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「楽園」(ネタバレ)事件は描いても人を描かず。吉田修一「犯罪小説集」を映画化

吉田修一さんの小説が映画化されたものはほとんど見ていますが、なかなか小説を越えるものが出ないです。吉田修一さんはどちらかといいますとストーリーテラーですので、物語を追っていくだけの映画では、ただ映像化しただけで終わってしまうからではないかと思います。

この「楽園」の原作は『犯罪小説集』という5編の短編を収録したオムニバスです。さて、どうなんでしょう。

 

楽園

楽園 / 監督:瀬々敬久

 

監督、脚本は瀬々敬久監督です。この監督のここ数年の映画はほとんど見ていますので、どういう映画を撮る方なのかはなんとなくわかるようになっています。

 

で、ほぼ予想通りの映画でした。原作に則って丁寧につくられています。もちろんオリジナルの部分もいろいろあるのですが、基本、原作の枠内の映画です。

 

原作の5編のうち、『青田Y字路』と『万屋善次郎』を構成してひとつの物語にしています。原作にはそれぞれ題材としている実際の事件があり、この二つにまったく関係はありませんが、映画化にあたりどう構成するかと言われたら、誰もがこの2篇を使おうと思うくらい、ロケーションの面でつながるものがあります。

つまり、少女誘拐事件が起きるY字路のその先に限界集落があり、そこで暮らす善次郎が村人殺害事件を起こすという物語です。

 

ただ、いくらロケーションで結びつけやすいといっても、もともと関連のない物語をわざわざひとつにするということはそこに共通するテーマというものがなければ映画になりません。

 

おそらくそれは、タイトルになっている「楽園」という言葉ではないかと思います。

 

少女誘拐事件の犯人と決めつけられ焼身自殺に追い込まれる豪志の母洋子がラスト近くに「ここ(日本)は楽園と思ってやってきた!」と叫びます。この洋子、映画ではその過去は語られませんが、どこかアジアの国から日本の農村の嫁としてやってきた人物で、その結婚も破綻し、その後は田舎の祭り会場でバッタもんを売る商いで暮らしています。

 

善次郎の方は、言葉としての「楽園」の表現はありませんが、若い頃から必死に働き、結婚するも妻を亡くし、母の介護のために田舎に戻り、母の死後は妻とのささやかな願いであった犬を飼い、村の活性化のために養蜂業を始め、ある種そこに「楽園」を妄想しています。

 

そして、そのどちらの「楽園」もまわりの人間たちの匿名の悪意によって破壊されます。豪志母子は日常的に差別に晒されており、豪志は住民たちの私刑的な行為によって自殺にまで追い詰められます。善次郎は村八分によって妄想の虜となり殺人へと走ります。

 

社会が犯罪を生み出すという視点でしょう。

 

と、書いてはみたものの、これは深読みです。そこまで突っ込んだ映画にはなっていません。

とにかく、この映画、もやもやとはっきりしません。そもそも原作自体が何だかよくわからない作品である上に、瀬々敬久監督はこういう映画作りをする監督です。丁寧であることは間違いありませんが、その丁寧さを隠そうとするかのように、たとえば二つの物語が同時進行しているとすれば、それを細かく切り刻んであたかも二つが関連しているかのように見せようとします。それにとにかくいろんな人物を登場させます。

 

原作のモデルとなっている(と言われている?)「北関東連続幼女誘拐殺人事件」 が未解決ということもあり、原作でも犯人が誰とも明かしておらず、あるいは豪志かもと思わせて終わっています。映画もまったく同じように終えています。

映画としては、物語を語っておきながらその結末をあきらかにしない(できない)というのは中途半端な印象はまぬがれません。オチがあるないがどうこうではなく、犯罪を描いてその犯人を明らかにしないのであれば、それに変わる何かがなければ映画にならないということです。

 

テーマかも知れない「楽園」はその役割を果たしていません。そこまで突っ込んだ描き方はされていません。であれば、残るは、軸となる人物でしょう。

 

可能性があったのは、誘拐された少女とY字路で別れた紡で、その12年後を杉咲花さんが演じていますが、残念ながらそこまで考えられた役柄になっていません。紡と豪志が心を通わせているのかなと思わせるシーンがあるのですが、唐突な出会いでもあり、もうひとつ意味合いがよくわかりません。ああしたシーンをもっと増やせばよかったのではと思います。

豪志が追い詰められていくところを紡が目撃し、何を思い、どう行動するかを追い、そしてまた、同じように、善次郎が村八分にあい疲弊していく様子を目撃させれば軸となる人物になり得たはずです。

 

善次郎の事件を目撃する人物には別の女性久子(片岡礼子)を置いています。離婚し実家に戻っているという設定で原作にはなかった人物だと思います。互いに好意を持ち始めているという描き方がされていましたが、いかにも取ってつけたようで、温泉のシーンなどいらないでしょう。混浴に浸かり、妻の思い出を語りながらいきなり抱きつくって、意味がわかりません。

この映画、こういう唐突なシーンとても多いのです。物語は語っていますが人物を描いていないということです。

 

ということで、結局、二つの物語をひとつにした理由がロケーション以外になくなってしまっているということで、見終えてまず最初に思うことが、何だかもやもやした映画だなあということになってしまいます。

 

村人の誰かが密告したらしく、善次郎が少女誘拐事件の犯人でないかと警察がやってくるシーンも無理矢理関連させようとした印象をぬぐえません。善次郎が逮捕され、裏山を掘り返すと骨が出てくるカットにもその意図があったのかもしれません。ただそのシーンの前に、妻の骨壷から骨を取り出し裏山に埋めるシーンがありますので、曖昧にしようとの意図だと思います。

 

原作自体が犯罪の本質的なものに迫っているわけでもなく、ネタ帳の延長線上にあるような作品であり、物語そのものも深く書き込まれていないこの短編集を、誰が、どういう意図で映画化しようとしたのか、そのことに興味がわいてくる映画ではありました。

 


杉咲花さんは、過去に「湯を沸かすほどの熱い愛」を見ているだけですが、もっと難しい役が見てみたい俳優さんです。期待できます。

綾野剛さん、これはミスキャストです。そもそも冒頭の母親がヤクザものに暴行され、助けを求めるシーンは違和感ありすぎで、年齢設定も十代半ばくらいの少年にすべきです。

紡の同級生として登場する村上虹郎さん、初めて見た「ディストラクション・ベイビーズ」ではかなり印象深かったんですが、その後は何もやっても虹郎パターンに陥っています。

佐藤浩市さんも柄本明さんも、登場シーンが多い割に一貫した人物を感じさせるシーン構成になっていないのか、いろんなシーンで唐突感が感じられました。

 

上映時間129分、1,2割はカットできると思います。丁寧さがアダになっているのではないかと思います。

 

犯罪小説集 (角川文庫)

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