パリよ、永遠に/フォルカー・シュレンドルフ監督

日本でこういう映画が生まれないのはなぜなんでしょう?

パリよ、永遠に(字幕版)

パリよ、永遠に(字幕版)

ドイツ人であるフォルカー・シュレンドルフ監督がフランスでこういう映画を撮るということがドイツとフランスの成熟した関係を現しているということなんでしょう。残念ながら、なかなか日本はこうはいっていないのが現状です。


映画『パリよ、永遠に』予告編

元が舞台劇であり、主役の二人が舞台での配役と同じ(かな?)ということもあるのでしょう、少し演技が濃密すぎる感じがします。舞台ですとこれぐらいじゃないとなかなか伝わらないのですが、俳優の表情が間近に伝わる映画ではちょっとばかりくどく感じます。

それだけに、時々挿入されるモノクロの実写フィルムが浮いた感じで、リアリティをもたせようとしたのならば、逆効果になっていたように感じます。

それにしても「パリ」という存在はヨーロッパでも特別な存在なんですね。

映画としてはあまり良い出来とは思えませんが、考えさせられることはたくさんあります。そのひとつは、日本でも、「永遠の0」などという内向きで自己満足的な戦争(を扱った)映画でない、こうしたものが撮られることを望みます。

1944年8月25日未明のパリ。リヴォリ通りに建つホテル ル・ムーリスにパリ防衛司令官ディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍率いるナチス・ドイツ軍が駐留していた。そこに、アメリカ・イギリス・自由フランス軍からなる連合軍が防衛線を突破し、パリ市街に近づいてきたと電報が届く。連合軍の進撃にレジスタンスは活気づく。ドイツの敗北は時間の問題。
ヒトラー総統が計画した「パリ壊滅作戦」を実行するための作戦会議が始まった。ヒトラーはパリを愛した。だが、戦闘によってベルリンが廃墟となった今、パリだけが輝いているのは許せない。ただそれだけのための、「戦略上何の意味もない」壊滅作戦。爆破箇所は、ポンヌフを除く市内33本すべての橋、ノートルダム大聖堂、ルーヴル美術館、オペラ座・・・地図を広げ、建築技師の説明を聴くコルティッツ。会議が終わり、ひとり部屋に残ったコルティッツがベルリンからの電話を受けたと同時に部屋の明りが消える。明りが戻った時、そこに一人の男が立っていた。(公式サイト