そんなには褒めないよ。映画評

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「マイ・サンシャイン」(ネタバレ)ハル・ベリーとダニエル・クレイグのキャスティングが意味不明

意識しているのかどうかはわかりませんが、「チョコレート」を思わせるようなキャスティングですね。

 

マイ・サンシャイン

公式サイト / 監督:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン

 

という思いがあったせいか、ダニエル・クレイグが一向に絡んでこず、前半など、窓からちらりと裸(だったのかな?)を見せていただけで、後半になってやっと絡んできたかと思いましたら、今度はいきなりハル・ベリーの妄想セックスシーンとなり、見終わってみれば、ダニエル・クレイグはいなくてもよかったんじゃないのという映画でした。

 

結局、物語の軸となっている1992年のロサンゼルス暴動を描こうとしながらも、なぜかはわかりませんが、ラブロマンスも必要と考えたんでしょうか、むりやり物語づくりをしているようで、かえって映画が訳のわからないものになってしまったのだと思います。

 

映画はまず暴動の発端となったひとつの事件、「ラターシャ・ハーリンズ射殺事件」を再現するように描きます。

1991年3月16日、持参したバックパックに1ドル79セントのオレンジジュースを入れ、手に支払いのための小銭を握っていた黒人少女(当時15歳)であるラターシャ・ハーリンズを韓国系アメリカ人の女性店主、斗順子(トウ・スンジャ、Soon Ja Du、当時49歳)が射殺したのである。事件の様子は防犯ビデオに収められており、2人は揉み合いになったのちに少女が店主の顔面を4度殴打、店主は床面に激しく転倒させられた。店主は少女に椅子を投げつけた。その後、件のオレンジジュースをカウンターに置いて店から歩いて出て行こうとする少女に対して、韓国人店主は背後から銃を向け、その頭部を撃ち抜いた。(ウィキペディア)

 

シーン変わって、ミリー(ハル・ベリー)がケーキ作りにキッチンを動きまわっています。と同時に、子どもたちを起こしにいきます。一体何人いるのかと思うくらいたくさん子どもたちがいます。ひとりひとり、愛情を込めてキスをし起こしに回ります。

 

このシーンだけではなく、前半は特にせわしかった(笑)んですが、カメラがアップかバストくらいのショットで動き回ります。まあ、朝の慌ただしさやミリーの精力的な動きが感じられたには感じられたんですが、正直、ぐるぐるして気持ち悪くなるくらいでした。

 

で、このミリーの家族は、ミリーが行き場のない子供たちを連れてきては面倒をみているような家族のようです。これ、はっきり語られませんが、ひとりの子どもが行政の児童福祉課のようなところへ連れて行かれるようなシーンがあったり、街で警官に職質されている子ども(少年)を連れてきたり(あれは無理でしょう)、子どもたちがうるさいことで隣のオビー(ダニエル・クレイグ)と言い争いになったときにそれらしきことを言っていたりすることで次第にわかってはきます。

 

ただ、見終わって思うことは、このあたりをもう少し丁寧に描いたほうがよかったんじゃないかと思います。この家族が後に起きる暴動に巻き込まれていき、ひとりの少年が命を落とすという、それも家族のひとりである少年に刺されて亡くなるということになるわけですから、ベースとなる人間関係を丁寧に描いておかないと物語自体が匿名化してしまいます。

 

とにかく、その冒頭の朝の慌ただしさだったと思いますが、暴動の直接的なきっかけとなった、その13日前に起きた「ロドニー・キング事件」での警官たちの暴行の様子を報道するテレビ映像が流れ、これもどこだったか忘れましたが、「暴動発生まで7日(たしか7日だった)」といったスーパーが入ります。

  

全体として、映画はまとまりを欠いた感じではありますが、ひとつの物語として流れていたのは、一番年上のジェシー(ラマー・ジョンソン)の話です。高校生くらいの設定だと思いますが、学校で、(よくわからない)トラブルで教師(でしょうか?)と言い争うニコール(レイチェル・ヒルソン)と出会い、なんとなく好意を持ちます。ジェシーは心優しい性格で弟や妹思いで面倒もよくみますし、人が喧嘩をしていれば止めに入るタイプです。

一方、ミリーが上にも書きました少年ウィリアム(カーラン・ウォーカー)を連れてきて家に住まわせます。ウィリアムは口よりも手が先に出るようなタイプです。結構乱暴なことをします。

 

ジェシーは、街で男たちに絡まれるニコールを助け(ちょっと違う)、住むところがないというニコールを、あれもよくわからないんですが、祖母とか言っていたのか、今は誰もいない家に連れていきます。なぜミリーの家に連れて行かないの?と思いますが、よくわかりません。

 

で、ロドニー・キング事件に無罪の判決がおり、街のあちこちで暴動が起き始めます。

 

ここからは、ミリーとジェシーの物語が同時に進行していきます。

まずジェシーの方ですが、ニコールとウィリアムがセックスしているとことを目撃します。それはそれとして、ウィリアムのダチが駆け込んできて、判決のことを伝え、復讐に行くぞみたいな感じで皆で飛び出していきます。

商店を略奪したり、車を襲ったりするシーンがありますが、彼らが何をしたかはよくわからないままにごちゃごちゃと進んでいき、そのうち、ウィリアムたちがある商店主を襲い追いかけ、それを止めようとジェシーも後を追います。「彼は何もしていない」と叫びながら追いかけるジェシーですが、それを振り切るようにウィリアムは追いかけていきます。そのうち、(突き飛ばされて倒されたんでしたっけ?)ジェシーが割れたガラス?を手にしてウィリアムを刺します。

見ていて流れにはさほど違和感はなかったのですが、でも、よくよく考えてみれば、これですと単に成り行きでこういうことも起きるよくらいのことでしかなくなってしまいます。あるいは正義感の強いジェシーの突発的行動とか? 暴動に巻き込まれ不幸な出来事が起きてしまった?

監督は何をしたかったんですかね?

 

その後、ジェシーとニコールはウィリアムを車に乗せて病院を探し回りますが、ウィリアムは死んでしまいます。

 

ミリーの方はと言えば、街で警察に追われている黒人を見かけ、助けようと間に入り、混乱のうちに手錠をかけられパトカーに押し込められ連行されます。一緒に連行された男が車の中でライターで火をつけようとしたために二人とも手錠をかけられたまま路上に放り出されます。(そんなことあるのかなあ?)

ミリーが手錠をかけられたまま歩いていますと、たまたま車で通りがかったオビーが助けてくれ、手錠をはずしてくれます。あれ、チェーンを一発で切っていましたが、そもそもの手錠の方はどうしたんでしょう? なかったことにしておきましょう(笑)。

 

その夜、ミリーはオビーとセックスする妄想(夢)をします。そういうことがあるにしても、何だか唐突で違和感ありありです。

 

時間経過がよくわかりませんが、次の日だかに、暴動のさなか、子供たちがテレビの略奪騒ぎを見て自分たちもと街に飛び出していきます。

子供たちを探しに出たミリーとオビーは逆に警官に疑われ、二人とも手錠をかけられ街灯に繋がれてしまいます。

 

正直、ここらあたり、この映画、一体何をやろうとしているだろうとうんざりしますし、監督のセンスを疑いたくなります。

 

とにかく、オビーが街灯に登って脱出し家に戻りますと、そこには冷たくなったウィリアムを抱きかかえるニコールがいます。あれ? この時、ジェニーはどうしていましたっけ?

 

肝心のジェニーを思い出せないのは私が悪いのか、あるいは印象づくつくりがされていない映画が悪いのか?

 

そもそもこの映画、何をやろうとしたんでしょう?

 

デニズ・ガムゼ・エルギュベン監督は、前作が「裸足の季節」の監督です。こういうキャスティングでこの映画が撮れたということは評価されたということなんでしょう。ただ、私にはこの映画も前作もリアリティのない観念的につくられた映画としか思えません。

映画を作るために題材を探しているといいますか、この映画だって、ミリーとオビーの話なんかなくなって充分映画として成り立つでしょう。ミリーがなぜ子供たちに愛情を注ぎ守っているかを描くだけでもいろんな物語が生まれそうですし、ジェシーとウィリアムとニコール三人の話だけでもひとつの映画ができるでしょう。

 

人種差別としてロサンゼルス暴動を描くつもりがあるのなら、ミリーとオビーのラブコメのような関係はいらないでしょう。

 

原題は「Kings」、ロドニー・キングと同じ人種差別にあう黒人たちという意味でしょう。

 

裸足の季節(字幕版)

裸足の季節(字幕版)