「羊飼いと風船」ネタバレレビュー・あらすじ:映画のつくりやカメラワークが洗練されている

映画らしい映画です。プロの技みたいなものも感じます。

ペマ・ツェテン監督、初めて見ました。フィルメックスでは過去の作品も何本か上映され、この「羊飼いと風船」を含め3度の最優秀作品賞を受賞しているようです。

また、今年の3月には岩波ホールで「チベット映画特集」があり、ペマ・ツェテン監督の作品も「オールド・ドッグ」と「タルロ」の2本が上映されます。

 

羊飼いと風船

羊飼いと風船 / 監督:ペマ・ツェテン

 

 

チベット映画とペマ・ツェテン監督

 

チベット映画と言えば、この岩波ホールの特集でも上映されます「ラサへの歩き方 祈りの2400km」をお勧めします。監督は中国人のチャン・ヤン監督ですが、俳優ではないチベットの人たちが五体投地でラサへ巡礼する姿を撮っています。感動します。

 

 

ペマ・ツェテン監督 

1969年生まれということは現在51歳くらいです。公式サイトにインタビューが掲載されています。

 

22歳くらいで小説家としてデビューし、映画は33歳の頃に北京電影学院に入学して文学部で映画脚本と監督学を学んだとあります。

 

この「Balloon 气球」については、

脚本を北京の検閲に持っていったところ、許諾を得ることができませんでした。おそらくプロットがあまりに直接的な内容だったからだと思います。

と言っていますので、「一人っ子政策」への批判と取られたということなんでしょう。続いて、

これではいつまで経っても映画にすることはできないかもしれないと気がつき、私はこれを小説にしました。小説としては、この物語は非常に豊かなものになりました。ある程度の間、寝かせ、いくつか修正を加え、より繊細な脚本にしました。そして再度検閲に持っていったところ無事に通り、最終的に映画を完成させました。

 

いったん小説にしたことで脚本がよく練られたものになったようです。映画に無駄がありませんし、各シーン、各カットに思いが込められていることが伝わってきます。

 

ところで、この映画のトーンですが、日本では多くの場合、抒情性を前面に出して映画を売ろうとしますし、その方が客が入るんだろうと思いますが、この映画、どちらかと言いますとかなり人間臭い(ちょっと言葉が違うか…)話です。

 

海外向けなのか、中国国内向けなのかわかりませんが、日本の宣伝画像よりは下の画像の方が映画のトーンをよく表しています。

 

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中国国内向けの予告編でもそうですね。

 

ネタバレあらすじとちょいツッコミ

(映画のつくりが)美しすぎて突っ込みどころはありません。

 

冒頭の羊の放牧シーン、なにかフィルターがかかったような映像です。子どもたち二人の声で、その映像の中の草原に座る男が自分たちのおじいさんであり、バイクでやってきた男が父親だとナレーションのように入ります。

 

フィルターらしきものが取れますと父親に駆け寄る子どもたちの姿がフレームインしてきます。子どもたちはそれぞれ白い楕円の風船を手にしています。それ越しの映像だったということです。ただ、その風船はコンドームです。

 

このシーンだけで、この映画がチベットの秘境的なイメージでつくられた映画ではなく、人間の営みを描くことに焦点を当てていることがわかります。しかし、ここは中国の施政下にあるチベットです。政治と宗教がその人間の営みとぶつかります。

 

父親タルギェは何をやっているんだ!と子どもたちを追いかけ風船を割ってしまいます。おじいさんは風船ぐらいのことでそんなに怒るなと言っています。タルギェは子どもたちに町に行ったら風船を買ってきてやると言ってバイクで去っていきます。

 

おじいさんはそれがコンドームであることを知らないようです。コンドームは政府の人口抑制政策の一環として配布されているものと思われます。

 

タルギェが家に戻り、妻ドルカルと話しています。(正確には記憶していないが)羊の種付けのために種羊を借りてくる話やコンドームの話(もしていたと思う)をし、息子の学費のために羊を一頭売ると言って囲いの中の羊を一頭捕まえて別柵に入れます。ドルカルがその羊を売るのかと尋ねますとタルギェがもう子どもを産まなくなったからなと言っています。

 

このシーンだったかはっきり記憶はないのですが、ふたりが話をしているその間に何か棒のようなものがあり左右に分かれているような構図のカットがあります。特別ふたりの何かを象徴しているわけではないのでしょうが、考えられた構図であることは間違いないと思います。

そうした強く主張するわけではありませんがよく考えられた構図の画が多い監督です。冒頭のコンドーム越し(に見える)カットもそうですし、この後もガラスに人物を写したり、逆にガラス越しであったり、水に人物を写したりといろいろ考えて撮られた画がたくさんあります。そうしたところも映画らしい映画という感じがします。

 

中国版の予告編を見ますとそうしたカットがたくさん入っています。

 

タルギェが種羊をバイクにくくりつけて町から戻ってきます。タルギェがいい種羊だろう言いますとドルカルはあんたみたいねと返します。

 

という感じで、日日是好日的世界と言いますか、その日その日をあるがままに生きることを良しとしている価値観がベースにある生活のようです。あくまでもベースにあるという意味です。

 

シーン変わって町中です。僧が車(タクシーみたいなもの)に乗って移動しています。降りて学校へ入っていきます。すれ違う男を見て隠れるようにしています。男が近寄ってきます。僧は尼僧です。

 

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男はなにか女に思いがある様子です。女は避けようとしています。女は男になぜここに?と尋ねます。男は転勤でこの学校で教えていると言い、逆になにをしに?と尋ねます。女は今日から夏休みだと聞き甥を迎えに来たと答え、甥を呼んで欲しいと頼みます。男は甥とともに帰ろうとする女に待ってと言い、本を渡し、自分が書いた本だと言います。

 

女はドルカルの妹シャンチェで、甥はタルギェとドルカルの長男で家族と離れて全寮制の中学にいっています。ということは一切説明されませんが自然にわかってきます。シャンチェと男の関係はその後も説明がありませんのではっきりしたことはわかりません。男女関係で何かがあり、そのことでシャンチェは仏門に入ったということでしょう。

 

想像では、学生たちが先生は離婚したと言っていたこと、後にドルカルが男にあなたのせいでとか怒っていたこと、シャンチェには未練があるようだということ、そして仏門に入ることで断ち切ろうとしたことを考えますと、妻のいる(いた)男との恋愛ではないかと思います。

 

この映画は、そうした私たちの世界では下世話になりやすい(笑)ことをはっきりとは語らずとてもうまく描いています。

 

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夜の食事のシーンです。シャンチェも仏門に入る前は同居していたような感じです。それとこのシーン、皆で羊のスペアリブを食べているのですが、タルギェの肉を食べる音がクチャクチャと強調されています。おそらくタルギェの精力的なところを見せているのだと思います。

 

ドルカルが町の診療所を訪ね、女先生(と字幕で表示されていた)はいないかと男の医師に尋ねます。その前のどこかのシーンで男の医師が往診で巡回していたのでしょう、ドルカルが女先生は診療所にいるかと尋ねるシーンがあります。つまり、女性の悩みを医師であれ男には話しづらいということをみせています。

 

ドルカルは女先生に避妊手術をしたいと言っています。タルギェが精力的だからということと子どもをつくりたくないということです。コンドームは? 子どもが遊んでしまったの、配布用はなくなった、避妊リングは? などと話しています。帰り際、先生は自分用のコンドームをひとつ分けてくれます。

 

夜、長男がおじいさんの背中を掻いています(白い粉をつけてこすっていた)。おじいさんは長男には背中にほくろがあるからおばあさんの生まれ変わりだと言っています。下の子どもたちは長男に背中を見せてと言い、長男が見せています。たしかに大きなほくろがあります。

 

(前後がはっきりしないが)ドルカルが布団の下に隠しておいたコンドームを子どもたちが見つけてしまいます。子どもたちは風船のようにふくらませて友だちが持っている笛と交換してしまいます。

 

村人たちが共同で羊の消毒作業をしています。村人のひとりがタルギェに子どものしつけをしっかりしろ!と怒ります。コンドーム風船と笛を交換した子どもの父親です。言い争うが取っ組み合いの喧嘩になっていきます。

 

ドルカルがシャンチェが持っている本を見つけて問いただします。シャンチェは男と会ったことと本には自分とあの人のことが書かれていると話します。ドルカルは本を暖炉に放り込みます。シャンチェが慌てて火の中から取り出し手にやけどを負います。

 

また別の日、その男がシャンチェを訪ねてきます。ドルカルはシャンチェとは会わないで! もう来ないで! と怒ります。帰り際、ドルカルは焼け焦げた本を男に突き返します。

 

ある日の夜、タルギェとドルカルの布団の中、(プライベートがあるようには思えないが寝室とかはどうなっているんだろう?)タルギェがセックスしようとします。コンドームはありません。

 

そのシーンはありませんがその後の展開から結局行われたのでしょう。ドルカルが強く拒否するといった描写は、ここだけではなく映画全編通して全てにおいてありません。ラストのただひとつを除いて。

 

タルギェと長男が種羊を知り合いに返しにいきます。タルギェがその知り合いと飲んでいますと携帯電話が鳴ります。電話に出た長男がおじいさんが死んだ!と叫びます。

 

家に戻りますとすでに僧侶たちがお経をあげています。父親を荼毘に付して弔ったタルギェは高僧に父親はいつ転生するか?と尋ねます。高僧はすぐに家族の中に転生すると答えます。

 

ドルカルが診療所に女先生を訪ねて妊娠検査をします。沈んだ面持ちのドルカル、妊娠しています。女先生は即座に、堕ろしなさい、罰金よと言います。

 

ドルカルが家に戻りタルギェに妊娠を告げますと父親が転生したと喜びます。ドルカルは3人もいるのにこれ以上育てられない! 罰金をどうやって払うの! と反論します。タルギェは自分が育てると譲りません。

 

診療所、堕胎の準備をする女先生、タルギェと長男が駆け込んできます。分娩台にはドルカルがいます。

 

後日、シャンチェに付き添われてドルカルが出掛けていきます。

 

映画は何も語っていませんが、ドルカルは堕胎し、その供養なのか、自分自身の罪悪感なのか、あるいは仏門に入るのか(多分これはない)、シャンチェのお寺へ行くのでしょう。確か、長男が誰にともなくお母さん出家しないでと言っていたと思います。

 

後日、タルギェは長男と羊一頭をバイクに乗せ町に向かいます。羊を売ります。長男を学校まで送りしっかり勉強しろと言い降ろします。長男は家に帰りたい、勉強は嫌いだと言います。タルギェは何を言っている!勉強しろ!と言って構わず去っていきます。タルギェは町の露店で風船屋を見つけ、赤い大きな風船を2つ買います。

 

家に戻り、子どもたちに風船を渡します。大喜びで受け取った子どもたちは草原を駆けていき丘の向こうに姿が見えなくなります。

 

赤い風船が2つ大空に上っていきます。

 

空を見上げるタルギェ、ドルカル、シャンチェ、子どもたち(もあったかも)のアップで映画は終わります。

 

映画のつくりが洗練されている

物語性の強い映画ですが、それがあまり前面に出ないように抑えられたよく練られた映画です。

 

映画のパワーという点では物足りなく感じますが、知的で洗練されています。

 

他の作品のDVDも配信もなさそうですので小説を読んでみましょう。

 

風 船 ペマ・ツェテン作品集

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