君は永遠にそいつらより若い

吉野竜平監督の構成力と佐久間由衣、奈緒の俳優力が光る

原作の津村記久子著『君は永遠にそいつらより若い』を読んでいなければ見なかったかも知れない映画、見てよかったです。

俳優よし、構成よしの映画らしい映画でした。

君は永遠にそいつらより若い

君は永遠にそいつらより若い / 監督:吉野竜平

吉野竜平監督の構成力が素晴らしい

原作を読んだのはちょうと2年前で細かいところはほとんど忘れてしまっていますが、たしかにこういう話だったとまったく違和感はなく、さらに原作の持ついくつかのテーマのうちのいくつか(?)をとてもうまく再構成し、実に映画的な物語として作り上げています。

あらためて自分の書評を読み直し思い返してみますと、この映画とはちょっと違った読み取り方をしたようですが、この映画を見ますと、ああこうだったのかとか、ホリガイさんはこういう人だったのかと思うこともあり、脚本も書いている吉野竜平監督がそれくらいきっちり原作を読み込んで、自分自身の物語としている感じがします。

吉野竜平さん、この映画で知ることになりましたが、私の見ている映画では中川龍太郎監督「四月の永い夢」の共同脚本として名前がでています。過去の作品で見られるものがあれば見てみようと思います。

公式サイトにある津村記久子さんのコメントにも社交辞令ではない納得感が感じられます。

人物にバックボーンが感じられる

主人公のホリガイさんは22歳の大学4年生、身長175センチ、自ら性体験がないと語り、処女という言葉は罵倒の意味合いしかないからとポップにと言いつつもやや自虐的にポチョムキンという言い回しを使っています。また、自分は人の痛みを感じられない人間で、いつもとっちらかったことしか言えない人間なんですとこれまた自虐的に自分を語る人物です。

この、本人は人との付き合いがうまくいかないようなことを言いながら、深い浅いは別にして誰とでも気さくに話ができる人物を佐久間由衣さんがとてもうまく演じています。

小学生の時のエピソード、誰かをかばったのだったか、止めに入ったのだったかで男子生徒二人にボコボコにされたことをイノギさんに語るシーンも、このホリガイさんならあり得る話だと納得がいきます。

ホリガイさんのその話に対して、その時そこに自分がいなかったことが悔しいと語るイノギさん、この言葉には自分自身の壮絶な過去への思いが込められているのですが、それをさらりと言うがゆえの孤独感のようなものが奈緒さん演じるイノギさんには感じられます。

イノギさんは顔(耳)に大きな傷痕があり、それを長い髪で隠しています。中学生(と思う)のとき、自転車で帰宅中に車でわざと倒され、介抱を装って連れ去られて激しく暴行され、三日三晩放置されて生死の間をさまよったのです。本人によれば、両親はその後のイノギさんを持て余して離婚してしまい、イノギさんは祖母のもとで暮らすことになったということです。

映画の冒頭は、その暴行シーン、と言っても、倒れた自転車を映し出しているだけですのでそれとはわかりませんが、自転車に続いてイノギさんが見ているのだろう青空に変わり、そして、そこにイノギさんを覗き見る人(子ども?)の影が入ってきます。

そして映画のラスト近く(ふたりの性交渉のあとだったか…)で、イノギさんが、ホリガイさんはその子にそっくりとつぶやきます。

こうした描写の積み重ねで、佐久間由衣さん演じるホリガイさんと奈緒さん演じるイノギさんがとても現実感のある人物になっています。

原作では映画ほどホリガイさんとイノギさんの関係が軸になっている印象はなかったのですが、やはり映画は1本であれ2本であれ、しっかりした軸がないと集中して見られるものにはなりませんので、そのあたりは吉野竜平脚本、監督の構成力のうまさでしょう。

そして、佐久間由衣さんと奈緒さんの俳優力があっての映画だと思います。

ネタバレあらすじ

すでに上に書きました、河原に倒れた自転車、そして青空のシーンから始まります。ここではこのシーンの意味するものがわかりません。

ホリガイさん、ホミネくんに出会う

居酒屋で大学のゼミの飲み会が開かれています。2、30人くらいいたかと思います。ゼミから就職内定者が出ましたとホリガイさん(佐久間由衣)が紹介されます。地元和歌山で児童福祉司として採用されたようです。よ、公務員、税金泥棒などと声が飛び、ホリガイさんの前にひとりの男子学生がやってきて、その仕事、人様の人生に介入する仕事だろ、他者に対して無知なお前にできるのかよなどと罵倒し始めます。

いつものことなんでしょう、ホリガイさんは聞き流しています。その時入ってきたヨシザキくん(小日向星一)とホミネくん(笠松将)を見つけて席を移ります。ヨシザキくんとは同じゼミでホミネくんとは初対面です。

ヨシザキくんは、今ホミネくんの身元引受人として警察へ行ってきたと言い、その訳をホミネくんが語ります。ホミネくんのアパートの下にネグレクトにあっている8歳の少年がいて、しばらく母親が帰ってきていないのでしばらく自分の部屋に住まわせていたところ、帰ってきた母親が捜索願を出したということです。

この少年の話はここだけで最後まででてきませんが、映画のひとつの山になっています。

ホリガイさんとホミネくんは一緒に帰ることになり、歩きながら話をします。ホリガイさんは卒論のために集めているアンケートをホミネくんにも頼み、ホミネくんはホリガイさんになぜ児童福祉司になろうと思ったのかと尋ね、お互いに、次会った時に渡すね、話すねと別れます。

この3人、ホリガイさん、ヨシザキくん、ホミネくんの関係が映画のひとつの軸になっています。

ホリガイさん、イノギさんに出会う

そしてもうひとつがホリガイさんとイノギさんの関係、こちらはもうすでに書いてしまったようなものですが、出会いは偶然で、ホリガイさんが友人にノートを取っておいてほしいと頼まれた講義に出席できず、たまたまいたイノギさんにコピーを取らせてと頼み込んだことがきっかけです。

このふたりの会話とその間合いがとてもよく、表面的なキャラは対称的ですがその実なにか似ているところがあるのでしょう、あるいは自分にないものを感じるのでしょう、お互いに惹かれ合う感じにとても現実感があります。

このふたりの関係の変化には取り立てて大きなトピックはないのですが、ホミネくんとホシザキくんのことやアルバイト先の後輩ヤスダくん(葵揚)のことなどが絡み合いながら、ホリガイさんはイノギさんと初めてのセックスを体験することになります。

ひとつ重要なことは、ホリガイさんが児童福祉司になろうと思った訳をイノギさんに話すくだりです。ホリガイさんは、テレビの未解決事件特集で4歳児の誘拐事件を見て児童福祉司を目指したということですが、イノギさんに、もし今その子に会ったらなんて言葉をかける?と聞かれ、「君の心と存在を弄んで侵害する(かな?)そいつらはどんどん年をとって弱っていくから、君は永遠にそいつらより若いんだよ」と答えます。イノギさんは「その言葉で十分だと思う」と返します。

ホミネくんの死

ホミネくんの方です。

ある日、ホリガイさんはホシザキくんからホミネくんがバイク事故で亡くなったと聞かされます。ホシザキくんはホミネくんの実家島根での葬儀に向かいます。島根では、ホミネくんの弟が対してくれ、亡くなる前日一緒に飲んでいたというホシザキくんにホミネくんの最後の様子を尋ねてきます。このシーンでは語られませんが、ホミネくんは自殺したということです。

その後、なぜかホシザキくんはホリガイさんを避けるようになります。

どういう流れの中だったか記憶が曖昧ですが、ホリガイさんが卒論を仕上げ、卒業間近の頃だったと思います。ホシザキくんはホリガイさんに、実はホミネくんは自殺だったと語り、前日に一緒に飲んで馬鹿騒ぎをしていながらなにも気づけなかった自分が嫌になったと語ります。ホミネくんはホリガイさんに頼まれたアンケートをホシザキくんに託し、ホリガイさんともう一度飲めたらいいなあと話していたということです。ホリガイさんを見るとその時にホミネくんの異変を気づけなかった自分を思い出してしまうので避けていたと言います。

ホリガイさん、ネグレクトの子どもを救う

ホリガイさんがアパートを引き払い故郷の和歌山に帰る日、ホシザキくんに誘われ、ホミネくんのアパートに向かいます。すっかり片付けられたアパートで、ホシザキくんは遺書が見つかったと言います。その遺書は簡潔なものですが、最後に「ショウゴくんによろしく」とあります。ネグレクトにあっている下の階の子どもです。

ホリガイさんは下へ行ってみようと言い、止めるホシザキくんに構わず、チャイムを幾度も鳴らし、応答がないとわかれば、部屋に戻りベランダから下の階に渡り、目隠しされた窓ガラスを持っていたスマートホンで割って部屋に入っていきます。うずくまる少年を見つけ、その手を握りしめて、上のお兄ちゃんがよろしくって言ってたよと語りかけます。

ホリガイさん、イノギさんに会いに行く

三ヶ月後、ホリガイさんはイノギさんに会いに行こうと小豆島へ渡るフェリーにいます。幾度も留守電を入れますが応答はありません。

実は、階下の少年を救ったあの日、まさに部屋に入ろうとしていた時、イノギさんから、今会う時間ない? とラインが入っていたのですが返事をすることなく、そして少年のあれこれもホシザキくんに任せたまま和歌山に帰ってしまったのです。

ホシザキくんからは、少年は児童養護施設に入り、時々会いに行っているとの連絡を受けており、また自分も新人児童福祉司として働いています。

イノギさんは大学を中退し、小豆島の祖母のもとに帰ったと人づてに聞いています。

船の上から小豆島を眺めるホリガイさんにイノギさんから着信があります。一生懸命語りかけるホリガイさん、イノギさんの「会うの楽しみにしてる」の声が返ってきます。

シナリオの妙を感じる

原作は、悪い意味ではありませんが、何を追っているのかはっきりせず、話があっちこっちへ飛んで、かなりとっちらかった印象を受けた記憶があります。人物表記が漢字から突然カタカナに変わったり、初っ端はとにかくごちゃごちゃした感じで戸惑いながら読んだ記憶です。

映画はそれをふたつの軸に絞りすっきりさせています。その構成もとてもうまく感じ、最後まで飽きません。吉野竜平さんの構成能力が高いということでしょう。

原作には、かなりの分量で書かれているナンパ男の河北とリスカを繰り返すアスミちゃんのカップルがいるんですが、映画ではカッターナイフを取り出して取り乱すそれらしき女性を登場させるだけで一切カットされています。

自転車の鍵の件もカットされています。確か原作の最初は、ホリガイさんが雨の中(降っていなかったかも…)で自転車の鍵を探す場面じゃなかったかと思います。イノギさんが暴行されたときになくした自転車の鍵です。

他の場面に比べてかなり重い感じのする場面だったように思いますが、ホリガイさんはその鍵をみつけ、最後にその鍵を持ってイノギさんに会いに行くという流れだったと思います。

このシーンを入れていたらホリガイさんがまた違った人物になっていたようにも思います。これも何らかの判断をした結果でしょう。

原作は2005年の作品ですが、著者の学生時代、それよりも10年から数年前くらい前の時代が反映された作品のような気がします。特に現在の物語として違和感があるわけではありませんが、吉野竜平監督によって2021年の物語として再構成された映画のように思います。