「ひとくず」ネタバレレビュー・あらすじ:児童虐待が人情噺に利用されている

現在の社会問題を昭和の価値観で片付けてしまってはなにも生まれないと思います。

 

「10ANTS」という劇団の上西雄大さんという方が監督であり、主人公である男性を演じている映画です。劇団(兼芸能プロダクション)のウェブページをみてみますと、「かつての大映映画」とか「浪速の人情」などの言葉が踊っていますので、ああ、そういうことねと、それはそれとしてなるほどとは思います。

 

ひとくず

ひとくず / 監督:上西雄大

 

 

母の愛の不在と暴力的な男 

児童虐待やネグレクトを母親の愛がないからとか暴力的な男によるものだとして描くのはよくありません。

 

暴力的な男は誰にでも暴力的

この映画の虐待はあまりにも単純です。鞠を虐待しているという男、子どもの頃の金田に暴力を振るうヤクザの男、あのふたりの男はなぜ子どもに暴力を振るい虐待するんでしょう。

 

映画見ていてもまったくわかりません。ただ暴力的なだけです。あの男たちなら相手が誰であれ暴力的だと想像されます。

 

児童虐待って、果たしてそういうものなんでしょうか?

 

暴力的な男だから虐待をするということではなにも見えてきませんし、仮にそうだとしても、じゃあ、なぜその男は暴力的なんだという方へ行かなければその映画は虐待をドラマのネタにしているだけです。

 

いま社会問題化している虐待はそう単純じゃないように思います。仮に傍目まったく暴力的に見えない男であれ女であれ、そういう人物が実は家庭内では虐待をしているというケースがあるとすれば、そうしたところから人間の暴力性なりを描くのが映画ではないかと思います。

 

ネグレクトは母親の愛が足りないから

この映画は、児童虐待の被害者となっている鞠と子どもの頃の金田を重ね合わせて描いていますが、そのどちらも母親の愛を得られていない状態であるとしています。

 

どちらの母親もシングルマザーであって子どもに無関心、子どもよりも男を選ぶ女として描かれています。

 

そして、最後には二人とも改心しています。鞠の母親は金田に普通の家族にならないかと言われて改心し、金田の母親は、よくわかりませんが、やっぱり実の母子の関係は強いねと言わんばかりのまとめ方です。

 

んー、論評のしようがないですね。ネグレクトの理由を母親の気持ちの持ちようみたいなところで語ってしまうというのは理解できません。

 

ネタバレあらすじとちょいツッコミ

金田(上西雄大)は空き巣を稼業としています。ある日、あるアパートに忍び込みますと、そこはまるでゴミ屋敷のようで、10歳くらいの少女が怯えて隠れています。ドアは外から施錠され、冷蔵庫にも食べ物もありません。

 

悲劇を人情噺でもてあそぶ映画

ちょっとツッコミを入れておきますと、映画の中頃に金田が戸建ての住居に侵入するシーンがあり、そこではまず玄関から留守を確認し、その後ガラス戸を割って入っています。

 

なぜ、この冒頭のシーンでは玄関からのシーンがないのでしょう。シーンがないだけじゃなく金田はこのアパートの留守を確認していません。玄関に外から二重に鍵がしてあるアパートなどに空き巣には入らないでしょう。

 

いや、映画なんだからということではありません。この映画は、金田の不幸だった過去を語るために児童虐待を利用しています。

 

児童虐待をテーマにしているというのであれば、金田のフラッシュバックを入れるにしても、金田が鞠の置かれている状況に接することから、なぜ自分は虐待されていたのか、なぜ母親はあの男に執着していたのか、なぜあの男は自分に暴力的だったのかなど、子どもが虐待されることとは一体どういうことのなのかを金田なりに整理していく描き方もできたはずです。

 

でも、この映画は単に金田が鞠と鞠の母親に擬似家族を夢想し、その後、殺人犯として服役し出所後も、老いた母親とただ抱き合うだけで何もかもなかったことにして許してしまうという人情映画にしています。

 

金田は鞠に擬似家族を夢想する

金田は自分の過去を重ね合わせるように鞠に執着し、食べ物を与え、身ぎれいにし、遊び歩いていた母親を罵倒し、母親が依存している男を殺害し、鞠とその母親のもとに居座ります。鞠も金田になつきます。

 

ここで問題なのは、そもそもの鞠の母親のネグレクトの構図がまったく見えなくなってしまっていることです。仮に鞠の母親が男に依存することでしか生きていけない女であるとするのなら、また、それがネグレクトとなる理由であるとするのなら、金田にどのように対するかがまったく考えられていません。ただ汚い言葉で罵倒するだけです。

 

映画が、ネグレクトをどう考えているのかではなく、金田の不幸な過去を語ることにしか執心していないからです。

 

最後までその視点で映画は進みます。鞠は金田をいいおじさんとしか言いませんし、鞠の母親はまったくどうしたいかの意思など持たないかのようにただ金田との罵倒しあいの相手をつとめているだけです。

 

人情刑事の登場

人情映画の特徴で、罪を憎んでも人を憎まずの刑事が登場します。

  

金田は過去に自分に虐待を重ねてきたヤクザの男を刺殺します。フラッシュバックで、服役した金田に面会する母親のシーンなども入れていました。当然、母親への罵倒しかありません。

 

ところで、単なる疑問ですが、金田はその時、中学生か高校生と思われ、事件の内容からすれば少年院送致と思われます。少年院でもああいう面会形式なんでしょうか。

 

少年時代の殺人事件の時の担当刑事が登場します。すでに書きました戸建てへの空き巣捜査で金田の犯行と目星をつけています。

 

金田のますます鞠へ執着し、鞠の母親に家族にならないかと言います。金田はまっとうな仕事を見つけようとしますが見つかりません。人情刑事が仕事場を紹介してくれます。

 

しかし、金田は鞠の母親の男の殺人容疑で殺人容疑で逮捕されます。この事件の捜査は人情刑事とは別の本庁とか言っていました。

 

はっきり言って雑です。これも金田の物語を語る以外に気持ちがいっていないからでしょう。

 

感動的なエンディングと思いきや…

金田が逮捕されるその時、鞠は、おじちゃーん、おじちゃーん(違うかも)と泣き叫び、追いかけて倒れ、母親とともに涙を流して金田にすがるような構図の画となっていました。

 

で、エンドロールです。おや、おやと思いながら俳優名などを見ていましたら、何とその後にさらなるオチがついていました。

 

何年か後、出所した金田がとぼとぼと歩いています。車がやってきて止まります。20歳代くらいの女性が降りてきて金田の前に立ちます。確か、すぐに金田が鞠と声をかけていたと思います。車から鞠の母親が降りて車のハッチバックを開けます。車椅子が降ろされ、そこには金田の母親が座っています。

 

ふたりは抱き合って(いたような…記憶がない)終わります。

 

人情ファンタジー

「10ANTS」のサイトの「10匹の蟻」という舞台のチラシに「人情ファンタジー」という言葉がありましたのでそこから借りた言葉ですが、まさしくこの映画も人情ファンタジーです。

 

児童虐待をテーマにした映画ではありません。金田と母親の人情ものに児童虐待を利用しているだけです。

 

言い過ぎているかもしれません(ぺこり)。

 

子宮に沈める

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  • 伊澤恵美子
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