滑走路

萩原慎一郎の歌集からのオリジナルストーリー

萩原慎一郎さんの歌集『滑走路』をベースにしたオリジナルストーリーの映画です。

桑村さや香さんのシナリオがとてもよく、それを大庭功睦監督が俳優の間合いを活かし緊張感を途切れさせず息苦しいくらいに張り詰めた映画にしています。

滑走路

滑走路 / 監督:大庭功睦

萩原慎一郎さんとは

萩原慎一郎さんは1984年生まれの歌人で、第一歌集『滑走路』の出版直前、2017年6月8日に32歳で自死しています。

ウィキペディアによれば、萩原慎一郎さん自身が中学生時代に「同級生からからかわれ始め、暴言や暴力の伴う苛烈ないじめへと発展し、そのいじめは中学校から高校と長期間に渡って行われ続けた」らしく、自死にいたる前には「長期間いじめを受けてきたことに起因する精神的な不調が続いて」いたとのことです。

短歌は17歳の時に俵万智さんに触発されて始めたとありますので、いじめが続いていたときです。『滑走路』の帯には、友だちにあてたメールの一文「僕は歌う。誰からも否定できない生き様を提示するために。」が引用されています。(初版本?)

弟さんのツイッターですね。

高校卒業後はいじめの後遺症に苦しめられながらも早稲田大学の通信制を卒業し、非正規雇用で働きながら短歌の創作を続けています。受賞歴を見ますと2003、4年あたりですから20歳くらいから頭角を現し始めたようです。

ウィキペディア朝日新聞の記事を読みますといじめや非正規の心情を詠んだ歌が数多くあるようで、映画のあのシーンはこの歌からイメージされたシーンかと思うものがあります。

ネットで検索しますと書評や感想などの記事にいろいろ引用されていますのでいくつかは読むことができます。引用の引用はあまりよろしくないのでいくつかリンクを貼っておきます。

ネタバレあらすじ

3つの物語が同時進行し、次第にその関連が明らかになるというつくりです。ただしパズルのようにピッタリとはまりストンと落ちるわけではありません。その分残るものは多いです。

3つの物語はそれぞれ時代が異なっており、ひとつは中学時代の男女ともう一人の男の物語、2つ目はそのもう一人の男の24歳の物語、そして3つ目は30代後半になった女の物語です。ですので映画の中の人物が出会うことはありません。

この構成がとてもうまくいっています。それぞれの物語が交錯し始めるのは中頃だったと思いますが、それまでも3つがどう関連するんだろうと気になることはありません。それぞれが単独で集中させられるだけの物語性をもっていますし、映画的にもとても自然に整理して見られるようにつくられています。

ですので以下のあらすじは映画の時系列ではなくそれぞれの物語の時系列です。映画はこの3つがとてもうまく関連付けられ自然に流れていきます。

軸となっているのは中学2年の物語です。

学級委員長(寄川歌太)は幼馴染の裕翔がいじめられていることを知っています。ある日、屑籠に捨てられた鞄をもっていじめられる裕翔を助けに行き、裕翔に少しは歯向かえよと強い言葉を投げつけます。

ところが今度は学級委員長自身がいじめの対象になります。いじめの方法は暴力もありますが、いじめの被害者を脅していじめの加害者にするという卑劣なものです。裕翔を脅し学級委員長の教科書を盗ませるといったことが続きます。

裕翔は引きこもり学校を休むようになります。

同級生の天野(木下渓)は学級委員長の鞄がプールに投げ込まれるところを目撃し、自分がずぶ濡れになりながらも鞄を拾い出し学級委員長に返します。その時、学級委員長は廊下に張り出された絵を見ています。その絵は優秀賞を受賞しており「天野翠」の名が記されています。

鞄を受け取った学級委員長は余計なことをするなと撥ね付けますが、この絵、好き?と尋ねられますと、一瞬背を向けて去ろうとしたものの振り返り、その子が泣いているように思ったと答えます。(絵は水彩画で、ほぼ全面夕陽の色合いの下に小さく後ろ向きの人物が黒の色合いで描かれている)

学級委員長と天野の交流が始まります。

ある日、天野が先生に相談してみたら? 私が言おうか? と心配します。学級委員長はやめろ、先生にチクればもっとひどくなる、これくらいなら耐えられる、それに母親に知られたくない、と突っぱねます。(母親はシングルマザーで心配させたくないということのよう)

いじめは続きます。カッターを渡され天野の絵を切り裂いてこい、母親に知られるのとどっちがいいと脅されます。学級委員長は絵を切り裂いてしまいます。切り裂かれた絵を見た天野は人物だけが切り裂かれずに残されていることに気づきます。

学級委員長は学校にいけなくなります。天野が訪ねてきて、私、怒ってないよ(だったかな?)と声をかけ散歩に連れ出します。(ここの会話、忘れてしまった…)

再び学校へ行けるようになった学級委員長は引きこもっている裕翔を訪ね、ごめん、お前のこと何もわかっていなかったと謝ります。裕翔は、全部お前のせいだ!と泣き叫びます。

学級委員長は天野が転校することを知らされます。(多分)前日の深夜、何かを決心したかのように飛び起きた学級委員は学校へ駆けつけガラスを割り美術室に侵入し自分が切り裂いた天野の絵を家に持ち帰り修復します。

引越し当日、あるいは学級委員長が来てくれるかと遠くを見つめる天野ですが姿はありません。その時学級委員長は修復した絵を持って自転車で向かっています。間に合わず出発した天野(車)ですが、橋の上で出会います。

絵を返そうとする学級委員長に、天野はあげる、約束だからと答えます。学級委員長が〇〇(記憶にない)と言いますと天野は学級委員長の胸に倒れ込むようにして学級委員長を抱きしめます。学級委員長もそっと天野の背中に手を回します。

二人はそれぞれの方向に歩き始めます。カメラがゆっくりと引かれ(ドローン?)夕陽の中、二人が橋の両側へ歩いていく姿をとらえています。ラストシーンです。

25歳の鷹野(浅香航大)は厚生労働省の若手官僚です。徹夜続きの激務や陳情者と省の板挟みになる立場もあり、不眠症に悩み精神科のカウンセリングを受けています。

ある日、陳情者の資料の中に自分と同じ25歳で自死した男性がいることを知り、なにかに駆り立てられるかのようにその男のことを調べ始めます。

男が非正規雇用で働いていた最後の職場を訪ねますと担当者は、そりゃこんな単純労働続けていたって何のキャリアにもなりませんから希望なんて持てやしませんよと話し、最後に、そういや失恋したって話もありましたよと言います。

元恋人の看護師を訪ねますと、その女性は男の死を知らなかったと驚き、死亡の日を聞き、好きな人ができたと去っていった直後ですとショックを隠せません。

相変わらず鷹野は不眠症に悩まされ、悪夢を見るから眠るのが怖いともらしています。

ある日、看護師の女性から電話が入り、男性が中学生の頃にいじめられていたと話したことがあると知らせてきます。

鷹野はある夜、奥深くしまってあった学級委員長の教科書、自分が盗んだ教科書を見つめています。鷹野は引きこもっていた裕翔です。鷹野の苦悩は更に深くなり妄想まで見るようになっています。

(ここでやや断絶しており、なぜ鷹野が学級委員長の自死を知ったのかがわからない、描かれていなかったのか、私が記憶できていないのか…)

鷹野が学級委員長の母親のもとを訪ねます。祭壇の遺影とともに、天野が描き学級委員長が切り裂き修復した絵が壁に貼られています。天野は深々と頭を下げ、教科書を母親に差し出します。母親は、あなたが持っていて、けっして忘れないように、と鷹野に返します。帰り際、母親は優しく〇〇(記憶にない)と声をかけ鷹野を送り出します。

翠(水川あさみ)は30代後半、切り絵作家として認められつつあります。夫は美術教師です。食事をつくるのも役割分担するなどお互いを尊重する生活スタイルを守っています。翠が切り絵作家としての新しい依頼が来たことを相談しますと、夫は、君の好きなようにすればいい、これまで君の意見を尊重しなかったことはあるかと言います。

翠が子どもを持つことをどう思うかと相談をします。夫は自分はどちらでもいい、翠の好きなようにすればいいと答えます。

夫が珍しく酔っ払って帰ってきます。翠の作品を見て、翠は本物だよなと愚痴ります。美術のカリキュラムがなくなり失業したと言います。翠が、大丈夫、私が(認められ始め)稼ぐからあなたはしばらく休んでそれから新しい仕事を見つければいいよと返します。

翠が妊娠します。迷います。夫に妊娠を告げます。夫は翠の好きなようにすればいいと答えます。

(ここであったかは定かではないが)中学時代の同級生から学級委員長が12年前に自死していることを知らされます。翠は天野翠です。

翠は中絶の選択をし予約をします。そして夫に中絶した、あなたの子供だから堕ろしたの!と告げます。

数年後、翠は切り絵作家として成功しています。展覧会の日、離婚した元夫が訪ねてきます。夫が一枚の絵を見ていいねと言います。翠は、昔水彩画を描いていたことを思い出し切り絵と重ねてみたのと答えます。

元夫の帰り際、お互いに再婚は?と尋ね合い、それぞれ首を降って別れます。元夫を見送る翠に2、3歳の子どもがお母さんと駆け寄ってきます。

シナリオのうまさが光る

原作を読んでいませんのであくまでも想像ですが、いじめや非正規雇用に関する歌があるにしても学級委員長と裕翔の関係や鷹野の存在を想起させるものではないと思われ、おそらく、翠の存在を含めシナリオの創作でしょう。

よくこの物語にまとめ上げたと思います。あらすじなどでは書ききれないかなり細かいところまでよく考えられています。

広報段階では、水川あさみさんの役名を「翠」、その中学時代を「天野」とし、浅香航大さんの役名を「鷹野」、中学時代を「裕翔」として同一人物の物語であることを明かしていません。そして、自死する男を単に「学級委員長」として人名をつけていません。おそらく名前を与えないことで人物に匿名感を与えたかったのでしょう。

安易に男女二人の話にせず、影となるもう一人の男を入れ、単純ではないいじめの構造の一端と複雑さを裕翔と鷹野という一人であって一人ではない人物を使って描こうとしています。

裕翔がプラネタリウムにのめり込んでいる設定もよく考えられていますし、学級委員長が裕翔を訪ねて謝るシーンもあれがあるないでは映画が全く変わってしまいます。あれがなければ鷹野の苦悩が浮いてしまいます。

ただ、映画的バランスとしては鷹野を苦悩一点張りの人物にしているのは一面的になりすぎている感があります。余計なこととは思いますが、精神科医のカウンセリングは流れとして浮いていますし、2回目のカウンセリングのカメラワークも意味不明です。鷹野と医師二人の診療室が実はそうではないと見せようとしたのか、あるいは鷹野の脳内イメージだと示そうとしたのか、とにかくよくわかりません。

鷹野が自分の過去と向き合う契機となる非正規労働者の自死は萩原慎一郎さんをその人物に反映させているわけですが、であればもう少し丁寧な描写が必要でしょう。ここはやや安易に過去のいじめに直結させ過ぎではないかと思います。鷹野が学級委員長の死を知る流れがはっきりしないのも私が記憶できていないのではなくうまく描けていないのかも知れません。

あらためて考えてみれば、鷹野という人物がこの映画のキーポイントのような気がしてきます。鷹野をどう描くかが映画の立ち位置を決めるといってもいいかも知れません。その点では映画自体、やや曖昧に終わっていると言えます。

褒めているのに妙なところへ行き着きそうですが、映画全体としては翠の存在でバランスがとれています。

翠は翼を手にして飛び立った

よくよく考えれば、翠が学級委員長との過去に思いを馳せるような描写はありませんし、翠の物語には他の2つの物語との共通点はあまり見い出せません。なのに不思議なことに意識レベルとしては妙にシンクロしています。

翠が学級委員長の12年前の自死を知った次のシーンが何であったか記憶がありませんが、中学時代のいずれかのシーンに間違いないでしょう。その編集がスムーズであったんだろうと思いますが、全く異なった物語がシンクロしたとするならそれだけではないでしょう。

この映画、台詞として「生きづらい世の中」という言葉が何度か語られます。

翠は夫との関係に違和感をもっています。切り絵作家として可能性があるにしても将来への不安を打ち消すことはできません。子どもを持つことのリスクも年々高まっていきます。

そうしたことが生きづらい世の中に直結するかどうかは人それぞれですが、いずれにしてもその時点の翠は閉塞感の中にいます。

「きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい」

翠はその時、翼を手にしたということでしょう。

翠が抱えている問題は今の世の中の現実です。翠は桑村さや香さんとほぼ同年齢です。他の2つの物語とはやや異質ではありますが、このパートがあることでこの映画に現代的意味での広がりが生まれているように思います。

この映画の翠は結果として切り絵作家として成功していますが、非正規雇用の問題と女性の社会的立場の問題は重なるところが多くその点でも萩原さんの歌とリンクしているのかもしれません。

それにしても翠が夫(男)を徹底的にやり込めているのはちょっとばかり怖いくらいです(笑)。

萩原慎一郎さんの滑走路から

長くなってきましたが、最後に飛行機。

上に引用した歌からも萩原さんが翼を求めていたことは如実にわかります。映画でも多くの場面で飛行機を登場させています。

冒頭、授業のシーンです。飛行機が走行音が入ります。窓際の席の学級委員長は空を見上げています。教科書にむかい何かを書いています。教師がやってきて授業中に落書きか!と叱責します。

学校の屋上に横たわり飛行機を眺めるシーンがあります。

公園で天野と横たわり空を見上げながら、将来何になるの? パイロットと話すシーンがあります。

まだあったかも知れません。ひょっとしてラストシーンの夕陽の中に飛行機が入っていた?

最後の最後に、水川あさみさん、よかったですね。「ミッドナイトスワン」の母親役くらいしか見ていないのですが、この翠はよかったです。

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