「MONOS 猿と呼ばれし者たち」ネタバレレビュー・あらすじ:幻想的に見えて現実的、編集は乱雑だが各シーンはおもしろい

少年少女たちが孤立した環境に置かれるという設定の物語は、多くの場合、そこに理性と本能の対立という人間社会における根源的な矛盾をあぶり出そうとする試みだと思います。しかし、この「MONOS 猿と呼ばれし者たち」はちょっと違うようです。

ゲリラ組織の下部組織のような少年少女の集団「MONOS」が人質のアメリカ人博士の監視を任されますが、予想しないあれこれが起きて自己崩壊していくという話です。

ですので、出来上がった映画自体は予想に反してかなりリアリスティックです。

 

MONOS 猿と呼ばれし者たち

MONOS 猿と呼ばれし者たち / 監督:アレハンドロ・ランデス

 

 

幻想的かと思いきや、かなり現実的

公式サイトにもあるタイトルバック(上の画像)もそうですが、南米高地の幻想的なカットが時々挿入されます。

 

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こうした映像からイメージされる幻想的な映画ではありません。

 

8人の少年少女たちが上部組織のメッセンジャーに訓練を受けるシーン、リーダーはいるにしても軍事組織としては統率のとれていない勝手気ままな行動、隊員同士の性愛、挙げ句の果に銃を乱射して大切な牛(何の象徴なんでしょう?)を射殺してしまうという無軌道さ、そして意味不明なリーダーの自殺、そうした出来事がかなり乱雑に並べられていきます。

 

乱雑なシーン構成

批判というわけでもありませんが、編集はかなり乱雑です。シーンが変わるごとに意識の連続性が断ち切られます。

 

これが何を意味しているのかはわかりませんが、幻想的ではなく現実的ということにも関連しているのではないかと思われ、いい意味で言えば叙情性に逃げていないということでしょうし、批判的に言えば見るものの感情を刺激しないということかと思います。

 

つまり、映画としてはつまらないです。各シーンは刺激的であっても、映画はその積み重ねであると考えれば、トータルとしてなにがしか見る者を刺激しなければいい映画とは言えないということです。もちろん私は刺激されるものがなかったという意味です。

 

ネタバレあらすじ

アレハンドロ・ランデス監督自身も語っているコロンビアの内戦という物語の背景に大きな意味はなく、これが南米ではなくアジアであってもアフリカであっても、少年少女たちがゲリラ組織の一員として成立する環境であれば想定される物語です。

 

8人は上部組織のメッセンジャーから軍事訓練(それほどでもない)を受け、人質の監視と一頭の乳牛の世話を命じられます。ウルフという名の少年がリーダーに任ぜられ、また、そのウルフとレディという少女とのプライベートな関係が認められます。

 

ことの流れをうまくつかめていませんが、ある時、ドッグと呼ばれる少年が興奮状態で小銃を空に向かって乱射し、その流れ弾が乳牛に命中し死んでしまいます。

 

この乳牛、シャキーラと名付けられていますのでなにか意味があるのだろうとググってみましたら、シャキーラ・イサベル・メバラク・リッポールさんというコロンビアのミュージシャンがヒットします。これか?! と半信半疑ながらも、意外にもそうかもしれません。1、2ヶ所、コメディ?と思うようなところもありました。

 

リーダーのウルフはドッグを穴に閉じ込めます。で、ある時、ウルフは自殺してしまいます。

 

これ本当に自殺なんですかね? レディが血みどろの顔を滝で洗うシーンがありましたがあれは何だったんでしょう?

 

とにかく、編集が乱雑です。

 

ウルフに代わって、ビッグフットという名の少年がリーダーに名乗り出ます。乳牛を捌いて食べ、レディとも関係を持つようになります。

 

この行為が集団のボスの交代というサル山の権力闘争のようなものを描いているつもりなのかも知れませんがそうは見えません。その意図があるのなら、それは力不足です。

 

敵(誰?)の攻撃を受けます。混乱のうちに集団は高地からジャングルへと移動します。博士が逃げます。ビッグフットは(理由はよくわからないが)上部組織との連絡手段である無線を壊し関係を断ち切ります。博士が再び捕まり鎖に繋がれます。

 

このあたりからランボーという少年の露出が多くなります。ラストシーンへの振りでしょう。

 

連絡不能になったからなのか、メッセンジャーが現れ、再び皆に訓練を施します。スマーフという少年が、メッセンジャーにシャキーラ死亡の顛末を暴露してしまいます。メッセンジャーはビッグフットを連れて本部へ向かいます。メッセンジャーはビッグフットに後ろから射殺されます。

 

正直、このあたりからもう(私は)どうでもよくなっています(笑)。

 

ランボーが逃走します。その途中で家族連れに出会い、食事を振る舞われたり、風呂(シャワー?)につかったりと文化的(という意味でしょう)な生活を経験します。

 

鎖に繋がれた人質の博士には見張り役のスウェーデンがついています。(どういう経緯だったか忘れたが)スウェーデンが博士を抱擁し、次第にその抱擁が熱を帯び、博士の顔も紅潮していきます。我に返った博士はスウェーデンをはねのけます。スウェーデンは冷めた笑いを浮かべています。

 

こういう前後関係ない、どうとらえていいかよくわからないシーンとても多いです。

 

スウェーデンと鎖に繋がれたままの博士が川で泳いでします。博士はすきをみてスウェーデンを鎖で絞め殺します。川の石で鎖を断ち切って(あれでは切れないと思うが)逃げます。

 

ランボーの話に戻ります。ランボーを追跡していたビッグフットたちに件の家族が殺害されます。ランボーは急流の川に飛び込み逃げます。

 

所属不明(政府側なんでしょう)のヘリコプターが河原に横たわるランボーを発見し救出します。ヘリコプターから見える景色は都会の風景です。

 

どこかのシーンで博士が救出されたとのテレビかラジオの音声が流れていました。

 

アレハンドロ・ランデス監督

アレハンドロ・ランデス監督はコロンビアで生まれ育ったというわけではなさそうです。ブラジル生まれですし、アメリカの大学で学び、フロリダが生活拠点のようです。

 

そうした文化的環境からだと思いますが、この映画にはあまり南米的価値観、それを知っているわけではないので正確に言いますと西欧的価値観ではないものはあまり感じられません。

 

特徴的なのは、一見乱雑に見える編集、今のところそれが何を意味しているのかよくわからないながらも、それにより奇妙な現実的なリアリティ(重複表現)がこの映画にはあります。

 

映画であれ何であれ、よくわからないものは幻想的に描くことが多いのですが、この映画は幻想的に描こうとしたにもかかわらず現実的なものになってしまったかのような奇妙な倒錯感があります。

 

ただし、映画としてはつまらないです。

 

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