破壊の日

豊田利晃監督、変われ!と叫ぶ

変われ!!

破壊の日

破壊の日 / 監督:豊田利晃

と言われて、変わらなくっちゃと思うか、変えなくっちゃと思うか、あるいは はあ? と思うか、はたまたお前こそ変われと思うか、人それぞれという映画でしょうか。

クラウドファンディングで制作資金が集められた映画らしく、そのこと自体も知らず今いろいろ読んでみたところでは、東京オリンピックの開会式予定日であった2020年7月24日に公開する映画をつくることが最初の目的だったようです。

もちろんそれとともに、物語の構想が

7年前、田舎町の炭鉱の奥深くで見つかった怪物。その怪物は何なのかは不明のまま不穏な気配を残して時が過ぎる。
7年後、村では疫病の噂が広がり、疑心暗鬼の中、心を病む者が増えていく。そんな中、修験道者の若者、賢一は生きたままミイラになりこの世を救うという究極の修行、即神仏になろうと行方不明になる、、、、、。
そして、「物の怪に取り憑かれた世界を祓う」と賢一は目を覚ます。 

ということであれば、当然、7年前に見つかった怪物とは2013年9月7日のIOC総会で東京オリンピックが決定したことを指していることになります。

映画の中ではその怪物によって「心を病むものが増え」たり「物の怪に取り憑かれた世界」が提示されることはありませんが、その象徴である(と豊田監督が考える)国立競技場を爆発させ、ラストシーンではその国立競技場を含め街全体が赤く染まっていく画で終えていました。

で、その怪物が何かは豊田監督がはっきりと言葉で語っています。

『破壊の日』は東京五輪を控え、強欲という物の怪に取り憑かれた社会をお祓いしてやろうと思い、今年の一月に企画を立ち上げました。

豊田利晃最新作「破壊の日」映画に救われたやつだけが映画を救う。 今こそスクリーンに映画を届けるために! – クラウドファンディングのMotionGallery

ということですので、修験道者の賢一(マヒトゥ・ザ・ピーポー)らが「変われ!」と叫んでいたのは、いろいろな意味はあるにせよ第一義的には商業主義的利権にまみれたオリンピックなんてやってないで他にやることがあるだろう、つまり「目を覚ませ!」ということだと思います。

他にやるべきことは何かを映画は語っていませんが、あるいは賢一が渋谷のスクランブル交差点でのたうち回りながら叫ぶシーンの背景に「れいわ新選組」を写り込ませていたのは意図的なのかも知れません。

といった内容ですので、必要な人物は賢一だけで、鉄平(渋川清彦)も、三日月次郎(イッセー尾形)も、春秋徹(窪塚洋介)も、新野風(松田龍平)も、俳優の力を借りて映画に厚みを持たせるためだけの役割になっています。

強いて言えば、鉄平は我々のような大衆(的)の位置づけかも知れません。そう考えていけば、新野風はわかってはいるのに何もしないメディア(マスコミ)にもみえてきます。

と、まあそこまで考えられてはいないとは思いますが、それにしても「救う」とか「祓う」とか、映画の主体を宗教的預言者(的)の位置に置いたり、神道の祝詞のような「祓い給え、清め給え」といった決め台詞を幾度も使っていたのはどういう価値観なんだろうと思います。

怒りがあれば怒りを、不満があれば不満を、また逆に喜びがあれば喜びを、こうしたストレートな映画はそれがないとつまらないです。

ただ、新型コロナウイルス感染拡大でオリンピックが延期になり、さらに自粛要請で撮影もできなくなり、最初の目的を達成するためには物語を含めいろいろ変更せざるを得なかったのかも知れません。目の前の巨大な敵がさらに巨大どころか見えない敵に変わってしまいつくり手の軸足の置きどころが曖昧になってしまった結果にもみえます。じっくりつくって公開を延期できなかったんでしょうか。

映画の出来はよくありませんが豊田利晃監督に興味がわいてきましたので、自伝らしい『半分、生きた』を読んでみようと思います。

半分、生きた

半分、生きた

  • 作者:利晃, 豊田
  • 発売日: 2019/09/25
  • メディア: 単行本