そんなには褒めないよ。映画評

映画を見てから読むブログ

「まく子」(ネタバレ)前半は鶴岡慧子監督のうまさが光るが、後半は物語として厳しい…。

何を見ようかとざっと映画の公開情報を見ていた際には、これは見ることはないかなと思っていたのですが、その後ふと鶴岡慧子監督の名前が目に入り、ああそういえば「過ぐる日のやまねこ」でかなり辛辣なことを書いたなあと思い出し、ちょっと反省の意味も込め公開日初日に見てきました。

 

まく子

まく子 / 監督:鶴岡慧子

 

前半はかなりよかったです。

 

じゃあ後半は? ということになってしまいますが、まあ映画に求めるものの違いということになるかも知れません。

 

PFFグランプリ「くじらのまち」、「過ぐる日のやまねこ」、そしてこの映画と見ていますが、共通して感じることは青少年(ティーン)の描き方(撮り方)がうまいなあということです。

 

この映画の前半はほとんどサトシ(山崎光)とコズエ(新音)のシーン(の印象)で、これが何とはなくいいんです。軸になる俳優を見つけるのがうまいのかも知れません。この映画ではサトシをやっている山崎光くん、現在15歳、気負いなく自然体なのに不思議な存在感があります。

 

小学5年生のサトシは、大人に成長していく過程で感じる違和感、それは身体の変化であったり、異性への興味であったり、父親への反抗であったりするわけですが、そうした心と体のずれのようなものを感じ始めています。

 

ファーストシーン、授業が終わり校舎を出ようとするサトシを後ろからとらえたカットにひらひらひらっと落ち葉が舞い落ちます。きっとこの落ち葉がキーになるんだろうなあと印象的なシーンでした。

 

ここでひとつ疑問を(笑)。

この映画、季節がよくわかりません。最初のシーンは秋でしょう。で、ラストは桜が咲いていましたし、春休みとか言っていましたので春です。その間に祭りがありますがあれはいつなんでしょう? 物語としてはさほど時間が経過しているわけでもないのに冬はすっ飛ばしちゃいましたかね? まあ映画なんですからいいんでしょうが、ラストシーンでサトシと新しい転校生、ソラって言っていたと思いますが、二人は最初落ち葉をまいていましたが、次の引いた画では桜が満開で花びらをまいていました(と思うのですが…)。

 

サトシの家は山間の温泉地で旅館をやっています。母親が女将として、父親が板前として支え、2,3人の仲居を雇っています。そこに、母親とともにコズエがやってきます。母親は仲居として住み込みですので離れのようなところに住むことになります。

 

ということで、前半はサトシとコズエの交流がほとんどです。積極的に関わろうとするコズエとやや消極的なサトシです。とはいっても、サトシも拒絶するわけではなくすぐに自然に話をするようになります。

という、ほぼ二人を追うことで映画は進んでおり、今思い返しても、大人や他の子供たちのことはあまり思い当たりません。もちろんそうしたシーンもあったのでしょうが、それでよく持っていたものだと思います。

コズエが自分は他の星からやってきたとか、自分は永遠なので死というものを知らない、それを知るために地球にやってきた、それに対しサトシがじゃあコズエは宇宙人?と尋ねるとでもサトシも宇宙人だよといった会話があります。

決してそうした話の内容で持っていたわけではありません。それこそが映画というものでしょう。たとえ子供たちの荒唐無稽なやり取りだとしても、そこにしっかり人そのものの存在があればそれで映画は成り立ちます。

 

と、そんなにすごくはありませんが(笑)、前半は見ていて飽きません。

 

ところが、後半になりますととたんにつまらなくなります。二人以外の人物、特に大人たちが生きていないんですよね。もともと描き方としては二人以外は皆外景という位置づけのようではありますが、それならそれでもっとぼんやりさせておけばいいのにと思いますが、いきなり父親の不倫相手に泣き崩れさせたり、あれは一気に醒めます。

それによくわからない話をよくわからないままに放っておき過ぎです。UFOを見たとかいう友達の話なんて、子供たちの会話の中にでていたようには思いますが、中盤以降にあんな扱いで登場させるならもっと早い段階で話をふっておくべきですし、祭りを見に来た母子の子の方の意味深なワンカットにしても気になって仕方ないのに最後まで放っておいたりしています。祭りの時のコズエと母親の調子っぱずれの名前の呼び合いにしてもまったく意味不明でした。ちょっと変わった親子程度の意味だったんでしょう。

 

とにかくこの監督は物語を語るのはあまりうまくありません。

 

結局、なぜかコズエ親子は突然消えてしまいます。でも何かを残していったようで、サトシも何となく思春期のひとつの壁を乗り越えます。

 

と、そこに、コズエ親子に変わるように、祭りを見に来た不可解な親子がその後釜のようにやってきます。しかし今度はサトシが積極的にソラに話しかけるのです。そして、最初の方に書きました桜をまくシーンで終わります。

 

ちょっとばかりこの展開では大人の鑑賞には難しいです。

 

ところで、原作でも、サイセ祭りで子供たちが作った神輿を壊して燃やすとか、コズエ親子が突然消えた後に子どもも大人も皆コズエが夢の中にやってきたとか何かを残していったとか言いあいながら城跡に集まってきて楽しそうにするなどというシーンがあるのでしょうか?

もしそうだとしますと、物語がつまらないのは原作のせいで、それを前半だけでもあれだけ持たせることに成功したことが褒められるべきことかも知れません。

 

まく子 (福音館文庫)

まく子 (福音館文庫)