログテレビやガラケーなどかなり古めになっていますので、後半が現在で、前半は10年前ということなんでしょう。

突然10年後に飛びます。

それはいいとしても、10年後の最初のファミレスのシーンや高校生たちのシーンが前半とどういう関係にあるのかわかるまでに時間がかかりすぎます。ここで完全に意識が断絶してしまいます。これも映画的によろしくありません。もちろん意図していなければです。

佐藤と紗季は同棲しています。佐藤はホテルのディナーを予約し、婚約指輪を用意して結婚を申し込もうとしますが言葉にできません。結局、その帰り、家に入る前の路上で申し込むことになります。紗季は返事ができません。

この映画の特徴ですが、こうした時の人の心の動きをまったく描いていません。ホテルでのディナーのシーンでも無言で食べているカットがあるだけで、言い出せない佐藤を見せようとするでもなく、それがわかっている紗季を見せるでもなく、ただ、そのカットがあるという素っ気なさです。紗季がなぜその申込みを受けないのかもまったくわかりません。

くどくなりますが、結果として、この映画が恋愛寓話であるといういい流れに作用しているとは思いますが、ただ、今泉力哉監督としてはどうなんでしょう、満足しているんでしょうか。

後半の主な物語はこのふたりの顛末と、と言っても上に書いたように何も描かれません。結局、ラストで、紗季は結婚の申込みを受けるわけですが、なぜその決心をするに至ったかはその迷いも含め何も描かれません。そのシーンさえありません。ただ実家に帰ってしまうだけです。そして、佐藤が、紗季の乗ったバスを延々走って追っかけるというシーンがあるだけです。

オイ、オイ、まじでトレンディドラマやんという映画(シナリオ)です。

後半の主な物語は、むしろ高校生たちの恋愛(みたいなもの)です。一真の娘美緒と和人、それに亜美子、あの亜美子って、ウィンストン小野のサイン色紙を持っていたから藤間さんの娘? 藤間さんは離婚して妻の実家は東京と言っていましたが、今は仙台なんでしょうか。藤間さんは東京から佐藤に電話をしていましたが、あのワンシーンにわざわざ東京という台詞を入れなくてもいいと思います。あるいはカットされたシーンがあるのかもしれません。

とにかく、全ての人物を関連付けてまとめようという意図が見え透いていて白けます。

前半に振りのあった、聴覚に障害があるためにいじめられている少年が、ウィンストン小野の再戦に小枝を持って観戦に来ているとか、その少年が落としたその小枝を亜美子が拾って新たな出会いが生まれるとか、ただ人のご機嫌をとるだけの小心者にみえる和人の父親が実は勇気もある賢い人であり、最初は馬鹿にしていた和人もそれを見て尊敬するようになったとか、あまりにもベタなとことで話をまとめすぎています。

という、伊坂幸太郎さんの原作がどうであるかはわかりませんが、映画としては、恋愛観にとどまらず人と人の関係の価値観が、それにこれが一番ですが、ドラマのパターンが古すぎます。

映画的にも前半に膨らんだ期待が後半に入り一気にしぼみます。構成に難あり、つまりシナリオがよくないということだと思います。

アイネクライネナハトムジーク (幻冬舎文庫)

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