ロケットマン

エルトン・ジョンがミュージカルになる! が、ドラマは凡庸。

音楽ものはやっぱりドルビー・アトモスで見たほうがいいですね。特にこの映画は音楽以外に見るべきところがありませんので(ペコリ)。

これ、批判というわけではありません。音楽が良くってそれで映画が持てば、それはそれでいいのだと思います。

ロケットマン

ロケットマン / 監督:デクスター・フレッチャー

エルトン・ジョン(以下、全員さんなし)、もちろんまだ健在で、ウィキペディアによりますと現在72歳です。小説など文字媒体なら半生記というのは珍しくはないのですが、こうして映像で見せられますとどんな感じがするんでしょう。かえって、自分のことじゃなく感じるのかもしれませんね。

本人も製作総指揮(executive producer)としてクレジットされているわけですから、すべて了解されているのでしょう。むしろ、マネージャーのジョン・リードをひどい人間に描いているのは本人の意向が働いているのかもしれません。

この映画で見るべきところは、音楽、それもタロン・エガートが実際に歌っている生歌であるところと、そして、実際にワンカットかどうかはわかりませんが、歌とダンスのミュージカルシーンをワンカットで見せているところです。

これですね。


『ロケットマン』本編映像|「SATURDAY NIGHT’S ALL RIGHT FOR FIGHTING/土曜の夜は僕の生きがい」ミュージカルシーン

このシーンでもわかるとおり、この映画(の前半は)、かなりオーソドックスなミュージカルスタイルでつくられています。ドラマシーンでエルトンがピアノを弾いたり、歌い始めると徐々にトーンが変わり、父や母など共演者たちも歌い始めたり、あるいは一気に転調してダンスが加わる上の「Saturday Night’s All Right For Fighting」のようなスタイルです。

ドラマとしては新鮮なところはなく、こうした映画お決まりのパターンです。

「愛」に恵まれなかった少年時代、それゆえなのか、それでもなのか、開花する才能、デビューまでの(若干の)苦労、そして一気にブレイク、あとは、これまたお決まりの恋人との争いや仲間との仲違いがあり、ついには酒やクスリへ逃避し堕落していきます。

そうしたドラマづくりや音楽を前面に出している点でも「ボヘミアン・ラプソディ」と展開は同じです。ただ、こちらはラストの圧倒的な音楽がないだけに尻切れトンボ的に感じられます。

冒頭、ど派手な衣装のエルトンが今まさにコンサートのステージに登場していくかのような勢いで走ってきます。しかし、ドアを開けて入った先は更生施設のグループセラピーの場です。

ここ、私は吹き出しそうになりましたが、口を押さえて我慢しました(笑)。あとから思えば笑っていいところでした。

で、極端に場違いな格好(笑)のエルトンがパイプ椅子に座り、「私の名前はエルトン・ジョン、アルコール依存で、薬物依存で、セックス依存で、甘い物依存で、そして買い物依存だ」(間違っているかも)と語り始めます。

そして「愛が欲しかった」の言葉から少年時代(名前はレジナルド・ドワイトだが、以下エルトン)のシーンへと入っていきます。小うるさい母親とそれなりに優しい祖母とあまり帰ってこない父親と暮らしています。父親のキャラクターがよくわかりませんが、厳格ということなのか、エルトンがハグしたがってもしようとしません。こういうところにツッコミを入れるような映画ではありませんが、「愛への渇望」を映画の軸にしているのですからもう少しきっちり描くべきだと思います。

父親は、ある時点で出ていってしまいます。エルトンが成功してからもちょくちょく登場します。ただ、その時には再婚し二人の子供と幸せそうに暮らしており、それを見てエルトンが涙するといったシーンもあります。

幼い頃からピアノを弾き始め音楽の才能を見せ始めたエルトンに、(映画では)祖母が学校へ行かせようし、王立音楽院へ行くことになります。入学のエピソードとして、教師がピアノを弾いている部屋へエルトンが入りますと、しばらくして気づいた教師が演奏を止めてピアノを弾くように指示します。エルトンは教師が弾いていた曲を弾き始め途中でぴたっと止めてしまいます。教師が、続きは? といいますと、エルトンは、まだ聴いていないからと答えます。

学校でのシーンもほとんどなく、話はとんとんとんと進んでいきます。プレスリーを聴いて髪型をリーゼントにしたり、友人たちとバントを組み、アメリカからのグループのバックバントをやったりするシーンが入ります。

とにかくかなりのテンポで話は進み、ある時、音楽事務所の募集に応じた際に生涯の盟友となるバーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と出会います。バーニーの詩をみれば即座に曲が生まれるといった感じで次々に曲が生み出されていきます。

この頃エルトンは家を出てアパートメントを借りており、付き合っている女性もいたのですが、自分のセクシャリティに気づき始め、そのことを相手に打ち明けたために追い出され、実家へ戻ります。

そしてそこで名曲「Your Song (僕の歌は君の歌)」が生まれます。


Elton John – Your Song (Top Of The Pops 1971)

本当は成功するまでのこの時代をもっとしっかり描けば映画としての深みも出てくると思いますが、この映画は、成功した後、エルトンが堕ちていくところに重点を置いて、さらにそれをしつこいくらいに後半のほとんどを使って描いていますので、音楽映画としてのミスマッチ感が強く、見ていても飽きてきます。

で、後は、「LAの伝説的なライブハウス《トルバドール》」(公式サイト)での大成功を経て一気にブレイクします。このシーンも結構見ごたえがあります。

アメリカでの成功を収めたエルトンに、ジョン・リードという音楽マネージメントをしている人物が近づきます。このジョン・リードって人物は「ボヘミアン・ラプソディ」にも登場していた人物です。ふたりは恋に落ち、公私ともにパートナーとなり、一気にスターダムに駆け上がっていきます。

ということで、後は、エルトンが堕ちていくだけです。ジョン・リードには振られ、バーニーにも去られ、酒とクスリに溺れる毎日という映画です。このジョン・リードという人物、かなりひどい人物に描かれています。エルトンが了解しているということであれば、かなり恨んでいるということでしょう。正直なところ、こういうのっては見ていても嫌ですね。少なくともいっときでも自分が愛した相手を悪くいうのはダメですね。

とにかく、この後半が長くて、映画として面白くありません。

最後は、かなり曖昧に終わっていました。グループセラピーの場でも、最初のど派手な衣装ではなく、ジャージでシラフになっており、酒もクスリも断ち切り、再出発したという(ような)終わり方で、最後に、スーパーで、酒もクスリを断ったけれども、買い物依存だけは今も続いているとウケ狙いの終わり方をしていました。

前半はオーソドックスなミュージカルスタイル、後半は堕ちてしまったエルトンを執拗に描くというのでは、基本音楽映画であるのに、何ともまとまりのない結果になっています。

エルトンの音楽を効果的に使っているのですから、最後までそれを通すべき映画だったと思います。タロン・エガートンもバーニーをやっているジェイミー・ベルもとても良かったのですから、そこに重点を置くべき映画だったと思います。