「ONODA 一万夜を越えて」ネタバレレビュー・あらすじ:友情と不条理のONODA、フランス向けの映画

小野田寛郎さんがフィリピンのルバング島から日本に帰還したのは戦後29年の1974年、もう47、8年前のことです。半世紀前にもなりますのでリアルタイムでそのことを記憶しているとなりますと少なくとも60歳は越えている方々かと思います。

 

確かに、客層のほとんどはそのように見えました。少なくと20代、30代にみえる方は見かけませんでした。

 

ONODA 一万夜を越えて

ONODA 一万夜を越えて / 監督:アルチュール・アラリ

 

 

フランス人からなにが見えるのか?

その小野田さんを映画にしたのは、フランス人のアルチュール・アラリ監督です。

 

このアルチュール・アラリ監督は、もう4年前になりますが、「汚れたダイヤモンド」という映画を見ており、かなりいい印象をもっている監督です。そのアラリ監督が小野田さんをすべて(ほとんど)日本人俳優を使って撮ったという映画ですので期待値は高いです。

 

で、やはり一番知りたいことは、アラリ監督が何で小野田さんを知り、何に惹かれて映画化したのかです。40歳くらいの方ですので当然その存在すらも知らなかったと思われます。

 

インタビューがありました。

 

それによれば、冒険映画を撮りたいと思っていたときに、父親から日本の兵士で30年間フィリピンの島に留まり続けた人がいることを聞いたことがきっかけらしく、そこから、いったい彼は30年間何を信じ、どうやって生き抜いたのかを考え始め、そこには多くの悲劇や友情、ある種の愚かさや不条理など人生における多くの要素が詰まっているのではないかと考え映画化に進んでいったようです。

 

まっとうなきっかけですね。そりゃ、その事実を知っただけで誰もが興味を持つ存在ではあります。

 

ですので、可能な限りの情報収集はされたんだと思います。そうしたことからか、映画に大きな違和感はありません。俳優を信じた映画になっていることもあり、ああ、実際こうだったのかもしれないとも思えてきます。

 

ベルナール・サンドロン著のフランス語の伝記本があるようです。

 

友情、悲劇、愚かさ、不条理

で、フランス人のアルチュール・アラリさんには小野田さんはどう見えているのか?

 

率直なところ、無難な映画にまとまってはいますが特別伝わってくるものはありません。そりゃそうでしょう、誰にもわからないことでしょうし、変に内面にこだわって特別な人間として描いていないことには好感を持ちます。たとえば、ありがちな、と言いますか、逆に日本人が逆反射的に異文化からこう見てほしいと思っているのではないかと思う「サムライ」的な描き方は全くされておらず、ごく一般的なひとりの実在感のある人間として描いているのは正解だと思います。

 

実際、小野田さんはひとりではなく、投降するまでの29年間のうち27年間は小塚金七さんとふたりだったんですから。

 

で、映画ですが、アラリ監督がインタビューで語っている「悲劇や友情、ある種の愚かさや不条理」、まあインタビューですし翻訳ですのでニュアンスが正確かどうかはわかりませんが、本人のその言葉通りの映画になっています。

 

友情

小野田寛郎(遠藤雄弥、津田寛治)は、1945年の敗戦後も赤津勇一、島田庄一、小塚金七(松浦祐也、千葉哲也)らとともに作戦を継続するとしてジャングルに潜伏する道を選びます。目的は、再び日本軍が盛り返して再上陸したときのための情報収集だと言っています。

 

おそらく皆日本の敗戦はわかっていたのでしょう、まず、赤津が49年9月に逃亡して50年6月に投降しています。この赤津も1年近くひとりで生きていたということなります。そして、54年5月に島田がフィリピン軍(警察?)との銃撃戦で死亡します。

 

それから小塚が死亡する72年10月までの18年間はふたりで生活していることになり、映画ではこのふたりの友情がかなり大きく扱われています。

 

潜伏中に小塚は現地の女性に拳銃で足を撃たれ負傷します。あの負傷は事実なんでしょうか、創作なんでしょうか、とにかく、傷口が化膿し、うじが湧いたりしますが、小野田はその傷口に口を当て膿を吸い出すというシーンがあります。

 

それが象徴的なシーンですがアラリ監督は小野田と小塚の間に「友情」を見ています。

 

悲劇

悲劇という意味では、戦争そのものが個々の個人にとってはとんでもない悲劇なんですが、意外にも映画からはその思いは感じられません。

 

淡々と起きた(だろう)ことが描かれていることもありますが、やはりアラリ監督に悲劇的なこととの受け止めがないのでしょう。とにかくわからないことが一番なんじゃないかと思います。

 

悲劇という意味では、本当はフィリピンの現地の住民です。映画でもワンシーンありますが、米など生活物資は略奪で手に入れているわけですし、小塚が撃たれた際でも相手の女性を撃ち殺しています。映画にはそれ以上は描かれませんが、30人くらいの住民を殺害しているとの記述もありますし、投降した後も小野田の安全のために警察が周りを固める必要があったということです。

 

日本政府はフィリピンに3億円の見舞金(賠償金)を支払っています。

 

愚かさ

これもあまり感じられません。本当は、個々人を傷つける意味合いではなく、この愚かさが強くでてくる映画じゃないと現代的な意味はあまり感じられませんので残念ではあります。

 

この「愚かさ」や次の「不条理」に焦点を合わせて描けばいい映画になったのではないかと思います。

 

やはり、とにかくわからないということなんでしょう。

 

不条理

これは元上官谷口義美(イッセー尾形)との関係に象徴されています。

 

1974年当時、すでに日本兵がジャングルに潜んでいることはわかっていますので冒険家(らしい)鈴木紀夫(仲野太賀)がジャングルに入り接触に成功します。その際、小野田は上官の解除命令がなければ任を解けないと言ったということです。

 

映画では、谷口は陸軍中野学校二俣分校の教官であり、同時に派遣命令を出した上官となっており、その谷口が、玉砕や投降はまかりならん、最後まで生き延びて任務を果たせと命じています。

 

ウィキペディアによれば、

師団長横山静雄陸軍中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と日本軍の戦陣訓を全否定する訓示を受けている

とのことですが、まあ誰であれ、軍隊組織そのものが不条理の極みということです。

 

俳優たちはよかったが…

小野田さんを演じている遠藤雄弥さんと津田寛治さん、声質をのぞいて、ふたりが切り替わるところも違和感がなかったです。それに小野田さん本人とも違和感がなかったです。

 

小塚さんを演じた松浦祐也さんと千葉哲也さんも切り替わりに気づかないくらいでした。

 

台詞へのこだわりの薄さ

聞き取れない台詞が多かったですね。俳優の問題というわけではなく、整音や音楽とのバランスの問題でしょう。

 

おそらくポストプロダクションもフランスでやっていると思いますので、アラリ監督にしろ、編集者にしろ、台詞を言葉として聞いていないんだと思います。

 

フランスでは字幕で問題ないのでしょうが、日本ではかなり苦しいです。

 

ところどころに哲学的な言葉が入っていたのに生きてきません。

 

ということで、いずれにしても30年の潜伏感があまり感じられなかったのは残念でした。中野学校などやめてしまって、鬱陶しいくらいの悶々とした暑苦しい人間関係をうんざりするくらい描けばよかったのにと、私は思います。

 

アルチュール・アラリ監督は俳優でもあります。諏訪敦彦監督の「ライオンは今夜死ぬ」に出演しています。逆にこの「ONODA」には父親役で諏訪監督が出ています。

 

ライオンは今夜死ぬ(字幕版)

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