「皮膚を売った男」ネタバレレビュー・あらすじ:人種差別、人身売買。エンターテインメントか、社会批判か

よく練られたシナリオに作り込まれた映像、面白い映画です。

ただ、批評性をもったテーマですので、エンターテインメント性が強い分、つくり手自らにその批評性がはね返ってくるのではないかと思います。

監督はチェニジア出身のカウテール・ベン・ハニアさん、2005年くらいからドキュメンタリーやショートの作品がクレジットされており、劇映画は2作目のようです。

 

皮膚を売った男

皮膚を売った男 / 監督:カウテール・ベン・ハニア

 

 

プロットはアート作品から

監督自ら語っていますが、この映画はベルギーのコンセプチュアル・アーティスト、ヴィム・デルボア(Wim Delvoye)さんの「Tim」という作品がベースになっています。

 

インスパイアではなくベースと書いたのは、作品から発想されたというよりも作品にまつわる物語自体が映画に使われているからです。

 

「Tim」はタトゥーのアート作品です。画像はデルボアさんのサイトにあります。画像は転載できませんのでリンクです。マリア像にドクロや中国風の鯉に乗る少年があしらわれています。

 

作品はタトゥーであると書きましたが、正確に言いますとTim Steinerさんというタトゥーパーラーのマネージャー(オーナー)の背中に彫られたタトゥーです。

 

BBCによりますと、ヴィム・デルボアさんが自分の作品をタトゥーに入れてくれる人物を探していたことにシュタイナーさんが応じたということらしく、その後「Tim」はドイツのアートコレクターに150,000ユーロ(2400万円/2008年)で売られ、シュタイナーさんはその1/3を受け取っています。

そしてその契約ではシュタイナーさんは年に3回ギャラリーに座ることが義務付けられており、死亡したときにはタトゥーは剥がされて額に収められるということです。

 

かなり悪趣味な話ですが、シュタイナーさんは日本にはそういう(タトゥーを剥いで残す)歴史があると言っています。そうなんですかね?

 

それはともかく、このシュタイナーさんの話は映画で使われているプロットそのままです。ひとつ違うのはそのタトゥーを入れた人物がシリア人であり、政治的迫害によって引き離された恋人と会うためにタトゥーを入れることに同意したということです。

 

ロアルド・ダール「スキン」

なお、ロアルド・ダールに「スキン(skin)」という短編小説があり、デルボアさんはこの小説にそれこそインスパイアされているという話もあります。本人がそう語っているかどうかはわかりません。

 

その「スキン」は、あらすじを読みますとちょっと恐ろしい話で、むしろこれを映画化したほうがよかったのでないかと思うくらいのゾクッとする話です。

1946年、ホームレスの老人がギャラリーに展示されている絵の署名を見て驚きます。その名前は、30年前に老人の背中に絵を描き、それをタトゥーにしてサインまでした男の名前なのです。

30年前、老人はタトゥーパーラーを経営しており、出入りしていた絵を描く少年に自分の背中に絵を描いて欲しいと願い、その少年は老人の妻に恋をしていたために妻の絵ならと引き受けます。そして老人はそれをタトゥーにします。

その後、少年は音沙汰がなくなり、また妻も第二次世界大戦中に亡くなり、自分もタトゥーパーラーがうまくいかなくなりホームレスになっていたのです。

老人はギャラリーに入ります。しかし、みすぼらしさゆえにスタッフに放り出されます。老人はスタッフの前で上着を脱ぎ背中を見せます。彼らは画家の名のサインを見て驚き、その話を聞きつけたコレクターからいろんな話が舞い込みます。ある者は皮膚移植の手術代を負担すると申し出、また別の者は自分の客に見せるだけでいいと言います。老人は後者を選びます。

そして、その後まもなく、ブエノスアイレスでその画家のサイン入りの奇妙な絵が売りに出されたということです。

 

 

ネタバレあらすじ

あるギャラリー、現代アートの巨匠ジェフリーが作品の展示の指示をしています。

 

と書いてしまいますと何でもないシーンですが、かなり凝ったつくりのシーンになっています。言葉で伝えるのは無理ですので見てもらうしかないのですが、鏡を使った二重映像を模した画のつくりになっており、真っ白な空間の中をふたりの男が展示するための額を運んでいます。遠くにぼんやりと人影が浮かび、やがてそれはジェフリーとわかります。ジェフリーが歩くたびにその姿が鏡に写っているかのようにもうひとりのジェフリーが現れ、それがあっちからこっちからと次々に現れます。真っ白な空間が仕切りのない迷宮のように見えてきます。

 

こうしたアートっぽいシーンづくりが各所でなされています。特に後半はタトゥーの展示シーンが多くなりますのでかなりアートっぽさを意識しているようです。

 

サムとアビール

シリアです。サムとアビールがバスに乗っています。ふたりは愛し合っています。サムがアビールの肩に手を置こうとしますと、アビールが知り合いに見られたら困ると言います。アビールの家は裕福(あるいは政権側)のようでアビールには外交官の男との縁談があるようです。

 

サムは突然立ち上がり「革命だ!(あとの台詞は忘れましたが、要はアビールとのことを公表し結婚したいことの表現)」と叫び踊りだします。アビールもそれに応えます。バスの乗客も立ち上がり祝福します。

 

サム、逮捕されレバノンへ脱出

サムが逮捕されます。「革命だ!」の言葉が反政府側と認定されたようです。しかし、尋問の場で尋問官が同郷だからと逃してくれます。

 

このあたりの展開はトントントンと進めています。結構うまく出来ており気にはなりませんが、結局、この映画はそうした政治的なことに焦点をあわせていないということです。監督もインタビューで語っていますがエンターテインメント重視です。

 

サムがアビールの家にかけつけます。アビールは外交官との結婚話が進んでいるようです。アビールはそれに従うしかないということなんでしょうが、今どきの映画には珍しく女性に意思が持たされていません。

 

サムはレバノンへ脱出します。

 

サム、アートになる

レバノンでは在住許可もないわけですから碌な仕事もなく、パーティー会場に忍び込んで食べ物をあさる毎日です。

 

ある日、アート関係のパーティーに忍び込みます。ジェフリーのマネージャー(かな?)のソラヤ(モニカ・ベルッチ)に問いただされ追い出されます。しかし、ジェフリーが声をかけてタトゥーの話を持ちかけてきます。

 

サムは、美術館での展示と引き換えにベルギーのビザ取得や1/3の報酬の契約を交わします。契約には死後皮膚が剥がされ額に入れられることも含まれています。ベルギー行きの希望は、アビールが結婚し外交官の夫とともにベルギーにいるからです。

 

そして、サムは背中に「VISA」とタトゥーを施されたアート作品になります。

 

f:id:ausnichts:20211114173010j:plain

 

サム、展示に苛立つ

ベルギーでの宿泊は5つ星ホテル(多分)です。ただ、サムにとってはそんなことが引き換えになるようなことではなく屈辱的なことです。

 

これがプロットのもととなっている「Tim」のティム・シュタイナーさんとはやや違うところで、シュタイナーさんは動かないでいることの肉体的な苦痛には触れていますが、精神的なことについてはなにも語っていません。もちろんシュタイナーさんにはタトゥーはアートであるとの思いがあるからだとは思います。

 

サムは徐々に苛立ち荒れていきます。とは言うものの、実はそれほどでもないのです。これがこの映画がエンターテインメント以上に深まっていかない理由でもあるのですが、サムがシリア人であり迫害を受けて国外に逃れ、それがために皮膚を売ることになったことには、難民、人種差別、人身売買などの人権問題が浮かび上がってこなければサムをシリア人にする意味はないのですが、サムを演じているヤヤ・マヘイニさんの演技が単調なんです。

 

マヘイニさんは弁護士でもあり、演技経験は多くないようですが、監督がオーディションで選んだとのことです。

 

その代わりというのもなんですが、映像としてはいろいろ凝ったシーンが多くアートっぽさが強調されています。

 

f:id:ausnichts:20211114174850j:plain

f:id:ausnichts:20211114174900j:plain

 

アビールの夫、キレる

レバノンにいたときもそうですが、サムとアビールはスカイプで交流を続けています。アビールは夫に隠れてやっているようですが夫は知っています。また、サムはベルギーに来たことをジェフリーの絵の管理をしていると嘘を言っています。

 

サムが美術館の展示品になっている時、夫がアビールを連れてやってきます。お前(アビール)が思い続けている男は皆の見世物になっていると見せようとしたのでしょう。サムと夫の取っ組み合いとなり、その勢いで夫は展示されているジェフリーの作品を叩き壊してしまいます。

 

このあたりからはもう完全にエンターテインメント路線に走ってラストまで行きます。

 

エンターテインメント路線でラストへ

ジェフリーの作品はすぐに高額の値がつくほどのものです。夫の賠償責任の問題になります。アビールがサムのホテルに夫を助けてほしいとやってきます。サムは、お前の夫は妻を他の男の寝室に送るのかと静かに怒ります。アビールは帰っていきます。

 

ただ、サムは美術館の担当者(ヴィム・デルボア演じる保険屋だったか?)との駆け引きでアビールの夫への告訴を取り下げ示談で済ますよう取り計らいます。

 

また、ジェフリーの作品であるサムのタトゥーはオークションでスイスのコレクターに落札されます。調べていませんが、スイスではこの行為が人身売買に抵触しないということのようです。

 

シーンの前後に記憶がありませんが、アビールの夫の法廷の場(違うかも…)で、サムの滞在許可が切れていることが判明し、サムは強制退去となり、シリアへ送り返されます。

 

後日、インターネットでサムがイスラム国(ISIL)に射殺される動画が流れます。例の黄色い囚人服のようなつなぎを着せられ黒装束の男たちに射殺される映像を模したものです。

 

そして、映画冒頭のジェフリーがサムのタトゥーを額にしたものを展示するシーンに繋がります。

 

が、実は…

それはサムとジェフリーが仕組んだもので、サムの射殺の動画はフェイクであり、展示されようとしているサムのタトゥーはサムの皮膚を増殖させた再生皮膚に同じタトゥーをしたものであり、サムは夫と別れたアビールとともにシリアのラッカで暮らしているということです。サムはタトゥーは消そうと思っていると言っています。

 

人身売買、難民、人種差別

この映画にはヨーロッパにある(だろう)人種差別意識や人身売買(的)行為という社会問題が取り込まれています。

 

そうした問題に対して意識を持って関わっていくことは映画人としてのひとつ(あくまでも一つ)の重要な要素だと思いますが、これがなかなか難しいことで、たとえば日本で言えば、児童虐待や性的虐待といった描写を映画に取り入れればその問題を扱っていると好意的に評価されることもあるのと同じことで、この映画も、実は映画自体がその人種差別や人権侵害を批判しているわけではなく利用しているだけではないかとも見られる危険性もはらんでいます。

 

映画は、基本、エンターテインメントですので見てもらえなければ意味はなく(そうでもないかも)そのバランスがとても難しいものだと思います。