スパイの妻

蒼井優は若尾文子になれたのか?

不思議な映画です。なぜこんな昔くさい映画を撮ったのでしょう?

ドラマの内容ではありません。映画のつくりがです。

スパイの妻

スパイの妻 / 監督:黒沢清

今年2020年のヴェネツィア映画祭で最優秀監督賞(銀獅子賞)を受賞しています。なのに「劇場版」となっていますので、え? と思ったのですが、今年の6月にNHKのBS8Kで放送されたもののようで、さらに「劇場版」であれば再編集版かと思いましたらそうでもなく、映画.comによれば「スクリーンサイズや色調を新たにした劇場版」だそうです。確かにNHK8K版が114分、劇場版が115分ですので同じです。

最初から劇場公開も視野に入っていたんでしょうか? あるいは何らかの理由で映画祭に出品することになり、受賞したので劇場公開という流れなんでしょうか?

何をもって昔くさいと言っているか、もちろん古臭いと言っているわけではありませんが、現代的意味においては物語がかなり薄っぺらいですし、人物、特に聡子が同じく現代的意味において生きている感じがしません。

あるいは溝口健二から増村保造につながる女性を描こうとしたのに…ということかも知れません。

ネタバレあらすじ

1940年、すでに日中戦争は泥沼化(下図)し、翌年12月には日本が米英に宣戦布告するという時代の話です。映画の中で福原優作(高橋一生)が満州に渡り、新京はすごい活気だと言っていたのは日本の傀儡である満州国の首都です。もともと長春という町で日本の敗戦後は長春に戻されています。

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優作は神戸で貿易会社福原物産を経営し、考え方も自分のことをコスモポリタンと語るように当時の社会にあっては自由人で官憲から目をつけられやすい人物です。六甲の麓(かな?)の瀟洒な洋館に妻聡子(蒼井優)と暮らしています。聡子を女優に見立てて趣味の映画を撮ったりしています。

優作の取引相手の英国人ドラモンドがスパイ容疑で憲兵隊に逮捕されます。憲兵隊の隊長津森泰治(東出昌大)が優作のもとにやってきます。泰治は聡子の幼馴染で優作とも知り合いです。泰治は優作に聡子のためにも言動には気をつけたほうがいいと忠告にやってきたのです。後日、ドラモンドは優作の口利きで釈放され上海へ出国していきます。

優作が今のうちに大陸を見ておきたいと甥の竹下文雄を連れて満州に渡ります。聡子は優作の帰国を待ちわびる日々ですが、泰治と偶然出逢えば家の方にいらしてと誘い、舶来のウイスキーを振る舞ったりします。

優作が帰国します。聡子は気づきませんが草薙弘子という女性を隠すように伴っています。

福原物産の忘年会、優作は20人もいようかという社員に砂糖と米を振る舞うという豪勢さです。その席で甥の文雄が小説を書くことに専念したいので退社し、優作の常宿である有馬の旅館に籠もると宣言します。

有馬の旅館で仲居として働いていた草薙弘子が死体で発見されます。聡子は泰治から弘子は優作が満州から連れてきた女だと知らされます。

聡子は優作の愛人ではないかと疑い優作を問い詰めます。優作は私を信じないのか、私は嘘はつけない、だからもう何も聞くなと言います。聡子は真相を知ろうと有馬に文雄を訪ねます。問い詰めようとする聡子に文雄はあなたは何もわかっていないと言い、優作に渡してほしいと包みを渡します。

聡子は優作を問い詰めます。優作はことの真相を話します。

満州では関東軍により中国人を使った人体実験が行われている、看護婦(時代物ゆえの表記)の弘子はその事実を記録していた、これがそれだ、と包みを見せます。文雄はその記録を英訳していたのであり、優作はこれを持ってアメリカに渡り世界に告発するつもりだと告げます。

聡子は、それは売国行為であり、そうなればスパイの妻となってしまう私はどうなるのと優作を責めます。

聡子は金庫から文書を盗み出し、また金庫にフイルムを発見して映写してみます。驚愕の表情の聡子ですが、なぜかその後文書を持って泰治に密告します。文雄が逮捕されます。拷問されますが優作の関与は否定し続けます。

一旦は拘束された優作ですが嫌疑が晴れたのか解放されます。優作は聡子を問い詰めるも、聡子は英訳は渡していないのでこれを持ってふたりでアメリカへ渡りましょうと言います。優作が原文がなければ誰も信じないと言いますと、聡子はフイルムがありますと言い、ふたりでアメリカにわたることになります。

優作と聡子は危険を避けるため別々に行動することにし、聡子は優作が手配した貨物船の積み荷の箱に入って渡航することになります。そして手はず通りに貨物船に乗り込んだ聡子ですが、出港直前に憲兵隊に踏み込まれ持っていたフイルムとともに拘束されてしまいます。

押収されたフイルムが泰治が指揮する憲兵隊で映写されます。しかしそこに写っていたのは優作が趣味で撮影していた聡子を主人公にしたスパイ物語です。聡子は唖然とし狂います。あるいは狂ったふりをします。

優作が笑みを浮かべ悠々と帽子を振りながら船で去っていきます。

1945年、精神病院、多くの女たちが横たわる中に聡子の姿があります。面会に来た者が優作をインド(だったかな?)で見かけたとの話があると伝えます。空襲があり、病院は焼け、開け放たれ、聡子は廃墟の中をさまよい歩いていきます。

そして海辺、聡子が狂ったように叫びながらうち崩れます。

優作はインド(かな?)で翌年(だったか?)死亡したと伝えられているとスーパーで流れます。 

薄っぺらい物語のつじつま合わせ

あらすじを書いていても、特に後半など、重要なシーンがカットされているのではないかと思えるくらい意味不明です。

そもそも軸となっている関東軍(731部隊)の人体実験の事実を世界に告発しようという世界史を変えるような大層な物語なのに、それをわずか数人の登場人物で進めようということ自体が現代的意味では考えられません。

優作が満州から連れ出した弘子は国家機密を有する731部隊で働く看護婦です。その施設から逃げて来ているわけですが、映画はそんなことには見向きもしません。

文雄も文雄です、翻訳が終わったので優作に渡してくれって聡子に渡していましたが、あなたは何もわかっていない!と叫びながらそのわかっていない人にいつでも中が見られる状態で渡しています。現代のドラマならコメディのパターンです。

聡子から告発文書を見せられた泰治、一地方の憲兵隊長が関東軍の人体実験のことなど知る由もないでしょう。それなのに上官に報告することもなく一憲兵隊長のレベルでことを進めるなどありえません。

物語に説得力を持たせようとの意志がないことの現れです。

ちょっとやりすぎているのが草薙弘子です。あっけなく殺されてしまっています。少なくとも物語の本筋に関わっているのであれば報われもしますが、なんと! その弘子を殺したのが旅館の主人だとか? 暴行して殺したって? 可哀想すぎます(笑)。殺さないと物語を前に進められないということだと思いますが、つじつま合わせのために物語と関係のない理由で殺すってちょっとばかりやりすぎでしょう。

ああもうひとつ、聡子が乗り込んだ貨物船の船長と船員の陳腐さといったらありません。どう考えてもマジでやっているわけがありません。

こうした首をひねるようなことが無茶苦茶多い映画です。上げ始めたらきりがありません。

なぜでしょう? 素人じゃないわけですからそんなことは百も承知でしょう。

おそらく映画の狙いは聡子という人物を描くことだったんだと思います。結果として聡子は意味不明は人物になってしまっていますが、シリアスにするのであれば葛藤、強く生きる女性を見せるのであればしたたかに、そのどちらかの聡子を描くつもりだったのだと思います。

浮かび上がってこないスパイの妻の人物像

それは成功しているのか?

残念ながら聡子という人物がいっこうに浮かび上がってきません。

聡子の内省的なシーンがまったくありません。演出なのか、蒼井優さんの自発的な演技なのか、聡子は早口で喋りまくります。何を考えているのかまったく見えてきません。

それならそれでいいでしょう。でもそうなら映画の流れの中で聡子という人物が何を考えて行動しているのか見せていくべきです。聡子は断片的にしか描かれていません。

映画が始まってしばらくは聡子の映画だとはわかりません。優作の映画にみえます。優作が自由でコスモポリタンであることが強調されたシーンが続きます。聡子はどうであったかと言えば、その時代の多くの女性がそうであったであろう男性の付属物のような描き方がされています。何の疑問も抱かず夫の庇護下で生きているかのような聡子です。

幼馴染の泰治に無垢で無邪気さからくるような対し方のシーンを唐突に入れています。

泰治から優作と弘子のことを聞かされれば嫉妬の態度を見せたりします。

弘子への嫉妬なのか、いとも簡単に優作を裏切ります。

その後優作と対峙するシーン、本来ならばかなり複雑でしょう。聡子に裏切られたにもかかわらず優作の態度も理解できませんが、ん? まさか優作はそこまで計算していた? それはないですね、それですとやっぱり優作の映画になってしまいます。で、優作と対峙するシーン、聡子は優作を裏切りつつ、あなたと一緒にいることが幸せと言います。

こうした複雑な感情があると思われるシーンに流れが感じられません。

最後には優作に裏切られる聡子です。その感情を表現できるシーンがないにしても、5年後の聡子の平常心はまったくいただけません。

で、精神病院からさまよいでて、海辺で慟哭する聡子という唐突な幻想シーンです。

失敗の原因は俳優? 監督?

ということで、溝口健二から増村保造につながる女性を描く試みは失敗しています。

で、思い出すのが濱口竜介監督の「寝ても覚めても」です。

濱口竜介さんはこの映画に脚本として参加しています。

聡子は、この「寝ても覚めても」の朝子によく似ています。上の記事では「新しい女性像」と書いていますが、朝子は男目線で見ればころころと変わる人物です。なのにその男目線を拒否する何かが映画の中の朝子にはあります。

聡子にもそれが求められた映画ではないかと思います。

ある時はスパイの妻は嫌だと言い、しかしまたある時は私はスパイの妻ですと目を輝かせて言う、あたかも気まぐれにみえながらもその奥に優作の独りよがりで強圧的な考え方を拒否する聡子、また幼馴染の泰治、憲兵隊の隊長である男を翻弄するかのような行動をする聡子、この映画にはそうした聡子が必要だったんだろうと思います。

黒沢清監督の映画を思い返してみれば…

なぜこの映画が失敗しているのか(ペコリ)?

まったくの想像ですが、これまで何作か見てきた印象で言えば、黒沢清監督はあまり細かく俳優を演出する監督ではないのではないかと思います。

それを一番感じたのは海外作品の「ダゲレオタイプの女」です。レビューにも書いていますが俳優たちが自分の役どころを理解しているようにはみえないのです。

逆の意味でよかったと感じたのは全て俳優がよかったと感じています。

旅のおわり世界のはじまり」の前田敦子さん

散歩する侵略者」の長澤まさみさんと長谷川博己さん

岸辺の旅」の深津絵里さん

ということで、かなり個人的な受け取りが入ったレビューになりました。

いずれにしても、薄っぺらい物語なのに人物、特に聡子が生き生きとしていたと感じられなければこの映画の持つ意味はないでしょう。

旅のおわり世界のはじまり

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寝ても覚めても

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