グリーンブック

日本にもグリーンブックがある…?

予告編を見ればおおよそ映画の内容は想像がつくこととアカデミー賞自体にさほど興味がないこともありスルーの予定でしたが、スパイク・リー監督が、この「グリーンブック」に作品賞が与えられた時に席を蹴ったというニュースを見て興味がわき見てみました。

グリーンブック

グリーンブック / 監督:ピーター・ファレリー

予想したとおりのパターン映画でしたし、アカデミー好みの映画かなあという気がします。

で、「スパイク・リー」も検索ワードに入れてヒットした記事を2,3読んでみますと、スパイク・リー監督が席を立った(実際には戻ったらしい)理由は、この「グリーンブック」は「白人が黒人を救う姿を描く“white savior(白人の救世主)”」の映画だということのようです。

アカデミー作品賞を獲った『グリーンブック』 は、なぜ賛否両論なのか? | ハフポスト

さらに記事には朝日新聞の藤えりかさんの言葉として「白人にとって心地いい映画」だとも言っています。確かにそのとおりで、差別する(してしまう)側の人間にとっては、私はあんなことしないし差別意識なんてないよと思えるポジションに立たせてくれる映画ではあります。

ちなみにスパイク・リー監督の「ブラック・クランズマン」も作品賞などにノミネートされており、結果、脚色賞を受賞しています。それに、「万引き家族」がパルムドールを受賞した昨年のカンヌではグランプリも受賞しています。劇場でも予告編が流れていますし公開は3月22日となっています。どんな映画か楽しみですね。

  

話を戻しまして映画です。

イタリア系アメリカ人の白人トニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)はクラブの用心棒のようなことで日銭を稼いでいます。妻と子供二人、それに家にはイタリア系の友人たちが常に出入りして、開放的で明るい家族です。

トニーの人物像としては、いわゆるがさつな感じですが、気のいいおっちゃんといったところで、映画としては意図的に黒人の作業員が口にしたコップをわざわざゴミ箱に捨てるシーンを入れたり、ニグロという言葉を使わせたりしていました。

一方のドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)は天才的なクラシックのピアニストでカーネギーホールで暮らしています。離婚経験があり、兄はいますが今は音信不通で孤独な人物として描かれています。

ドクター(ドク)は、レコード会社との契約だと思いますが南部へ演奏旅行に出ることになり運転手を募集します。

で、トニーが応募するわけですが、あの面接のシーンのドクの登場の仕方といい、まるで王座のような一段高い椅子といい、いまいち演出意図がわかりません(笑)。

あるいは、ドクはかなり知的な人物として描かれていますので、黒人である自分の置かれている環境やたとえばトニーのような人物が自分をどう見ているかもわかっている上で、いわゆる虚勢を張っていることの、あるいはそうしないと自分が保てないというようなことの演出なんでしょうか…。

時代は1962年(だったと思う)ですので、南部の州では黒人は白人と同席することすらできないという法律(ジム・クロウ法)まであり、映画でも、トイレは外の黒人専用の小屋のようなところと言われたり、レストランに入れなかったり、楽屋が物置であったりするシーンとして描かれています。

ただ、演奏自体はクラシックであることから、聴衆はその土地の名士と言われるような白人たちになるわけで、演奏自体にはごく普通に拍手で盛り上げていましたし、紹介にしてもごく一般的なものであり、敬意が損なわれているといった描き方はされていません。

意図的な悪意はないけれども差別が体に染み付いてしまっていてそれに気づかないという描き方なんでしょうか…。

タイトルになっている「グリーンブック」とは、トニーがホテルを取るために使っていましたが、車で旅行する黒人のためのガイドブックとのことです。

黒人ドライバーのためのグリーン・ブック – Wikipedia

といったことで、この二人のロードムービーということになり、以上のような設定を聞いただけでも想像できることがいろいろ起き、次第に二人の間に友情が芽生え、ラスト、孤独なドクがトニーのファミリーに受け入れられハッピーエンドとなるわけです。

ですので、上に引用したハフポストの記事で、藤えりかさんの直接の言葉であるか記者の言葉であるかははっきりしませんが、この映画には「希望」があると書かれているように、そう受け取ることが不可能な映画ではありません。

ただ、交流がなければ永久に「希望」も生まれない問題であることは確かなんですが、果たして差別されていると感じる黒人がこのグリーンブックを見て「希望」を感じるかどうかは…、どうなんでしょう?

また、日本で暮らす日本人にとっては、見る者を白人の側に立たせてくれますので受け入れられやすい映画だと思います。なかなか気づきにくいことではありますが、そうした白人目線、つまり差別する白人の側が心を広くして差別される黒人を受け入れることによって差別があたかも解消するかのような描き方がされていることは間違いなく、白人の側に立つことができさえすれば、感動もしほろりとすることができます。

さらにいえば、黒人であるドクを社会的地位においてはトニーよりも上に置くことによってしか成立しない物語であることも “white savior” という価値観を見えないところで支える要素になっています。社会的地位が上の者が下の者を救済するなどという物語はこの時代、中世でもありませんので成り立つはずがありません。

冒頭に「事実に基づく物語」 “based on a true story”(言葉は違っているかも)とスーパーされていましたので調べてみましたら、え? トニー・リップさんって、俳優でもあり作家でもあったんですか!?

トニー・リップ – Wikipedia

息子のニック・バレロンガさんがこの映画の脚本に名を連ねています。であれば、こういう映画になりますわね。

一方のドン・シャーリーさんの遺族からは抗議を受けているとの記事も多いです。ドン・シャーリーさんのウィキペディアは英語版しかありませんが、そのあたりのことが書かれています。

Their story is dramatized in the 2018 film Green Book, the name of a travel guide for black motorists in the segregated United States. In the fictionalized account, despite some early friction with their differing personalities, the two became good friends. This has been questioned by Don’s estranged brother Maurice Shirley, who said, “My brother never considered Tony to be his ‘friend’; he was an employee, his chauffeur (who resented wearing a uniform and cap).(ウィキペディア

「フィクションである映画では、全く性格の違う二人が本当の友達となったと描かれているが、ドン・シャーリーさんの兄である Maurice Shirley さんはこれに疑問を投げかけ、『弟はトニーを友達だと思ったことはないし、トニーは制服と帽子を嫌う単なる雇われ運転手だった』と語っている。」こんなようなことが書かれています。

実際に二人がどうであったかは二人にしかわからないことではあります。

いずれにしても、各シーン、この先こうなるよねと7,8割方は予想でき、そしてそのとおりになるという使い古されたドラマパターンに収まっていますし、かなりもたっとした印象で早い段階で飽きてきます。

と批判的なことばかり書いていてもいけませんので、この映画をちょっとばかり日本に引きつけて、たとえば、重役や役付きは男ばかり、女の社員はどう頑張っても一般職にしかなれず、女性皆不満を持っている会社があるとして、そこにどういうわけだか、突然女性の社長がやってきたと置き直し、その女社長(男社長という言葉もない)、役員会ではおっちゃんたちにセクハラまがいのことを聞こえよがしにつぶやかれたりしながらも、こういう場合は相手の懐にと思いおっちゃんたち御用達のゴル場の会員になろうとするも男性しか入会できず、新しく立ち上げたプロジェクトのリーダーに仕事はできる若手の男を抜擢し、ぶつかりながらもなんとかプロジェクトを成功させるために(ちょっと喜びつつ)若手の男たちとも馴染むこともできプロジェクトは成功、その打ち上げ会に参加してみれば、プロジェクトにさえ入れない女性社員たちからは白い目で見られる始末で居場所はなく、役員会といえば相変わらずおっちゃんばかりで、女の社員には総合職の道さえ開かれない…という会社をみて、その会社に「希望」を持つ女性がいると思います?

月刊週刊女性 2019年 02月 [雑誌]

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