スザンヌ、16歳

女16歳、男35歳の恋愛を16歳の側から描く

スザンヌ・ランドン監督、現在21歳、撮影時は19歳くらい、この映画のシナリオ(のベース、多分)を書いたのは15歳、そして自ら、監督、脚本、主演という映画です。

両親は、ともに俳優のサンドリーヌ・キベルランさんとヴァンサン・ランドンさんです。

スザンヌ、16歳

スザンヌ、16歳 / 監督:スザンヌ・ランドン

16歳女子から見た年の差恋愛

この映画を一言でいえば、16歳の女性(女子高生ということ)と35歳の男性の恋愛映画ということになります。

さほど新鮮な題材でもありませんし、年の差恋愛という意味では、これまでも数多く描かれてきたテーマであるわけですが、この映画のなにが違うかと言いますと、それが16歳の女性の側から描かれた数少ない(初めてかも?)映画だということです。

2、30年前ならいざ知らず、2021年の今では、それが恋愛関係であるにしても、そうではなく錯覚であるにしても、その関係に16歳側の大人(になること)へのあこがれと35歳側の性的欲望という非対称性をみない者はいないわけで、#MeToo や映画界のセクシャルハラスメントの事実を重ねて見てしまうこともあり得ることだと思います。

スザンヌ・ランドン監督もそのことはよくわかっているようです。

ダンスによるフィジカル表現

この映画には、映像としての性的表現が全くありません。二人の間には唇へのキスもありません。

ラファエル(アルノー・ヴァロワ)からはスザンヌ(スザンヌ・ランドン)の手の甲へのキス、頬を合わせる儀礼的なキス、そして、うなじへのキスがありますが、これはカメラの反対側にしていますので性的な意味合いを薄めようとしているようにも思います。

スザンヌのラファエルを見つめる視線にも性的なものは感じられません。スザンヌははっきりと同年代と話すのが退屈だと言っています。意図的な設定だと思いますが、スザンヌに話しかけてくる相手に男の子はいません。同年代の男の子は退屈だと言っているわけではありません。スザンヌが見ているラファエルは「大人」であって「男」ではないということです。

ラファエルの方をどういう人物にしようとしたかははっきりしませんが、35歳という年相応のセクシーさがありますので、スザンヌを見つめる視線にも当然性的なものが混じってきます。ただ、ラファエルは、俳優という職業にであるか、今演じている役にであるかはわかりませんが、なにか気だるさを感じている人物となっています。

ラファエルの心情としては、スザンヌの気持ちを測りかねつつも自分自身の心の隙間にスザンヌがすっとはまり、次第に性的な意味も含めた対象として見始めているということだと思います。

そうしたふたりの関係を、スザンヌ・ランドン監督は、身体的接触を極力少なくし、常に一定の距離を保っての沈黙と目や表情で感情を表現しようとしています。

そして、ダンスです。

ラファエルが朝食を一緒に食べようと言い、カフェで待ち合わせします。ラファエルはスザンナがいつも飲んでいるグレナデンソーダとパンを注文し、並んで座ります。ラファエルはスザンナにクラシックは好きかと尋ね、ヘッドフォンをスザンナにかけ音楽を再生します。そしてふたりは、ヴィヴァルディの Stabat Mater に合わせてユニゾンでヴォーギング系(ちょっと違う)のコンテンポラリーダンスを踊ります。

このシーンがユニゾンであることにはおそらく意味があるのでしょう。

ふたりのダンスシーンは、もうワンシーン、俳優であるラファエルが出演している舞台上でのシーンがあり、そちらは男女のデュエットとして演じられています。

もちろんそれが直接的な性的行為のフィジカル表現というわけではありませんが、少なくとも、ふたりの関係性の変化の映画的な表現なんでしょう。ラファエルからスザンヌへの答えとも言えます。

そして、ラスト、スザンヌはラファエルのうなじにキスをして別れ(多分)を告げます。

大人へのあこがれ

スザンヌの思いが大人になることへのあこがれを越えることはありません。

自分の部屋には「バンビ」と「愛の記念に(Suzanne)」のポスターを貼っています。この2つの映画が同居するスザンヌです。両親や姉との家族のシーンが多く良好な家庭環境が示されることでも、スザンヌが子どもから大人へ成長しつつある段階であることがわかります。

自分の目で外を見始めているということでしょう。学校への行き帰り、見慣れた風景も違って見え始めます。

ラファエルは俳優であり、テアトル・ドゥ・アトリエ(Théâtre de l’Atelier)でピエール・ド・マリヴォー作「本気の役者たち(Les Acteurs de bonne foi)」のエラストを演じています。

Théâtre de l'Atelier (mars 2010)

Benchaum, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

スザンヌは学校の行き帰り、ラファエルを探すようになり、ある時、劇場に忍び込み、客席から稽古風景を覗き見ます。演出家がラファエルに木になれと指示する演出シーンを入れていることの意図は図りかねますが(笑)、これまでとは違った世界に足を踏み入れた感じは伝わってきます。その感覚は、実際に監督自身が過去に感じた感覚が再現されているのかもしれません。

劇場はラファエルの世界であり、上に書いた朝食のシーンを経て、その後、その世界へ導かれるように舞台に上り、ふたりでダンスをするということです。

その2つのシーンの間に面白いシーンがあります。ラファエルがデートに誘い、スクーター(ベスパ?)で迎えに来ます。ラファエルが乗るように促しますと、スザンヌはそんなことをしたら両親に殺される(字幕)と言い拒否します。

どういう意味合いかははっきりしませんが、スザンヌがある一線を越える意志がないことを宣言しているのかもしれません。

そして、ラファエルはスクーターを汗をかきながら(印象)引いていきます。かなり印象に残るシーンではありました。こういうところにセンスを感じます。

才能か、親の七光か

他に言葉が見つかりませんので親の七光りと書きましたが、そうであるかどうかはわからないにしても、やはりこの映画を撮ることができたことには両親の存在が影響しているでしょう。映画界にコネクションがなければ、この映画から想像されるシナリオでは映画製作までこぎつけることは難しいでしょう。日本であれば自主制作しかありえません。

ただ、だからといって非難されるものでもありませんし、何かしら才能は感じられますし、センスはとてもいいと思います。

エンドロール(だったか?)の曲はスザンヌ・ランドンさんが歌っているらしいですし、うまいわけではありませんがミュージカル風に踊るシーンもあります。

環境で人が育つという意味では、その多才さ(を感じさせるの)はそこからのものだと思います。

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