「泣く子はいねぇが」ネタバレレビュー・あらすじ:仲野太賀と吉岡里帆、の良さを出せない脚本

「是枝裕和が惚れ込んだ新たな才能!」という宣伝コピーがついています。確かに企画に是枝裕和さんの名前もありましたし、分福が企画協力となっていたと思います。

で、その才能が佐藤快磨監督ということです…

 

泣く子はいねぇが

泣く子はいねぇが / 監督:佐藤快磨

 

…が、私にはまったくリズムがあわなかったです。

なぜそこで次のシーンへ行く? なぜそこでそんなに引っ張る? ということばかりで2、30分くらいでしょうか、東京パートが始まってしばらくしてもう集中力が途切れてしまいました。

 

 

短編を2時間弱に伸ばしたような内容

公式サイトのイントロダクションには、主人公のたすく(仲野太賀)を

親になることからも、大人になることからも逃げてしまった主人公

と表現していますが、それがどういうことなのか、映画はまったく描いてもいませんし語ってもいません。

 

たすくの何がだめなのかもわからないまま、いきなりことね(吉岡里帆)に、あなたとは一緒にやっていけない、このまま続けても必ず限界がくると最後通牒を突きつけられています。

 

たすくが大人になることから逃げていること自体が映画からはわかりません。親になることなんてのは、子どもは生まれたばかりですからこれから学べばいいことです。

 

ことねのその台詞の前には、何の書類かわかりませんが、間違えたか間違えるだったかで2枚あることをことねが責めているだけです。何の書類のことを言っているのかわかりません。

 

話は少しそれますが、この映画、ある人物が何か物や人物や風景を見ているカットがあるとして、何を見ているのかを次のカットで見せない手法が頻繁に使われています。上の書類もそうですが、最初は意図的にやっているんだろう、意味があるんだろうと期待していたんですが、ほとんど(すべて?)の隠しが最後まで明かされません。

上の書類の場合、そのやりとりの前にはたすくが役所の時間外受付に出生届を出すシーンがありましたが、ことねに怒られていたのは出生届じゃないですよね。怒られていた書類、何だったんでしょう?

 

大人になれないとは一体どういうことなのかを描かず語らず、たすくがそうだと言われてもそれじゃ映画になりません。

 

もちろんそれでも映画になることはあります。その後、たすくが大人になれていないことを描き切れていればです。

 

映画の中でわかるたすくの人物像は、安定した収入を得る職についてはいないけれど性格は悪くないということくらいで、最後までほとんど変化しません。仕事をすぐにやめてしまうとか、働こうとしないとか、そうしたことでもなさそうです。

仮に、そうしたことで大人になれていないというのであれば、そんなこと結婚する前から、あるいは子どもをつくる前からわかっているでしょう。

結婚して豹変したようにも見えません。本人は喧嘩はしないと言っていましたし、暴力に訴えるようなところもありません。ましてやDV男ということもないでしょう。

 

ただ、ひとついえることはたすくは何ごとにもはっきりしません。自分の考えをはっきりと口にすることもなさそうです。

 

まあ、それだって結婚する前からわかっているでしょう。それに、この映画、たすくだけではなくどの登場人物も言っていることは曖昧ではっきりしていません。脚本も佐藤快磨監督ですのでみな台詞がパターン化しているのだと思います。複数の人物をそれぞれの人物像の台詞で表現するというのは難しいですよ。

 

仮に、最初にたすくを大人になれていない人物と宣言し、その後の100分あまりでそれがどういうことかを描こうとしたのであれば、そもそも脚本がその様になっていません。およそ100分、たすくが大人になれていないことを描いているシーンはありません。

 

酔って素っ裸になるのは大人だから

たすくことねと決定的にだめになるのは、酔っ払ってなまはげの鬼(ではなく神)の面をつけたまま素っ裸になった姿がテレビ中継されたからとされています。男鹿から東京に逃げたのもそれが理由のようです。

 

それが大人になれていないことの表現だとするのなら人間観察が浅すぎます。

 

大人だから酔っ払って素っ裸になってしまうのです。

 

そもそもそんなことで町に居づらくなるのならその町の閉鎖性自体が問題です。それを許容できない社会こそが大人になりきれていません。

 

もうひとつ、ことねに飲まずに帰ってきてと言われてわかったと答えたのにもかかわらずというのはよくないことではありますが、そもそも、なまはげと酒はセットでしょうし、なまはげに参加しなければそれこそ地域社会でやっていくのは難しいでしょう。ラストシーンをみればことねもそういう社会の中で生きているわけじゃないですか。それを責めてどうするのと思います。

 

結局この映画は、脚本に2時間弱持たせられるだけの内容がないということです。

 

ネタバレあらすじ

物語は単純です。

 

大晦日(だと思う)です。たすくが市役所の時間外窓口に出生届を出します。女の子で名前は凪としたと言っています。

 

家です。たすくが凪をあやしていますが泣き止みません。ことねが引き取りますと泣き止みます。ことねたすくにもう一緒にやっていけないと言っています。(理由はわからない)たすくはなまはげをするために行かなくちゃいけないと告げます。ことねは飲まないでと釘を差します。

 

なまはげで町をまわります。行く先々で酒が振る舞われます。たすくも飲みます。酔っ払います。面をつけたまま素っ裸で走っています。テレビ中継が入っており、その姿が中継されます。

 

2年後、東京です。

たすくのもとに友人の亮介(寛一郎)が(男鹿からなのか、東京にいるのかわからない)やってきて、ことねがキャバクラで働いていると教えます。

 

たすくは男鹿に帰ります。

母親は普通に迎えますが、兄はいい顔はしません。たすくは母親たち(お母さんたちの起業?)がやっているアイスクリーム販売を手伝ったり、亮介に誘われサザエの密猟して日銭を稼ぐ日々です。ハローワークへ職探しに行きますが求人はありません。

 

ある日、夜の町でことねに出会います。もう一度やり直したいというたすくに、ことねは付き合っている人がいると言い、働いている店に入っていきます。

 

母親が倒れ入院します。兄はたすくにもう出て行けと言います。

 

母親の見舞いに来たことねをつかまえ、もう一度チャンスがほしいとすがります。しかし、もう顔を見せないでと拒絶されます。

 

たすくは凪が通う保育園のお遊戯会へいきます。どの子が凪かはわかりません。客席にはことねと知らない男が凪をみて親しげに話しています。

 

大晦日です。たすくは亮介とともになまはげの装束してことねの再婚相手の男の家(多分)に向かいます。ウォーと叫びながら戸を叩きます。ガラス戸の向こうにことねが出てきます。しばらく見合ったままです。しばらくしてことねが戸を開けます。座敷に向かうたすく、座敷では十数人の家族が宴会をしています。なまはげさんだ!と拍手、たすくは凪を抱く男のそばに行き、「泣く子はいねぇがー」と涙声で幾度も叫びます。凪は男の膝の上で泣いています。

 

いいところもあるのだが…

結末をハッピーエンドにしていないことには好感が持てます。

 

最初に引用した公式サイトのイントロダクションの続きは、

親になることからも、大人になることからも逃げてしまった主人公が、過去の過ちと向き合い、不器用ながらも青年から大人へ成長する姿を描く。

となっています。

 

くどいようですが、たすくが「過去の過ちと向き合」っているところも「青年から大人へ成長する姿」も描かれていません。この映画108分のたすくは謝っているだけです。

 

逆説的に言えば、何を謝ればいいのかわからないのに謝らざるを得ず謝っていることの悲哀はよく出ていたということです。

 

さらに言えば、脚本かつ監督である佐藤快磨さん自身がたすくをいいやつとして書こう描こうとしているようです。

 

謝り続けるところもそうですが、喧嘩はしないところであったり、東京パートで酔いつぶれて泊めた女性に迫られても自分は結婚して子どももいると避けさせたりというのもその現れでしょう。もちろん男なら拒絶などしていないと言いたいのではなく、本来なら東京パートのたすくについてもっといろいろ描くべきなのにわざわざそんな場面を入れているという意味です。

 

ことねについてもちゃんと生きた人物として描くべきです。吉岡里帆さん、これじゃあやりがいがないでしょう。

 

仲野太賀さん、こういう役ははまり役だと思いますが、どのシーンも中途半端に終えられてしまっている印象です。演技がではありません。このシーン、ここで切る?!という意味です。

 

ということで、「是枝裕和が」何に「惚れ込んだ」のかわからない映画でした。

 

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