そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

映画タイトルの50音順メニュー作りました!

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監督:カテル・キレヴェレ

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アンジェイ・ワイダ監督の遺作、心に残る映画です!

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午後8時の訪問者

監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ

(ネタバレ)ダルデンヌ兄弟、相変わらず隙がなく完璧!

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映画「草原の河」(ネタバレ)最後まで見切ればストンと心に落ちます。

チベットが舞台の映画では、「ラサへの歩き方 祈りの2400km」が印象深く、今でもその感動がよみがえってきますが、監督は中国人のチャン・ヤン監督、「胡同のひまわり」の監督でした。

この「草原の河」は、チベット人のソンタルジャ監督、日本でチベットの監督の映画が公開されるのは初めてとのことです。

ただ、いまどき何人の監督などということを気にしたりするのは日本人くらいかも知れません。

 

監督:ソンタルジャ

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チベット。空と大地が広がる。厳しい自然の中で牧畜を営む家族。幼い娘は、母が新しい命を授かったと知り、やがて生まれてくる赤ちゃんに母を取られてしまうと、心を痛める。その父は、4年前の出来事をきっかけに自分の父親をいまも許せないでいる。娘、その父、その祖父。家族三代それぞれの心情を、河が見つめている。

 

正直なところ、前半は、何この映画? とやや後悔気味に見ていたのですが、後半に至り、ああそういうことなのねと感動とまではいかなくても、そういう映画が作りたかったのねと、とてもしっくりくる映画でした。

 

何か意図があるのかよく分かりませんが、編集がかなり乱暴で、なかなか映画の構造、枠組みを理解できなく、何をどう見ていけばいいのか戸惑いました。

見終わって公式サイトなどを見て思うことは、演技経験のない出演者たちの自然な表情を撮りたかったのでしょう、過剰な演技を求めなかった結果ではないかと思います。

 

基本、話はチベットの羊と暮らす遊牧民の家族、夫グル、妻ルクドル、幼い娘ヤンチェン・ラモ、そしてグルの父の物語です。

 

冒頭、グルがバイクで事故を起こし、「もう4年か…」といった台詞が入りますが、後半までその意味は分かりません。事故も何か意味があるのかと思いましたが、単に酔っ払って事故っただけでした。

 

続いて、ヤンチェン・ラモやルクドルの登場となり、遊牧民の生活が語られていくのですが、無口なグルと結構乱暴に聞こえるルクドルの台詞で何かあるのかなあ?とか、ルクドルの反対にも関わらず遊牧の場所を移動しようとしたりしますので、何が映画の軸なのかがなかなかつかめません。

 

そうは言っても中盤に入りますと、どうやらヤンチェン・ラモに焦点を合わせているようであり、成長物語なんだろうと分かってきます。後半に至りませんとなかなか分かりにくいのですが、2つのエピソードがあります。

 

ヤンチェン・ラモは甘えん坊であり、未だ乳離れしていません。ある日、お腹が大きくなってきた母から赤ん坊が生まれること、そして、それは父親が持っているジー(天珠)から授かったと聞かされます。ヤンチャン・ラモは生まれてくる赤ん坊に母親を取られると思ったのでしょう、ジーを隠してしまいます。

そして母親のお腹を触りながら尋ねます。「まだ赤ん坊はいるの?」

その後の流れとしては、父親がジーはどこへいったと探したりするのですが、大きな事件になたりするわけではありません。

ラスト近くで、ヤンチェン・ラモが母親に自分が土に埋めて隠したことと今は探しても見つからないことを告白します。

 

もうひとつのエピソードはくまのぬいぐるみです。

ヤンチェン・ラモは、大切にしているくまのぬいぐるみを村(?)の男の子たちに取られてしまいます。ただ、男の子たちはヤンチェン・ラモの家族が遊牧地を移動する時に返してくれますので、男の子たちにとっては単にいたずらの気持ちでしょう。

で、ヤンチェン・ラモはそのぬいぐるみを、これもまた土に埋めてしまいます。

これもラストにならないと意味がわからなかったのですが、多分麦だと思いますが種を蒔くシーンがあり、その際、母親が「このひと粒がたくさんになって戻ってくる(といった意味の台詞)」とヤンチェン・ラモに話しかけます。

ラスト、ヤンチェン・ラモが言います。

「くまさんがたくさんになって戻ってくるね」(これもこんな内容の台詞)

 

その瞬間、ああ、そういうことね、ソンタルジャ監督はこれがしたかったのねとストンと落ちます。

 

ほんとに映画って終わり方ですね! これで前半のもやもや気分も消えてしまいました。

 

映画の軸となっている物語はもうひとつあり、冒頭のシーンにあった「4年」の話です。

グルは…、グル? 今気づきましたが、父親役のグル・ツェテンさん、本名とのことですが、グルって導師ですね。 それはともかく、グルの父親は、若い頃から僧になりたいと思っていたのにそれが果たせず、先も長くない今、その思いを果たそうと山(?)にこもって修行の身にあります。

4年前、グルは、母親が危篤になった時に父親に会いに来るように伝えにいったのですが、父親は、いうなれば悟り的意味において「なるようにしかならない」と語り、最期を看取ろうともしなかったことが心にひかかっています。

ですので、妻から父親へ食べ物やらを持っていくように言われた際にも、ヤンチェン・ラモに行かせています。

それを知った妻から叱責され、ラスト近くにもう一度行くのですが、今度は父親が病院に行っていると聞かされ病院に向かいます。医師からは入院が必要と告げられますが、父親は母の時と同様に「なるようにしかならない」と受け入れず、修業の場に戻ります。

 

このグルと父親の交流にはほとんど台詞はなく、ヤンチェン・ラモと三人がバイクで移動するカットなどで描かれるのみですし、これは意図的にやっていることですが、父親の姿をぼかしたり、フレームアウトさせたり、後ろ姿にしたりとはっきり見せない方法をとっています。

で、ラスト近く、母親の件の話が語られ、そこでやっと、ああそういうことなのかと分かるようになっています。

 

この「草原の河」、こういう映画です。

 

タイトルとなっている「河」は、映画の中では、父親に会いに行く途中に流れる河を指しており、雪や増水でその河を越せないことで象徴的に使われています。つい「三途の川」を思い浮かべてしまいますが、チベット仏教にはその概念はないようですので、仮にソンタルジャ監督にそうした意識があるとすれば中国の影響かもしれませんね。

 

ということで、結果としてはいい印象で終わってはいるのですが、あらためてグルが最後に涙を流すカットなどに無理があることを考えれば、やはり自分が考える物語にそって撮ろうと思うのであれば監督としての力不足が感じられますし、フィクションであれ、演技を強要しないのであればドキュメンタリーの手法を学ぶべきかと思います。

 

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