ジンジャーの朝/サリー・ポッター監督

ジンジャーがパニックに陥って父親とローザの関係を皆にばらすシーンはかなりいいです

ほとんど事前情報なしで、サリー・ポッター監督の映画だからということで見に行ったのですが、見終えた後、公式サイトなどを読むにつけ、「え?そうなの?」と感じることの多い映画でした。

それが何かは後で書きますが、まず見終えた直後の感想は、サリー・ポッター監督自らの青春のレクイエムかなというものでした。

1945年、広島に原爆が落とされた年、同じ日に同じ病院で生まれた二人の少女、ジンジャー(エル・ファニング)とローザ(アリス・イングラート)、そして16年後、1962年、キューバ危機で世界が揺れる中、16歳のジンジャーの、ローザや両親との関係をめぐる数週間(数ヶ月?)が描かれています。もちろん、監督の青春時代がどうであったかは知るよしもありませんので、自伝とは言いませんが、監督自身1949年生れですので、ほぼ似たような感覚を持ってその時代を生きていたのではないかと思います。

なぜ青春のレクイエムと感じたかですが、まずひとつには、ジンジャーの周りにいろいろなことが起きるわけですが、それがかなり意図的(編集でと感じました)に断片的に見せる手法で描かれていることです。ローザと共にヒッチハイクをしたり、夜遅くまで遊んだり、あるいは反核運動に興味を持ちデモに参加したり、両親の別居を契機にジンジャー自身も家を出たりとかなり短い期間にいろいろなことを経験するわけですが、それらにあまり脈絡は感じられず、ふっと思い出す過去の1ページのような感じで描き出されています。

また、それらのシーンが、どこか遠い過去のように感じられるトーンと言いますか、当然50年前のファッションや風景ではありますが、そういったこととは違う、何か膜の張ったような印象を持ちました。上映施設のことを考えますとあまり自信はないのですが、色合いにどこかそういった、リアルさをちょっとばかり遠ざけるような、そんな手法がとられているように感じました。

それと、映画全体に感じるサリー・ポッター監督の温かく見守るような目線ですね。全体的にかなり激しく動くアップのカットが多かった印象なんですが、その割に、切迫感とか慌ただしさを感じなく、いとおしく見つめているような、そんな優しい感じでした。

で、最初に書いた何に「え?そうなの?」と思ったかですが、ひとつは、「ジンジャーとローザがいつも一緒に行動し、ファッションやヘアスタイルも一緒」という言葉から受ける仲良しの関係を、私は感じなかったんですね。すでに冒頭から、共に自分とは違う何かを感じている二人なんだなと思ったんです。監督がどう描こうと思ったかは分かりませんが、私がそう感じた大きな理由は、ローザを演じたアリス・イングラートのどこか影のある存在感です。「ローザは自由奔放」ではなく、心の底から自由を希求する人間、悪くいえば、極めて自分勝手な個人主義者の顔を持っています。人間を二種類に分けるとすれば、ジンジャーやその母親の側ではなく、父親(アレッサンドロ・ニヴォラ)の側にいます。多分、監督の意図でも、演技でもなく、このアリス・イングラートさんの持っている何かですね。ジェーン・カンピオン監督の娘だそうです。

その父親ローランドとローザの関係も、そうなの?と感じたことのひとつです。ローザがローランドに好意を持ち始めたのが二人の関係の発端のように書かれていますが、すでに早い段階からローランドはローザに女性としての好奇心を持ち始めています。はっきりとそれと分かるように描かれていますし、お互い似た者通しが惹かれていくような、そんな感じです。

ローランド自身も、正直よく分からない人物でした。思想家であるとか書かれていますが、映画からは、何をしてきて、何をしている人物なのかよく分からなかったですね。その周りに出てくる人たちもよく分からない人たちでした。

でもまあ、そんなことはどうでもいいですけどね。子どもの頃って、そんなもので、よく分からないけど、すごく見える人とか、ちょっと影があると神秘的に見えたりとそういう世界ですから。

で、クライマックスの、ジンジャーがパニックに陥って、父親とローザの関係を皆にばらすシーンはかなりいいです。エル・ファニングの、もうどうしようもない精神的飽和状態みたいな感じもすごく良かったですし、その後のしらっとした場の空気もリアリティ抜群ですし、ローランドの居直り加減も良く理解できますし(笑)、ローザの冷めた表情は完璧です。

ということで、ほめているのかけなしているのかよく分からない状態になりましたが、とても良い映画でした。