アデル、ブルーは熱い色/アブデラティフ・ケシシュ監督

クローズアップ多用の手法はアデルの居心地の悪さに揺れる心や不安定さを見事にとらえ見る者を引きつけます

これは、間違いなくアデルを演じたアデル・エグザルコプロスの映画です。監督と二人の俳優がそろってパルムドールを受賞したという、もう一人のレア・セドゥもとても良かったのですが、こちらの良さは俳優としての良さであり、アデルの方は、もちろん演技なんでしょうが、演技を越えた存在感というかリアルさがあります。画からにじみ出てくる感情が生々しいんです。原作では主人公の名前はクレモンティーヌらしいのですが、それをあえてアデルに変えているというのも、アブデラティフ・ケシシュ監督に、そうした演技ではない(演技に見えない)俳優の生身の感情や肉体を撮りたいという意図や計算があったのでしょう。

そうした意味では「嵌った」と言えなくもありませんが、多分、アブデラティフ・ケシシュ監督は、他の俳優であれば、その俳優の名を冠した、その俳優の映画を撮っているでしょう。この映画は、そう思わせるだけの作り手の明確な意思が現れているように思います。


映画『アデル、ブルーは熱い色』予告編

まず最初に、ああこれは…と思ったのは食事のシーンです。アデルが両親と食事をするシーン、ボロネーゼを取り分けながら三人で食べるのですが、とても上品とは言えない食べ方を、口元を強調したクローズアップで見せます。会話など大した内容ではありませんし、物語的にもさほど重要なシーンではないでしょうから、明らかに、アデル(人間)の食べる行為の生々しさを見せようとしています。

このシーンの前だったか後だったかははっきりしませんが、アデルの寝顔をとらえたカットも同じ狙いでしょう。まあ誰でも寝顔は馬鹿面でしょうが、食事のシーンと共にかなりインパクトのあるカットでした。

これは、俳優アデル・エグザルコプロスではなく、アデル・エグザルコプロスそのものを見てくれというアブデラティフ・ケシシュ監督の宣言でしょう。その意図に見事に嵌ったアデル・エグザルコプロスという俳優によって、最近ではかなり長めではないかと思う3時間が、全く苦にならない映画になっています。

クローズアップ多用の手法は、アデルの持つ居心地の悪さに揺れる心や不安定さを見事にとらえ、見る者を引きつけます。後半、エマがアデルの浮気(という表現はあわないかも)をとがめ、激しく罵る場面でのアデルの表情や、そして二人が別れた後のアデルの喪失感、絶望感をクローズアップでとらえたカットは圧巻です。カフェで再会するシーンがあります。あまりの苦しさに、復縁を願ってエマを呼び出したのでしょう。このシーンは映画史に残る名シーンだと思います。

クローズアップと切り返しの多さはこの映画の特徴的な手法ですが、それぞれのシーンを長く見せることもこの監督の意図するところでしょう。結果的に、それが3時間という長さになっているのですが、アデルとエマのセックスシーンを除いて長く感じることはありません。

セックスシーンを長く感じたのは、見てはいけないものを見ているような見る側(私)の問題でしょう。仮にこのシーンがなかったとすると、後半のアデルが感じる寂しさや別れた後の喪失感にあれほどのリアリティは生まれなかったのではないかと思います。

もうひとつ、アデルとエマは共に女性ですからレズビアンと言われる関係にありますが、この映画は全くレズビアンということを意識しないでつくられているのではないかと思います。監督の考える、また俳優の理解できる愛情表現が、性別に関係なく、そのまま表現されているように感じます。それは、セックスシーンだけではなく、全ての表現に表れています。それがいいことなのか、よくないことなのか、今のところ私には分かりません。多分、監督はヘテロセクシャルなのでしょう。もし、セクシャルマイノリティの方の感想があれば読んでみたいと思います。

エマを演じたレア・セドゥさんのことも書いておきましょう。

美しき棘」では、母を失った喪失感に揺れるプリューデンス17才を演じていましたし、「マリー・アントワネットに別れをつげて」では、朗読係シドニー・ラボルドと、共に心の強い役柄を演じており、やはりそうした印象が強いということなのでしょう。大いに期待する俳優さんです。

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