そんなには褒めないよ。映画評

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「散歩する侵略者(DVD)」コメディ&シリアスさが面白い!長澤まさみと長谷川博己の演技が絶妙!

DVD鑑賞です。

喜劇だと気づくまでは、何!この陳腐な話!と、あやうくDVD(実際はBluray)を止めてしまいそうになりましたが、桜井(長谷川博己)が登場し、宇宙人に対する彼の受け答えの奇妙な余裕を見るにつけ、ああ、こういう映画なのかと、それ以降は随分笑わせていただき、不覚にもラスト近くではほろりとさせられたというわけです。

 

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公式サイト / 監督:黒沢清

 

黒沢清監督というのは、私の印象と世間の評価が一致しない監督のひとりで、なんだか映画の作りが荒いなあということをいつも感じます(ペコリ)。

 

このブログ以前の映画は「トウキョウソナタ」くらいしか見たかどうかも思い出せませんが、このブログに書いている映画で言えば「岸辺の旅」「ダゲレオタイプの女」「 クリーピー 偽りの隣人」、どれも同じような印象で、いいんだけれども点々々、みたいな結果です。

 

で、この「散歩する侵略者」、面白かったです。

 

以下、見ていないとまるでわからない話を書いています。

最初に書きましたように、始まってしばらくは、宇宙人が人間(だけではないようだが)の体を借りて地球を侵略するという話らしいと分かり、おいおい、そんなありきたりの話かい?と、何も知らずに、黒沢清監督だからと借りた私としては、相変わらずツッコミどころの多い荒い作りだなあ(ペコリ)と、やや借りた自分を後悔しながら見ていたのですが、加瀬鳴海(長澤まさみ)の登場で、ん? なんか奇妙だな? なぜ鳴海だけこんなにリアリティがあるのだ? 真治(松田龍平)への対し方に普通ならツッコミどころ満載なのに、なぜこんなにも違和感がないのだ? と不思議に思い始め、さらに桜井(長谷川博己)の登場にいたり、天野(高杉真宙)から「目的は地球の侵略」と聞かされ、「じゃあ、君は宇宙人?」と返すあたりの余裕の、何とも言えないうまい間合いに、やはりそのリアリティとの落差のようなものが感じられ、これは何かあるかもしれないと思いつつ、でも、明日美(前田敦子)が「家族」という概念を盗まれて取った変化に、概念を盗まれる(失う)とはそういうことじゃないだろうと、これはやっぱりダメかと、映画を見ながらググってみれば、「劇作家・前川知大氏率いる劇団「イキウメ」の人気舞台「散歩する侵略者」を映画化」とあり、前川知大氏といえばと、このブログを検索してみれば、あの「太陽」と同じだ! なるほど、こういう陳腐なネタの物語なんだと、しばらく割り切って見る覚悟を持ったわけです。

 

劇団「イキウメ」の舞台をまったく知りませんが、「太陽」ではバイオテロのウィルスによって人口が激減した後の地球の話でしたし、この「散歩する侵略者」も地球を侵略する姿形のない概念のみの宇宙人の話ですし、その基本のネタ自体は、映画であればハリウッドだって取り上げないだろうという陳腐さ(ペコリ)なのに、どうやらかなり評価は高いようで、何かあるには違いないのに、映画の「太陽」ではまったく何も感じられず、おそらく、演劇ですので構成と内容の持つトーンはあまり変わらないだろうと想像でき、仮にこの映画が原作とは異なったものであろうと、きっとその評価の高さの一端が見えるかもしれないとも思ったわけです。

 

結局、この映画の(私にとっての)面白さは、鳴海と真治、そして桜井と天野の会話の面白さです。

 

さらに言えば、それは、長澤まさみさんと長谷川博己さんのうまさに依るところが大きいと思います。

 

もちろん、そう作り上げたのは黒沢清監督ですので、その違いが監督の力の差ということになるのかもしれません。

 

とはいえ、やはり、内容が内容なだけに(笑)ツッコミどころはむちゃくちゃ多く、逆に言えば、中頃までは、あんたたち宇宙人はそもそも宇宙人という概念をどこから得たの? とか、「自由」という概念を奪われても痴呆のような状態にはならんだろうとか、太陽が真上にあるのにもう洗濯物しまうの?とか、宇宙人相手に自分が高卒だからと卑下すんなよとか、「仕事」の概念を失うと幼児化するのか? とか、そのツッコミも楽しくなってくるという映画です(笑)。

 

つまり、この映画は、喜劇とシリアスの微妙なバランスの上に成り立っているんだとわかってきます。それが、象徴的に鳴海と真治、そして桜井と天野の対比として表現されているのだと思います。

 

そうした「笑い」と「真面目さ」による劇構造は、笑いで引っ張り真面目さで感じさせという小劇場演劇以来の系譜でもありますので、(知らないけど)原作のことを考えればなるほどとも思えます。

 

ということで、後半にいたれば、(意味不明な)厚労省の(そんなものはないだろうけど)特殊部隊や自衛隊まで登場し、完全に現実離れした状況となり、大いに笑わせていただきながら、それがあるがゆえに、徹底して最後までシリアスな鳴海による「愛」が浮かび上がってくるということになります。

 

宇宙人なのに奇妙に真面目な真治、周囲がどんどん現実離れしていくにもかかわらずあくまでも現実的な笑える鳴海との会話、 

鳴海「本当に侵略するの?」
真治「そういう予定になっている」
鳴海「待てないの? 50年くらい。宇宙人なら」

 

一方、仲間への侵略開始の通信を送るという任務にひたすら真面目な宇宙人の天野、それを信じているのかいないのか言葉通りのフリーランスさでふざけてくれる桜井との会話、

天野「桜井さんって、家族いるの?」
桜井「いるよ、別れた妻と息子が。ちょうど天野くんくらいの年だっけ。忘れたよ。天野くんは?」
天野「家族?それに当てはまるものはいないけど仲間ならいるよ」
桜井「生まれ故郷に?」
天野「そいつらのためにもね、俺が頑張らないと」
桜井「へぇー」

 

と、むちゃくちゃ笑わせてくれるのです。

 

そして、その後、桜井は、(死んだ?)天野の代わりに自ら宇宙人に侵略開始の通信を送り、阻止しようとする(おそらく)自衛隊機の銃撃(爆撃)を受け死ぬのです。ここ、かなり面白く笑わせてくれます。

 

一方の真治を連れて逃げた鳴海、こちらはシリアスシーンです。侵略が始まったと告げる真治に、究極の「愛」を告白します。ここ、かなり恥ずかしいので言葉にはできません(笑)。

 

そして、 

「愛」の概念を鳴海から奪った真治「全部違って見える」
「愛」の概念を真治に奪われた鳴海「何にも変わらない」

 

で、宇宙人の侵略は一旦始まりますが、途中でやめて帰ったそうです(笑)。

 

ただし、映画は「愛は地球を救う」などとは言っていません。

 

二ヶ月後、ウィルス云々のオチがありますが、これはオリジナルの舞台でもあるんでしょうかね? なくていいんじゃないの? と思います。

 

それにしても、黒沢監督って、無駄な(と私には思える)エキストラを使いたがる監督ですね。通行人やらのエキストラの多いこと、「岸辺の旅」でその多さについてボランティアさんとかの絡みかなあなどと書きましたが、違いますね、この映画をみますと、監督の意志なんですね。

 

散歩する侵略者

散歩する侵略者