「イサドラの子どもたち」ネタバレレビュー:ダミアン・マニヴェル監督、映画づくりの岐路に立つ

ダミアン・マニヴェル監督は、現在踊っているかどうかはわかりませんが、もともとコンテンポラリー・ダンサーですのでダンス(に関わる)映画を撮ることは極めて自然なことだと思います。

ただ、「映画」という意味ではこれまでとはちょっと様子が違ったようです。

 

イサドラの子どもたち

イサドラの子どもたち / 監督:ダミアン・マニヴェル

 

 

マニヴェル監督の映画は静止のダンス

極端な言い方をすれば、クラシックバレエは動くダンス、コンテンポラリーダンスは静止のダンスです。静止した状態で場の空気を支配できないダンサーはコンテンポラリーは踊れません。

 

これまで私が見てきたダミアン・マニヴェル監督の映画はコンテンポラリーダンスのリズム(ちょっと違う)で撮られています。フィックスでも画が持つのはそのせいです。

 

で、この「イサドラの子どもたち」はこれまでのものとはまったく違ったものになっています。これまでのものが「映画」が「ダンス」になった作品とするならば、この作品は「映画」で「ダンスしよう」とした映画です。

 

別の言い方をすれば、映画で物語を語ろうとしています。

 

物語

イサドラ・ダンカンはモダンダンスの祖と言われる人で「早くから古典舞踊を学んだが、その慣習的な動きに満足できず自分自身の創作する自由な舞踊(ウィキペディア)」を目指した人です。

 

モダンやコンテンポラリーだけではなく、クラシックをやっている人でも習い事を卒業するレベルの人であれば知らない人はいないでしょう。

 

そのイサドラ・ダンカンの「Mother」という作品を4人の女性の3つのパートにより全体として「Mother」を表現するという試みです。

 

この「Mother」は、イサドラがふたりの子どもを自動車事故で亡くした後の悲しみの中から生まれた作品と言われているそうです。どんなダンスかはYouTubeにいくつか上がっています。

 


Mother (Isadora Duncan c. 1923)

 

パート1

振付家のアガト(アガト・ボニゼール)はイサドラ・ダンカンの自伝から「Mother」を知り、舞踊譜をもとにイサドラのダンスを再生しようとします。

 

パート2

ダンサーのマノン(マノン・カルパンティエ)が「Mother」の公演に向けて振付家のマリカ(マリカ・リッジ)の指導のもと創作に励んでいます。

 

パート3

エルザ(エルザ・ウォリアストン)が「Mother」の舞台を見ています。家に戻ったエルザは子どもの写真の前で香をたき、イサドラの言葉を読み、「Mother」を踊り始めます。

 

というように、3つのパートで「Mother」を物語っていきます。

 

もちろん「イサドラの子どもたち」は俳優が演じるフィクションです。

 

ちなみに、パート3のエルザ・ウォリアストンさんはダンサーであり振付家でもある方らしく、ダミアン・マニヴェル監督の映画では「犬を連れた女」に出演された犬を連れたその女の俳優さんです。

 

物語ることと物語が生まれること

人は物語に感動します。

ただ、その物語には語られる物語と生まれてくる物語があります。たった1枚の絵でも見る者がそこに自らの思いを重ね合わせればその人には物語が生まれてくるように、映画でも語ろうとしていないのになぜか生まれてくる物語に感動してしまう映画があります。

 

どちらかと言いますと、これまでのダミアン・マニヴェル監督の映画はそうした映画です。

 

しかし、この「イサドラの子どもたち」は物語を語ろうとしてつくられています。そのように画を構成しています。それが見えてきます。ですのでそれ以上のものは生まれません。

 

ダミアン・マニヴェル監督がある種の岐路に立っているという映画でしょう。

 

魂の燃ゆるままに―イサドラ・ダンカン自伝