そんなには褒めないよ。映画評

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「ファントム・スレッド」(ネタバレ)ダニエル・デイ=ルイスが映画のバランスを崩している

予告編の「男は女の完璧な身体を愛した」や「オートクチュールのドレスが導く禁断の愛の扉が開かれる」のダサい(ペコリ)コピーと奇妙な抑揚のナレーションに妙にハマり、劇場で予告編が流れる度にぐっと笑いをこらえてきた映画を、ついに見てきました(笑)。

ダサいと書いてしまいましたが、映画に対して言っているわけではありませんし、ダサさも宣伝的には有効な場合もありますので一概に批判的に言っているわけではありません。

監督は、ベルリン、カンヌ、ヴェネチアの映画祭で監督賞を受賞しているポール・トーマス・アンダーソンさん、監督としての評価ですからすごいですね。

以下、あらすじは書いていませんが、いきなりネタバレしています。 

監督:ポール・トーマス・アンダーソン

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公式サイト

 

この映画、ちょっと茶化して(なぜ茶化す?)まとめれば、仕立て屋(オートクチュール)としては有能だけれども、プライベートではマザコンで偏屈な引きこもり気味の中年男が、ひとりの女に執心し、理想の身体だとほめたたえ、ドレス作りにいそしむも、女はそれに飽き足らず、頼り頼られの濃密な人間関係を求め、男に毒も盛って身体を弱らせることでその思いをかなえようとし、ついには、男はそれに気づきながらも、(自らの偏屈な性格を変えられる唯一の道と気づき、)女のゆがんだ愛情を受け入れ、しあわせに暮らしましたとさ、と女が妄想する物語です。

 

やや皮肉っぽく書いているところもありますが、あらためてこういう見方をしてみますと、この物語ならば、普通、主人公は女の方ですよね。でも、この映画で圧倒的存在感を示しているのは、天才的仕立て屋レイノルズを演じたダニエル・デイ=ルイスさんです。

 

この映画を最後に引退を表明している(らしい)ダニエルさんは、憑依型俳優として知られていますので、今回も公式サイトによりますと、

徹底した役作りで知られるデイ=ルイスは、撮影前に約1年間ニューヨーク・シティ・バレエ団の衣装監督も務める裁縫師のもとで修業を積みながら、10年ぶり二度目のコラボレーションとなるポール・トーマス・アンダーソン監督の脚本執筆作業にも参加し、稀代のドレスメーカーを演じることに全身全霊を捧げた。 

ということらしく、たしかに相当力が入っていることは間違いないです。

 

ただ、すごいなあと思いつつも、映画を見て、よくよく考えてみますと、ダニエルさん演じるレイノルズが実際にドレスを縫ったりするような、つまり直接的に仕立てをするシーンというのは一切なく、せいぜいデザイン画を描くカット、それもアップですので本人が書いているわけではないでしょうし、まあ多くは宣伝のために誇張されていることとは言え、どこか違和感を感じます。

 

何が言いたいかと言いますと、この映画のレイノルズはさほど深みのある人物ではないのではないかということで、つまり、レイノルズ本人が語っているように、母親からドレスづくりの技術を学び、実務面を姉に委ねてやってきているわけで、後半のシーンにありますが、”シック”という流行も拒否してしまう世間を知らない視野の狭い人物なわけで、それ以上の何かをダニエルさんが演じているかといいますとそうは思えないということです。

 

で、話を戻しますと、本来この物語は、アルマ(ヴィッキー・クリープス)の視点で描くべき映画ではないかということです。

 

おそらく監督にもその意図があったんだろうと思えるのは、映画は、冒頭アルマが誰かに、レイノルズのことを「気難しいだけ」などと話しているシーンから始まり、ラストもアルマが自分の未来を妄想するシーンで終えていることです。

 

この冒頭のシーン、最初はカウンセリングでも受けているのか思いましたが、そうではなく、アルマが話している相手は、レイノルズがアルマに毒を盛られ体調を崩した際に診察した医者で、結果的にはあまり重要な役回りになっていない人物です。

 

結局、この医者の存在自体もそうですが、映画の時間軸で言えば現在であるこのアルマが医者に過去を語るシーンが、映画の途中ではすっ飛んじゃっているんです。

 

つまり、映画の基本構想としては、アルマがレイノルズとのことを語っている、そして未来のことを妄想するということではないかと思いますし、その意味では、レイノルズの偏屈さ一辺倒の演技は、アルマ自身が最初のシーンで語っている「気難しいだけ」と一致しており、それはそれで問題ないのですが、さすがにダニエルさんのやり過ぎ感と、そして、おそらく監督のダニエルさんへの強いリスペクトが映画のバランスを崩してしまったのではないかと思うのです。

 

映画から読めるレイノルズの人格は単細胞ですが、アルマはかなり複雑です。

 

アルマの人格がはっきりしません。はっきりさせるということは理解できるという意味ではありません。複雑さ自体が描かれていないということです。

 

アルマの行動の多くは唐突です。

 

ベルギー(だったと思う)の王女への対抗心をあらわすシーン、レイノルズにサプライズを仕掛けるシーンの意味合い、単純にサプライズだったのか、その裏があったのか、わざと食事を無作法に食べるシーン、大晦日の日、ひとりでダンスに出かけるシーン、そして毒を盛ることにしたそのこと、全てが唐突です。

 

アルマが過去を語っているのであれば、アルマの中では辻褄が合っていなければおかしく、唐突にみえるのは第三者から見たアルマが描かれているということになります。

 

というバランスの悪さが、この映画をつまらなくしているのではないかと思います。

 

ああ、そう言えば、レイノルズの母親の幽霊まで出していました。あれも中途半端な扱いでした。レイノルズから見れば母親がアルマに乗り移ったためにアルマに屈服したとかにでも見えればと思いますが、それですと違う映画になってしまいますかね。

 

レイノルズの姉シリル(レスリー・マンヴィル)がすべてを達観しているような存在で面白かったです。英語でハウスと言っていましたが、メゾンを取り仕切っている存在であり、レイノルズに対しては、私と論争して勝てると思っているのと言える存在であり、かといって、”シック”を求めて顧客がレイノルズから去っていってもさほど気にしている様子もなく、アルマに対してもほとんど感情を示すことなく、アルマがレイノルズにサプライズを仕掛けると知っても幸運を祈る程度にしか関わろうとしなく、それでいてアルマは好きよと言える人物です。

 

「人生の師」とすべき人物ですね(笑)。

 

もうひとつ、車の走行シーンがなんだかすごかったです。合成なんでしょうが、ボンネットからの広角のレンズで運転するレイノルズをとらえ、ぐっと飛び出るような異様な雰囲気を出し、背景がとにかく猛スピードで流れていくのです。おい、おい、大丈夫かというようなスピードでした。後にアルマを乗せて走るシーンもあるのですが、車の走行シーンはすべてこの調子でした。レイノルズの視野の狭さが強調されているようなシーンでした。

 

ということで、この映画は失敗作だと思います。

 

 

ユリイカ 2015年5月号 特集=ポール・トーマス・アンダーソン -『ブギーナイツ』『マグノリア』から『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、そして『インヒアレント・ヴァイス』へ

ユリイカ 2015年5月号 特集=ポール・トーマス・アンダーソン -『ブギーナイツ』『マグノリア』から『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、そして『インヒアレント・ヴァイス』へ

  • 作者: ポール・トーマス・アンダーソン,ホアキン・フェニックス,ジュシュ・ブローリン,佐藤良明,柳下毅一郎
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2015/04/27
  • メディア: ムック
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