由宇子の天秤

語るべきは、また描くべきは、人であって物語ではない

火口のふたり」を見て、気になる俳優さんだなあと感じた瀧内公美さん、その主演の映画です。

監督は春本雄二郎さん、監督・脚本・編集・プロデューサーということですので、自分の撮りたいものを撮ったということだと思います。2018年に独立映画製作団体「映画工房春組」を立ち上げてのその第一作ということになるのでしょうか。

由宇子の天秤

由宇子の天秤 / 監督:春本雄二郎

それは嘘だったと言ってみたところで…

信じていたもの、あるいは事実であると思っていたものが最後にひっくり返されるという話です。

物語は二つの軸で構成されており、それが木下由宇子(瀧内公美)の中でぶつかりあって、さてなにが起きるかということかと思いますが、なにも起きません。

映画は、由宇子が信じていたもの、そして事実だと思っていたものがそうじゃなかった、嘘だったと言っているだけです。

二つの軸のうちのひとつは、ドキュメンタリー監督木下由宇子がテレビ番組にしようと撮影している3年前の事件です。女子高生と教師が自殺しています。公式サイトにはいじめによる自殺事件とありますが、映画の中ではいじめがポイントではなく、学校側が女子高生と教師に性的関係があったと主張したことで、女子高生と教師の遺族がメディアスクラムにあい、それがために誹謗中傷にさらされているという事実です。それを由宇子が遺族を取材し、事実は違うんだと明らかにしようとしています。

もうひとつの軸は、由宇子の父親木下正志(光石研)は学習塾を経営しており、由宇子もそこの教師をやっているわけですが、ある日由宇子は、生徒の一人小畑萌(河合優実)から妊娠しており、その相手が正志だと告げられます。父親に問いただしますと、一度限りではあるけれども間違いないと答えます。由宇子は密かに中絶させようとしますが、子宮外妊娠だとわかり、ことをあからさまにするしかなくなります。

という二つの事実が、2時間程度描かれていきます。すべて由宇子がらみですのでほぼ全編瀧内公美さん出ずっぱりの映画です。

そしてラスト30分(見ていての印象)、そのふたつの事実が嘘だったと明かされます。

3年前の事件は、取材を受けた自殺した教師の姉(だったか?)が番組放映直前になって自分のシーンをカットしてほしいと言い出します。そして由宇子に、弟が女子高生をレイプ(だと思う)している動画を見せ、弟の遺書は自分が捏造したと告白します。

塾の生徒萌の妊娠の方は、萌がウリをやっており、学習塾の男子生徒とも関係があったと明かされます。ただ、正志が萌と関係を持った事実は変わりません。

この2つが由宇子に一気に押し寄せます。そして、そのまま映画は終わります。

由宇子の苦悩や葛藤は一体どこへいってしまったのでしょう?

映画が描くべきものは?

この映画であれば、由宇子の心情、苦悩、葛藤を描かなくて何を描くことがあるのでしょう。事実だと思っていたことが事実ではありませんでした、嘘をつかれていました、と言われても、ああそうですかとしか言いようがありません。

この映画のような事件性のある嘘は誰もが経験することではありませんが、日常的なちょっとした嘘でもそれを信じていた者にとってみれば夜も眠られなくなるほど頭の中をぐるぐるするものじゃないでしょうか。

萌から自分の父親が性的関係を持ったと聞かされ、大したリアクションもなくそのまま塾に戻り、いきなり父親にカメラを向けて問い詰めますか? 何をどう考えたのかのシーンもなく、知り合いの医師に闇で中絶薬の手配を頼みますか?その後も迷いもなく日々を過ごせますか?

それまで自分が信じて取材してきた事実が突然ひっくり返されてあの冷静さですか? 

シナリオがダメでしょう。由宇子にそうしたシーンが与えられていません。全体的にゆったりした間合いのシーンが多く、一見、由宇子の心情を追っているようにはみえますが、見えてくるのは由宇子が行動的な人間であることでしかなく、その行動にいたる過程を見せるシーンがまったくありません。

かろうじて瀧内公美さんの存在感でもっている映画です。

ネタバレあらすじ

木下由宇子(瀧内公美)の取材シーンから始まります。自殺した女子高生の父親が、娘が自殺した川辺でリコーダーを吹いています。それは台本のあるシーンなんでしょう。撮り終わります。緊張がとけた父親が本音を漏らします。カメラは回っています。由宇子はこのシーンも使わせてくださいと言っています。

意図はわかりますが、残念ながら、こうした意図が映画全体の中で生きていません。

このファーストシーンもそうですが、この3年前の事件が断片的にしか示されていませんので、由宇子が撮っているドキュメンタリーの意図が非常に曖昧です。その後のシーンで、由宇子の視点が被害者を追い詰めたメディア批判にあることに対して、テレビ局のプロデューサーが椅子にふんぞり返った態度でカット、カット、カットみたいに権力的態度をとっていますが、今のメディアの問題はそういう対立関係ではないでしょう。むしろ、制作する、この映画では由宇子の立場にある人たちの問題ではないかと、その内部を知らない者の勝手な想像ではありますが、そうと考えなければ考えられないような報道が充満しています。この映画のメディア批判は現実的ではありません。

とにかく、由宇子の取材は、自殺した教師の母親に続き、さらに上に書きました姉に広がっていきます。母親は、ネットで個人情報がさらされ、住まいを転々と替え、気配を消すように暮らしています。

その娘であり、教師の姉が後にまったく別に取材を受ける理由もよくわかりません。ひょっとして私が見間違えていますかね。

批判ばかりで申し訳ありませんが、いずれにしても、あの取材では番組はできないでしょう。浅いです。

そして同時進行で由宇子の父親が経営する学習塾の物語が進行します。ふたつの物語が交錯することはありません。これも映画の厚みからしますと全く物足りないことです。

考えてみれば、こちらもあまり物語がないです。

ある日、由宇子が仕事から帰りますと、熟が騒然としています。小畑萌(河合優実)が吐いたらしく、生徒たちが掃除をしたりと慌ただしくしています。由宇子が自宅へ送っていきますと、住まいには貧困の気配が漂っています。父子家庭であり、父親には定職がなく、ガスは止められています。そして、萌からは妊娠しており、その相手が由宇子の父親であり、塾長の木下正志(光石研)と告げられます。

萌役の河合優美さん、「サマーフィルムにのって」のビート板(役名)ですね。この萌役、よかったです。現実感がありました。

由宇子は塾に戻り、正志にカメラを向け問い詰めます。正志は事実と認め、今度どうするかは一晩考えると答えます。ただし、シーンとしてそのはっきりした答えは描かれていません。塾をやめようとしたシーンもありますが、最後まではっきりしないままいきます。

その後、由宇子は知り合いの医師から闇で中絶薬を手に入れようとし、どこかよくわからないところで萌に診察を受けさせ、そして医師から子宮外妊娠であると告げられます。医師は手術の可能性も含め正規のルートで診察を受けるべきだと手を引きます。

由宇子に、自分のやっていることの欺瞞を考えさせるシーンがなくていいのでしょうかね。まさか春本雄二郎監督がこれを欺瞞と思っていないことはないとは思いますが…。

その後、萌を訪ねようとした由宇子は、その途中で塾の男子生徒を見かけます。男子生徒は、自分は萌と性的関係をもっている、萌はウリをやっている、萌は嘘つきだから信じるなと言われます。

萌の家庭は由宇子の存在により生活環境も、そして父子ともに精神的環境も好転し始めます。萌の父親は金銭的な養育能力がないだけで人物としては悪人ではありません。

そして、エンディングです。もうすでに書いていますが、番組の方は取材した姉から嘘だったと告げられ、何迷うことなく、即座に制作プロデューサーに理由は言えないが事実誤認があったから放映はできないと告げます。

後に、放映は中止になったと連絡が入りますが、まあ、あの事実を明かさず、他の理由をつけたとしても、局側が納得することはありえないでしょう。

そして萌の方です。由宇子が萌になにか隠していることはないか、男子生徒から聞いたよと問いただします。萌は車から飛び出していきます。

由宇子に萌が交通事故にあったと連絡が入ります。車の運転手によれば萌がふらふらと車道に出てきたと言い、目撃者は萌が病気のようだったと証言しています。駆けつけた由宇子に萌の父親は萌が妊娠していたと告げます。

ラストシーン、病院の駐車場で、由宇子は萌の父親に自分の父親がお腹の子の父親だと告げます。萌の父親は突如由宇子に襲いかかり首を絞めます。動かなくなった由宇子、萌の父親は去っていきます。しばらくして由宇子は息を吹き返します。

終わり。

他の人の視点を入れるべき

こういう、一見社会性のあるテーマの映画によくあるパターンで話のつくりが表面的すぎます。思いが強ければ強いほどその傾向が強くなります。

映画は時間に囚われた創造物ですので、どういう物語をどう見せていくかからは逃れられません。その結果でしょう。

どこかで思いとどまることが必要です。

シナリオに他の人の視点を入れるべきだと思います。

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