サバカン SABAKAN

昭和ノスタルジーかつ友情物語の鉄板もの

この映画、見るか見ないかすれすれのところにあった映画ですので時々映画館の予約状況を見ていたのですが、割と早くから埋まり始めますのでなんだろう? 草なぎくんが出てるからかな? などと気になり、思わずプチッとした映画です。

サバカン SABAKAN / 監督:金沢知樹

昭和ノスタルジー友情物語

人気があるのがよくわかります。昭和ノスタルジーかつ友情物語の鉄板ものでした。それもあざとさのないシンプルにまとめられたとても見やすい映画でした。

金沢知樹監督のオリジナル脚本です。1974年生まれの「脚本家・演出家・構成作家・俳優・元お笑い芸人である。長崎県出身(ウィキペディア)」の方です。

この映画は、1986年に小学校5年生なる少年の話ということですので、ほぼ金沢監督の少年時代に合致します。場所も長崎です。実体験が反映されているかどうかまではわかりませんが、少なくとも金沢監督の昭和ノスタルジーの映画というのは間違いないでしょう。こうした映画を撮ることができる最後の世代でしょうか。

回想、友情と別れ、冒険、思春期、昭和の家族

書こうと思ってもなかなか書けない売れない作家久田(草なぎ剛)がサバ缶を見て長崎での少年時代の思い出を書き始めます。

えらくあっさりやねぇとは思いますが、これがかえってよかったようです。さらりと思い出話に入っていけます。ノスタルジーには回想は必須ですし、かと言ってあまり複雑でも気をそがれます。

思い出話にはノスタルジックな要素がいっぱい詰まっています。

1986年、久田は小学5年生です。文章を書くことがうまく、先生に褒められています。久田には気になる生徒、竹本がいます。この二人の友情と別れが映画の軸です。友情が芽生えるのは夏休みの冒険です。

ブーメラン島への冒険と思春期

二人は夏休みに山を越えてブーメラン島という島へイルカを見に行きます。冒険旅行にはトラブルがつきものです。自転車は壊れ、久田は溺れ、ヤンキーに絡まれます。

年上の女子高生のお姉さんが溺れた久田を助けてくれます。あの女子高生はどういう設定の人物なんでしょうね。海に慣れているのはわかりますが、海で何をやっていたんでしょう、よくわかりません(笑)。具体的なことは別にしても、お姉さん的な女性へのあこがれは、多分金沢監督の実体験でしょう。

その女子高生の彼がカッコよく登場します。二人がヤンキーに絡まれているところに軽トラで登場し、その彼はヤンキーたちにも一目置かれている存在らしく登場するやヤンキーたちを整列させて無言でビンタを浴びせていました。

無言ですよ、無言。カッコいいですね。あの男も金沢監督が少年時代に憧れた人物像かもしれません。

ブーメラン島からの帰りは、その彼と女子高生が軽トラで家まで送ってくれます。女子高生は久田がチラチラと自分の胸を見ていることに気づいており、別れ際、あんた、おっぱい好きやねと言い残していきます。

ヒサちゃん、タケちゃんの友情

久田と竹本はもともと親しいわけでもなく、突然竹本がイルカを見に行こうと誘いに来たわけですから、久田は訝しく思いそのわけを尋ねますと、竹本は、皆が自分の家の貧しさを笑ったときに久本だけは笑わなかったからだと言います。

冒険旅行から戻ったその日の別れ際、二人は久田の玄関先で互いに、ヒサちゃん、タケちゃんと呼びあい、またね、またねと姿が見えなくなるまで幾度も言い合いながら別れます。そのとき久田は、竹本が自分を誘った本当の理由は友だちになりたかったからではないかと感じます。

昭和の家族

久田の家族は父親(竹原ピストル)と母親(尾野真千子)に弟の4人家族、家族には何の隠し事もなく、本音で言い合い、頭を叩くのは日常茶飯事、それでも両親は愛し合っているというありえないくらい昭和ファンタジーの家族です。

一方の竹本は父親が亡くなっており母親は竹本とその弟や妹を抱えて日夜忙しく働いています。

ある日、久田が寿司を好きなことを知った竹本は家に来ないかと誘い、サバ缶で寿司を握ってくれます。無茶苦茶うまいと感動する久田に、竹本は父親がよくつくってくれた、自分は寿司職人になりたいと言います。そんなとき、母親が仕事から帰ってきます。あら、友だち? と言います。

後日、久田がお使いで寄ったスーパーで竹本の母親に会い、この間、友だちと言ったことで竹本から叱られたと聞かされます。母親は、あの子には弟や妹の面倒を頼んでいるので友だちもいないみたい、仲良くしてやってねと言います。

別れは友情物語のメインディッシュ

この母親の言葉の行き違いが思わぬことになります。

久田は竹本が自分を友だちと思っていないんだと考えます。あまりあり得そうもない思い込みですし、あの素直な久田には似つかわしくないようにも思いますが、別れへの苦肉のシナリオでしょう。

久田は竹本を無視するようになります。竹本が物思いに沈むようになります。そんな竹本を気遣いぼんやりしていたのでしょう、母親が交通事故で亡くなります。竹本たち妹弟はそれぞれ親戚に引き取らればらばらで暮らすことになります。

竹本が去る日、久田は貯金箱のお金をはたいて袋いっぱいのサバ缶を買い、駅に駆けつけます。そして、お互いに、またね、またねと列車が見えなくなるまで声を掛け合います。

ノスタルジーものは深くならないほうがいい…か?

過度にベタにならずに抑制されたシナリオがよくできていると思います。長崎というロケーションもぴったりです。

二人の行き違いをもう少し深く描けばとは思いますし、こうした物語にしては感動ポイントがないのもさみしいのですが、この程度のノスタルジーが今の時代にあっているのかもしれません。

ああ、忘れています。ラストシーンは現代に戻ります。久田のナレーションで、竹本が寿司屋をやっており、その店にはサバカンの握りがあると語られ、シーンは、久田が長崎を訪れ、あの別れの駅での再会となります。

どうやら久田が書いたこの物語の小説もあたったようで小説家として認められたということでしょう。