その手に触れるまで

ラストはどちらに取るにしても衝撃的。怖さだけが残らなければいいが…

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督、ほぼ3年に1本というペースが守られています。映画制作のプロセスが3年で出来上がっているんでしょうか、今回も2016年の「午後8時の訪問者」に続いての「その手に触れるまで Le jeune Ahmed(Young Ahmed)」です。

この兄弟監督、初期の頃はドキュメンタリーで撮っていたのですが、1990年頃からはドラマで撮るようになり、ほぼすべての作品がカンヌに出品されています。パルムドール2回受賞を始め、グランプリ、脚本賞、俳優賞など受賞も常連の監督です。この映画も昨年2019年に監督賞を受賞しています。

その手に触れるまで

その手に触れるまで / 監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

その撮影手法が特徴的です。また一貫しています。

それはある人物を追い続けるということです。ドキュメンタリーに多い手法であり、それにより、つくりはシンプルなのに緊迫感あふれるドラマとなり、いつの間にかスクリーンから目が離せなくなります。

この映画もそうで、追い続けられるのは13歳のムスリム、アメッドです。

アメッドは母親と兄と姉と暮らしており父親はいません。父親がいないことに特別意味づけがされているわけではありませんが、母親が一度アメッドにとって父親が不在のことを嘆くシーンがあります。また、従兄弟が何らかの宗教的事件に関わったことがあるらしくそれに関連して心配する台詞もあります。

アメッドは映画の始まりからすでに厳格なムスリムです。母が毎日飲むワインをアル中(みたいな訳だった)と侮辱し、姉の服装を咎め、礼拝を欠かすことはありません。兄も一緒に集団礼拝に通いますが世俗的なムスリムです。

母親によればついひと月前まではゲームに夢中だったアメッドですが、集団礼拝に通っているイスラムの導師に影響をうけて厳格なムスリムに変わっています。インターネット上の導師にも傾倒しています。

アメッドはジハード的な価値観を持ち始めているようで、そのターゲットとなるのが教師のイネスです。女性であるがゆえに大人のムスリムは女性に触れないなどと言ってさようならの握手も拒否します。

この映画、ベルギーの話なんですが、アメッドの通っている学校はイスラムの学校のようで、イネス先生はアラビア語を教えるために歌を使おうとします。シーンとしては保護者会のような場でコーランで覚えるべきだとか歌なら入りやすとかいろいろな意見があり、アメッド自体はその場で積極的に発言するわけではありませんが、アラビア語を歌で教えるなど冒涜的だとジハードの対象とみていくようになります。導師がその気持ちを後押しするように煽ります。

そして事件が起きます。アメッドはナイフを忍ばせイネス先生を訪ね、襲いかかります。しかし失敗します。

アメッドを演じているイディル・ベン・アディくん、オーディションで選ばれたようで映画初出演です。演技を感じさせない自然体でほとんど表情も変わらないところが却ってリアリティがあります。

この兄弟監督の映画は少年の話が多く、「イゴールの約束」「息子のまなざし」「ある子供」「少年と自転車」がそうですが、そのどれも自然体の少年を撮るのがとてもうまいです。

映画はここまでが前半、その最後のシーンではアメッドが例の導師のところへ行くも、自首しろ、自分がやれといったわけじゃないなどと逃げていました。こういうところを見せたいという意図もあるのでしょう。

後半は少年院のシーンです。

少年院は当然それなりに厳しいのですが、ムスリムとしての人権は守られ礼拝(時間が決まっている)をしたいと言えば優先されます。また矯正プログラムとして農業(酪農)体験がありますが、たとえばアメッドが動物を嫌がればそれを強制するというものではなく自主性にまかされています。

で、アメッドがこの後どうなっていくのかが映画の焦点ですが、見ていても一向に先が読めません。でもどんどん引き込まれていくことになります。この監督の映画はどれもそうで、この先どうなるんだろうとか、そうしたドラマ性に惹きつけられるのではなく、とにかくカメラが追う人物に注視してしまうという感じです。

母親が面会に来ます。母親はやや興奮状態ですがアメッドは何を考えているのか、特に変わるところなく冷静です。母親が、イネス先生が面会に来たいと言っていると伝えます。アメッドは断ります。

どれくらいの期間があいたのかわかりませんが後日、アメッドの方から会いたいと教官に伝えます。会うまでの間、なんとアメッドは歯ブラシだったと思いますが、床にこすりつけて先を尖らせ凶器にしようとするのです。

正直言って、えー!そっちへいくのか!とびっくりしました。

そして面会の日、母への別れの手紙を教官に託し、イネス先生を待ちます。しかし、イネス先生はアメッドの姿を見て記憶が蘇ったのでしょう泣き崩れてしまい面会は中止になってしまいます。

アメッドの表情はまったく変わりません。教官に託した手紙も冷静に取り戻して周りには一切気づかれません。

ちょっと怖くなります。

酪農体験が続いています。アメッドも少しずつ変わってきたようでそれなりに一生懸命働いています。体験を受け入れている家族には同世代の少女ルイーズがいます。ルイーズはアメッドに最初から気になっていたと言い、私のことは好きかとかキスしていいかと積極的に迫り、実際にキスします。

アメッドはルイーズを突き飛ばします。そしてルイーズにイスラムに改宗するかと半ば強制的に迫ります。ムスリムの妻はムスリムでなくてはいけないという厳格な宗教性と恋愛に対する幼さの表現だと思います。ルイーズはきっぱりと拒否します。

そして農場から少年院に戻る帰り道、教官の隙きをみて車から飛び降り逃げます。町に戻りある建物に忍び込みます。はっきりしませんでしたが学校だと思います。

アメッドは凶器になるものを探します。壁から鍵状になった大きな釘を抜き取ります。そして壁によじ登り、2階(か3階?)の扉(のようなもの)につかまろうとしたその時手にとったものが崩れ落ちアメッドも地面に叩きつけられます。

地面に仰向けに横たわるアメッド、頭から血が流れています。動けないようです。少しずつ少しずつ体をずらし、建物に近づきます。そして持っていた鍵状の釘を壁に叩きつけ音を鳴らします。

イネス先生が出てきます。アメッドと叫び、大丈夫!?と叫び、手を取り、そして救急車を呼びに行き、映画は終わります。

んー、アメッドはどうするんでしょう?

確かに身体的衝撃が何かを変えることがありますが、ここまで思い込んで自分にとってのジハードを決行しようとしたのですからあるいは…とも思いますし、少なくともこれまでのこの監督の映画を見る限り人道主義者なんだろうと思いますのでアメッドも変わっていくのかもしれません。

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督がこの先に何をみているのか、私にはわかりません。この監督の映画ではそう感じるのは初めてです。これまではどんなに厳しい状況でも最後は救いの手が差し伸べられていましたので同じように受け止めれば気持ちも安らぎますが、あまりにも唐突なラストシーンですのでなにがしか引っかかるものがあるラストシーンです。

ベルギーでは、ここしばらくはニュース(日本への)もありませんがしばらく前まではかなりIS関連のテロのニュースが報じられていました。そうしたことが背景にあっての映画ですので、ベルギーやフランスでの受け止められ方と日本とでは随分違うとは思いますが、いずれにしてもかなり衝撃的な映画です。

午後8時の訪問者(字幕版)

午後8時の訪問者(字幕版)

  • 発売日: 2017/10/06
  • メディア: Prime Video