「罪と女王」(ネタバレ)禁断の愛的旧態依然の映画にしか見えないけど

どう見ていいのか難しい映画ですね。

アンネはなんて悪いやつって思うように作ってありますし、未成年者への性的虐待と聞いて思い浮かべる男女を逆転させてありますし、タイトルを「女王」という意味らしい 「Dronningen」にしていますし、そして、そもそもデンマークの映画ですし…。

 

罪の女王

罪と女王 / 監督:メイ・エル・トーキー

 

「デンマークの映画ですし」というのは、北欧と日本じゃ、男女観、ジェンダー、そして性行為に対する考え方、感じ方が(おそらく)随分違うと思いますので、つくる側の意図も我々が感じることとは違うかも知れないという意味です。

 

この映画が描いているのは、夫と家庭を持ちふたりの子どもがいる(多分)40代の女性が、引き取った夫の先妻の17歳の息子と性行為をし、それがバレそうになるや、一切を否定して息子を家から追い出し、意図していたわけではないけれど死に追いやってしまうという話です。

 

それだけです。この映画を見て話題にすべき点は他にはないでしょう。

 

アンネ(トリーヌ・ディルホム)は未成年女性への虐待や暴力を専門にしている弁護士です。

 

もうこのことからして相当意図的です。

 

が、その意図はわかりません。表の顔と裏の顔ということでもなさそうですし、知性が性的欲望に押し切られるという描き方がされているわけでもありません。

夫ペーターが出張(だったと思う)の夜、グスタフ(グスタフ・リン)の寝室に行きいきなり性行為です。もちろんそれ以前にそうなるだろうという描写が2、3シーンありますが、その行為が日頃自分が守ろうとしている女性たちへの加害行為と同じになると思い悩むシーンさえありません。ただ性的欲望のままに動いているようにしか見えません。

 

弁護士としてのシーンも、ふたりの依頼者が登場しますが、ともに表面的な扱いで弁護士として優秀であるとか熱意があるとか感じられるシーンはありません。

 

こうしたことが演出のまずさなのか、俳優の問題なのか、あるいはそういう人物として描いているのか、それがわからないということですが、ただ結果としては、これを男女逆に考えれみれば、社会的地位のある男性が家庭内であれどうであれ未成年女性を性的虐待する描写をする場合のひとつのパターンと言えなくもありません。

 

じゃあ被害者はどうかですが、これが難しいんですね。グスタフは抵抗していませんし、性行為にも積極的になっていきます。

 

メイ・エル・トーキー監督は公式サイトのインタビューページ

私たちは、父が義理の娘とセックスするということが間違っていることを明確に知っていますが、母と義理の息子の場合、それはグレーゾーンになります。 

と語り、さらに「セックスシーンが、とても強烈ですが、どんな意図が?」の問いにこんなことを答えています。

男性が被害者である場合、性的虐待をより寛容に見る傾向があるため、観客が感じる不快感を作り出すために明示的なセックスが必要でした。そして“セックスシーンの進化”を作りたかったのです。 まず、セックスは表情に欲情が表れます。純粋に体の欲求のみで心はありません。それから次第に親密になり、人物たちの膨らんでいく感情の流れを反映し象徴するように描きたかったのです。

 

確かにセックスシーンはソフトポルノ(表現が正しいかどうかは?)を思わせボカシまで入っています。

 

翻訳ですのでなんとも言えませんが、「明示的なセックス」シーンで「観客に不快感を与える」と言うことですか…。

んー、なにかずれている感じがしますね。

「男性が被害者である場合、性的虐待をより寛容に見る傾向」があるのはそう描いているからじゃないですかね。グスタフがアンネとのセックスを望んでいるように描いているから性的虐待に見えなくなるんじゃないですかね。

 

要は、映画のベースは古くからある「禁断の愛」というドラマパターンなのに、そこに見かけ上未成年への性的虐待を匂わせるだけの設定を持ってきているだけじゃないかということです。

 

おそらくメイ・エル・トーキー監督がこの映画を撮る上での一番の意識は、インタビューのその後の答えにある「セックスシーンの進化」、多分アンネとグスタフのセックスシーンでふたりの感情を変化させたということだと思いますが、それが表現されていたかどうかは別にしても、一番の意識はそこにあったのだと思います。

 

やはりこの映画は「禁断の愛」的ドラマの延長線上にある映画です。グスタフを死なせていることもそれゆえだからと考えれば納得がいきます。

 

後半はこうなっています。 

アンネはグスタフとのセックスを楽しんでいましたが、次第に見境をなくすグスタフに困り始め、また友人にそうした場を見られたりし、もう終わりよと別れを切り出すもグスタフはすべてばらしてやると脅すという、まあよくある修羅場へ突入、父親(ペーター)にすべてを話してしまいます。

 

ペーターは半信半疑ままアンネにそれを告げるもアンネがありえないなどときっぱりと否定しますので、グスタフを寄宿舎に入れることにします。

その後、グスタフが弁護士事務所にやってきて、あんたは自分の行為が犯罪だと知っていたはずだと口論になるシーンもありますが、私に勝てると思うのと威圧され追い返されてしまいます。

 

ここですよね。グスタフにここまでさせるのならアンナを告発する展開にすべきでアンネを法廷に出すべきです。そうすれば次元の違った映画になったんだと思います。

 

そういう映画ではなかったということで、結局結末は、アンネはピーターからグスタフが山小屋で凍死(だったかな?)したと聞かされるのです。

 

というように(私には)見えますが、デンマークの人たちにはどう見えたんでしょう。

と、ちょっとググってみましたら、意外にもこんな記事がヒットしました。

 

デンマーク:はびこる性暴力と不処罰(2018年12月 6日)

 

日本と同じじゃないか!とびっくりします。一方でこういう記事もあります。

 

デンマーク:同意なき性行為は強かん 法で規定する動き(2019年7月 4日)

 

この記事の中のスウェーデンの件は、今年はじめにあっちこっちで取り上げられていたこれです。

 

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