そんなには褒めないよ。映画評

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「洗骨」(ネタバレ)ラスト、洗骨&〇〇シーンの静かな盛り上げ方がうまいです

チベットの鳥葬という埋葬方法を知ったときは、驚きはしてもその文字からおおよそ想像はできたのですが、この洗骨というのは、骨を洗うことはわかっても具体的にいつどうやって洗うのかは想像できません。

 

洗骨

洗骨 / 監督:照屋年之

 

映画を見るとわかります。ちょっと驚きます。でも次第に厳粛な気持ちになってきます。映画のつくりがうまいです。

 

監督の照屋年之さん、名前を見てもわからなかったのですが、バラエティ番組をじっくり見たことがない私でもその顔と「ゴリ」という名前でなんとなくわかりました。お笑いだけではなく10年ほど前から主に短編ですが映画を撮っているようです。

10年前といいますとちょうど吉本興業が沖縄国際映画祭を立ち上げたころですので、おそらく何らかの関係があるのでしょう。

 

それはそれとして、この「洗骨」、シナリオも照屋さんとクレジットされています。映画としては丁寧に作られてはいますが特別特徴があるわけではなく、まあ普通(ペコリ)といったところですが、シナリオがうまいです。

ラストのクライマックスに向けてすべてのトピック(ネタ)が違和感なく収斂していきます。あざとさを感じさせずに実に自然にに収まります。

 

「洗骨」はどうやってやるのかといいますと、死者を棺桶に入れたまま4年間風葬にします。風葬といっても映画では海辺の洞窟に棺桶のまま収めていました。そして、4年後、白骨化した死体(骨)を親族で洗うということのようです。

 

映画ですので、棺桶も風化することなくそのままでしたし、死体も白骨化しているとはいえきれいに撮られていました。実際はあんなものではなくかなりきついものになっていると思います。

あまり見たいものじゃない、でもちょっと見てみたい、そして見てみたら、気持ちいいものではないけど我慢できなくはない、そんな感じの(映画として)いいバランスの画になっていました。

 

さらに、その厳粛さが極まったところで、優子(水崎綾女)に産気づかせ、一気に場の空気を変えます。ややドタバタ風なシーンも入れながら新しい命が誕生します。

 

ラストカットの赤ん坊の顔と洗骨した頭蓋骨の画は余計だと思いますが、命の循環、生と死、そして死と生がつながっていることがとてもうまく表現されていました。

 

このラストシーンから逆算されたシナリオかもしれません。

 

沖縄粟国(あぐに)島、新城恵美子(筒井真理子)の葬式です。夫信綱(奥田瑛二)は失意のせいか酒浸り風です。東京から長男剛(筒井道隆)が家族を連れて戻っています。名古屋で美容師として働いている長女優子(水崎綾女)は母の遺体を見つめたまま離れようとしません。叔母(大島蓉子)家族もいます。

 

冒頭のシーン、村人が弔問に訪れ帰るところなのでしょう。剛と叔母が玄関先で送っています。この時、村人が食べ物などあれこれ貰おうとしつこく帰ろうとしないことに対し、叔母はかなり長い間じっと直立不動で立っていたんですが、突然「帰れ!」(だったかな?)と怒鳴ります。

その立ち姿に何だか妙だな?と気になっていたんですが、こういうことだったんですね(笑)。うまいですね。この後、最後まで重要な役回りとなる叔母をワンカットで印象づけ、ストレートな物言いのぶっきらぼうな人物に感じられても、実は人の心をよく知るいい人だと感じさせます。

 

このプロローグ的なシーンでは、剛夫婦の間になんとなくよそよそしさのようなものを感じさせています。優子が母の遺体をじっと見つめたままということの意味はこの時点ではわかりませんでしたが、故郷を離れている寂しさや決して名古屋での生活が満たされているわけではないことの表現だったようです。

 

こういうところが、ラストシーンから逆算されたシナリオではないかと感じさせるところで、信綱が握りしめたまま離そうとしない恵美子の髪留めもそうです。ちらっと見せておいて後々へのドラマとしています。

 

そして4年後、洗骨のために皆が集まります。信綱は相変わらず酒浸りの様子で、ひとりで暮らす家は戸も開けられず荒れ放題です。その家の様子に叔母がびっくりして「戸も開けずに!」などと言っていましたが、さほど大きくない島に住んでいて、この叔母の性格なら毎日のように様子を見に来るのが自然じゃないのとちょっとはてなでした(笑)。

 

それはともかく、この信綱の不甲斐なさも、その姿に剛が辟易するというドラマづくりのひとつなんですが、その原因は恵美子の死だけではなく、以前工場を経営していてだめになったこともそのひとつのようです。これはもうひとつですね。ちょっと説得力にかけます。

 

洗骨の日までいくつかドラマが進行します。

 

まず、優子。ほぼ臨月のお腹をして戻ってきます。当然皆びっくりしますが、優子は一度しか言わない!ときっぱりしています。相手は店の店長で、なかなか馴染めない都会の生活でひとり寂しく、そんなとき店長だけは優しかった、子供ができたのは自分が安全日だと騙したからで、子供ができれば店長が離れていかないと思ったということです。

これ、見ているときはあまり気になりませんでしたが、今あらためて書いてみますと、これって多分男の発想ですね。違いますかね、どうなんでしょう?

 

で、このときも、あれ?店長がなんていっているのか言わないねと思っていましたら、ちゃんと答が用意されていました。店長(鈴木Q太郎)が訪ねてきます。

この映画、かなりお笑い系のネタが仕込んであり、実際何度も笑いが起きます。このキャスティングはボケのパターンだと思いますが、その登場時点でのツッコミはありませんでしたので笑いは起きず、え!?と感じさせていました。これも計算されたことでしょう。

店長が訪ねてきたわけは結婚の意志を固めて父親の許しを乞うためなんですが、そうしたドラマ的なことよりもこのキャラクターにボケ役を担わせるために登場させています。

 

こうした笑いの要素を入れているのはシリアス一辺倒で作ればベタになることがわかっているからでしょうし、仮にそう作られていたら最後まで持たなかったかもしれません。

 

剛は常に憂鬱さを抱えています。すでに離婚していてその言いづらさもありますが、一番は不甲斐ない父親の姿を見なくてはいけないことでしょう。あるいは同じ男であるがゆえにそこに自分自身の将来を見てしまうのかもしれません。

ある夜、信綱が泥酔し大怪我をします。優子とともに慌てて医者に担ぎ込み、怪我自体は大したことなくすみますが、抑えていた気持ちが爆発します。「工場の借金を子ども(自分)に払わせ、(なんとかで)おかあは死に、あんたはなんにもできない!(こんな感じ)」と信綱の胸ぐらをつかんで今にも殴りかからんばかりです。

 

ドラマの定石ですが、一度爆発してしまえば問題は解消します。翌朝、優子が恵美子の形見の髪留めをして台所に立っています。起きてきた信綱はその姿に恵美子の幻影を見ます。優子が作っているのは恵美子から教わったジューシー(沖縄の炊き込みご飯)です。皆で食卓を囲みます。涙を流しながらジューシーをかき込む信綱、それを見つめる剛の眼差しも優しくなっています。

 

他にもいくつかドラマが仕込まれていますが、いずれにしてもそれらがクライマックスの洗骨&出産シーンに集約されて気持ちよく映画は終わります。

なにせ優子は臨月ですので多分出産がキーになるんだろうとは予想していましたが、え!? そこでそうやって産ませるか! とちょっと驚きつつ、映画的なうまいオチだなあと感心しました。

 

ということで、実によくできた映画でシナリオのうまさが光ります。あえて言えば、信綱の掘り下げがないことしょうか。

 

監督としてもそつがありません。笑いのタイプはコメディではなく間合いタイプのボケツッコミですが、過度にならずほどよいバランスだったと思います。

 

「沖縄戦も描きたい」と語っているとの記事もあり、本当にそうなら期待したいですね。

 

洗骨 (1983年)

洗骨 (1983年)