「たちあがる女」(ネタバレ)ベネディクト・エルリングソン監督の「地球温暖化」への強烈なメッセージ

「たちあがる女」なんてもんじゃないです。「Woman at War」まさしく「たたかう女」です!

ただ直球勝負ではなく硬軟織り交ぜて作られており、とてもバランスがよく、面白いですし、考えさせられますし、でもどうしたらいいんだろうと立ちすくむしかない今の私たちを的確に表現しています。

 

立ち上がる女

立ち上がる女 / 監督:ベネディクト・エルリングソン

 

ベネディクト・エルリングソン監督、1969年生まれですから現在50歳です。前作が長編デビュー作の「馬々と人間たち」(2013)ですので、監督としてはかなり遅めのデビューです。IMDbによりますと俳優さんでもあるようです。

そうした経験が生きているのでしょう、二作ともに映画がよく練られており味があります。

 

この映画のテーマは環境破壊、地球温暖化といったかなり現実的でシリアスな問題なんですが、そうしたメッセージ性はうまい具合に抑えられ見やすいものになっています。

 

まずはなんといっても音楽の使い方です。通常劇伴と呼ばれる、シーンの雰囲気や俳優の心情を表現する(補う)音楽の演奏がそのシーンの中で行われるのです。舞台では音楽劇(ミュージカルとは違う)というスタイルがありますし、映画でも俳優が演奏するものはありますが、この映画のように俳優とは別次元の存在として演奏家が登場するのは珍しいのではないかと思います。

たとえば冒頭のシーンです。アイスランドの広大の草原、主人公のハットラ(ハルドラ・ゲイルハルズデッティル)が弓矢(名称はわからない)を空に向けて放ちます。放たれた矢は送電線を越えて向こう側に落ちます。ハットラはその矢のもとに行き、繋がれた紐を引き始めます。その紐には金属ワイヤが繋がれており、当然送電線はショートすることになります。

ハットラの目的は、その送電線を利用しているアルミニウム工場の操業を停止させることです。狙い通り工場は停電し大混乱、おそらくハットラの抗議行動は初めてではないのでしょう、即座に警察のヘリが捜索を開始します。どのシーンから音楽があったのかは記憶していませんが、音楽をバックにハットラは逃げます。それを追ってカメラがパンします。すると、草原で演奏するスーザフォン、ピアノ、ドラムの三人の演奏家がフレームインしてくるのです。

 

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ハットラは三人の前を横切って走っていきます。ハットラにはその三人は存在しません。しかし、三人、この後ピアニストひとりになったりもしますが、一貫して音楽家たちにはハットラは見えています。さらにハットラを気遣ったり、時にはカメラ目線さえ送るのです。

 

ハットラの抗議行動は過激といえば過激、工場や政府の側からすればテロということになるのでしょうが、この音楽の扱いにより、映画の雰囲気は和らぎ、どこか寓話的にも見えてきます。演奏スタイルは、そのシーンによってアコーディオンが入ったり、ピアノだけであたったり、またウクライナ(理由はのちほど)の民族衣装を着た三人のコーラスも登場します。

 

映画について、公式サイトなどにはコミカルとかコメディという言葉もでてきますが、ハットラ自身にはその雰囲気はなく、思い込んだらとことんやる行動派のキャラクターです。ただ、ハットラを取り巻く人物や演出にはどこかとぼけた感じがあります。

 

ズヴェインビヨルン(ヨハン・シグルズアルソン)は、送電線をショートさせた後のハットラを助けます。匿ってほしいというハットラを最初は訝しく思うのですが、ハットラのおじいさんを知っており、あの人はお調子者で誰彼なくこのあたりの女に手を出していたからあんたとはいとこかも知れないとジョークとも本音ともつかないことを言って助けていました。

このおじさん、こうしたとぼけた味を出しながら、(映画の)最後まで幾度もハットラを助けます。

 

ハットラは合唱団の指導者をしています。それって生活の糧になるの? と思いますが、他には何もやっていなかったと思います。

その合唱団のメンバーに政府の職員(官僚?)バルドヴィン(ヨルンドゥル・ラグナルソン)がいます。バルドヴィンはすべてを知っています。合唱の練習の休憩中に、バルドヴィンがもう止めて欲しいと必死に説得するシーンがあるのですが、二人で別室に行くや二人ともに携帯を冷蔵庫に入れるのです。それも冷蔵庫の奥からアップで携帯が置かれるカットでです。携帯を使って監視していることは知っているぞというアイロニカルな意味あいのカットでしょう。

 

このバルドヴィントとのやり取りは物語を進めていく上で何度もあるのですが、合唱団自体や他のメンバーは本筋には絡んできません。ハットラが養子を迎えて母親になることを皆で喜ぶくらいです。

 

ウクライナの4歳のニーカとの養子縁組の電話が入ります。養子縁組を申し込んだのはハットラ自身が忘れているくらいの数年前ということもあるでしょう、さらに送電線事件でハットラの周りもやや穏やかならざる状況になっています。

 

ハットラは迷います。相談する相手は双子の姉アウサです。アウサはハルドラ・ゲイルハルズデッティルさんがふた役で演じています。

アウサはヨガのインストラクターをしています。スピリチュアル指向の人物で、ハットラの相談に親身で答えるよりも、自分が近々インド(だったかな?)の僧院に入るという話をしており、養子の話はそっちのけだったような印象です。それに対し、ハットラはやや批判的に籠もるのねみたいな会話だったと思います。

このシーン、記憶が曖昧なのは、これが伏線になっていることにまったく気づかず聞き流してしまったからで、後から、そう言えば何かそんなようなことを言っていたなあという程度の記憶です。この伏線を使った、ある種どんでん返しのようなラスト(前)が用意されています。

 

養子として迎える孤児を、中東やアフリカではなくウクライナとしているのは、ベネディクト・エルリングソン監督に何か思いがあるんでしょうね、多分。

 

ハットラは養子を迎えることを決心します。しかし、抗議行動は止めません。むしろエスカレートしていきます。というもの、企業や政府側がさらに計画を推し進めるために財政支援(だったかな?)を発表するからです。

 

ところで、ハットラの抗議行動がアルミニウム工場の何に対してのものかが私にはよくわかりませんでした。大きな枠としては環境破壊と温暖化だとは思いますが、具体的にどういう環境破壊であるかは描かれていなかったと思います。ただひとつ、その企業への中国資本の投資がひいては国のためになるという政府に対する抗議という意味合いは強調されていました。

 

ハットラは送電線事件の犯行声明のような抗議のビラを街中に巻き、さらなる抗議行動を決意します。

 

再び送電線に向かい、今度は爆薬で鉄塔を破壊します。何とか成功はするものの自身も手に怪我をしてしまいます。警察はドローンや赤外線温度探知を使ってハットラに迫ります。

 

考えてみれば、この映画、結構アクション要素も持ち合わせています。ハリウッドがジョディ・フォスター監督、主演でリメイク権を獲得したとの情報もありますが、その点が考慮されたこともあるのでしょう。ただ、ジョディ・フォスターには期待はしますが、ハリウッドではこれ以上の映画は出来ないでしょう(ペコリ)。

 

で、映画ですが、ここでもあのいとこモドキ(と字幕では言っていた)のおじさんの助けを得て危機を脱します。

 

ハットラは養子となるニーカを迎えるためにウクライナへ旅立とうと空港へ向かいます。しかし、空港では出国の際にDNA鑑定をやっています。鉄塔を爆破した際の怪我の血が致命的となっているということです。ハットラはその場を逃れますが、何も知らずインドへ旅立とうとした姉のアウサが逮捕されてしまいます。双子のDNA鑑定は難しいようです。

 

ん? 次への展開が飛んでしまっています。思い出せません(笑)。

 

要は、結局ハットラが逮捕され、アウサは釈放され、拘置所か刑務所か、ハットラが収監されています。アウサが面会にきます。いとこモドキのおじさんとの手はずで一瞬停電します。ハットラとアウサが入れ替わります。

ここであの伏線が生きてきます。アウサにしてみれば僧院に入るのも刑務所に入るのも修行という意味では大差ないということです。

 

そして、ハットラはウクライナへ向かい、ニーカと対面し、アイスランドに連れて帰るためにバスに乗ります。外は雨です。バスの行く手は次第に怪しくなり、道路は冠水、さらに一面水浸し、ついにはバスは立ち往生、この先は歩いてくれと降ろされてしまします。ハットラはニーカを抱え水の中を進みます。水は膝から腿へ、そして腰へ、でも乗客たちは引き返すことなくさらに進んでいきます。ハットラも必死にニーカを抱きかかえながら進んでいきます。

 

ベネディクト・エルリングソン監督の「地球温暖化」への強烈なメッセージです。

 

おそらくこのシーンはハリウッドではカットされるでしょう。

 

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