「象は静かに座っている」(ネタバレ)この閉ざされた世界から抜け出す先もまた国境に閉ざされた町

「象は静かに座っている」上映時間234分ですからほぼ4時間の映画です。

監督のフー・ボーさんは、この映画がベルリン国際映画祭のフォーラム部門でプレミア上映された昨年2018年2月16日から遡ることおよそ4ヶ月前の2017年10月12日に自ら命を断っています。

その理由をウィキペディアは「his death was due to the conflicts with his producers Liu Xuan and Wang Xiaoshuai.(彼の死の原因はプロデューサーの Liu Xuan と Wang Xiaoshuai との確執にある)」と書いています。海外のレビューを読みますと、プロデューサーが半分程度の長さを主張し折り合いがつかなかったことが自殺の要因になっていると書いている記事が多いです。この映画の IMDb にこのふたりの名前は出てこないのは、監督の自殺後、映画の権利が監督の両親に移されたからのようです。

 

象は静かに座っている

象は静かに座っている / 監督:フー・ボー

 

正直なところ、4時間という長さはつらく感じます。ただ、もしこれが2時間に編集されていたとするならば、映画は物語を語ることに終始することになり、逃げようにも逃げ場のないようなこの映画の持つ閉塞感は出てこなかったのではないかと思います。

 

それに、この映画が実質的なフー・ボー監督のデビュー作ということからすれば、プロデュースの方向性としても4時間という長さを効果的にアピールすることも可能であり、次回作への期待も高まったのではないかと思います。その意味では非常に残念なフー・ボー監督の死ではあります。

 

公式サイトには「タル・ベーラを師と仰ぐ」とあり、特にその長回しには影響もあるとは思いますが、この「象は静かに座っている」が描いている世界はかなり現実感のある、というよりも現実そのものです。タル・ベーラ監督の映画に現実感がないという意味ではありませんが、映画から感じられるものは随分違うように思います。

 

一番印象的なのはカメラワークです。ワンカメで人物を追っていくのですが、ワンシーンでピントが合っているのはひとりだけです。ある人物が誰かに会うとして、そのある人物が移動する姿を肩越しに追い続けます。会う相手の人物がフレームに入ってきます。しかし、その人物にピントが合うことはありません。相手の人物が追っている人物に近づかない限り、たとえば、ピントを相手の人物に合わせて誰だかはっきり見せるといったことはしません。近づかない限りぼけたままです。また、たとえば、追っている人物が犬を連れているとして、その犬が別の犬に襲われて噛みつかれて死んだとしてもその犬にカメラがパンすることはありません。人物をとらえたままカメラは動きません。内心見せてよと思いながら見ていたのですが…(笑)。

 

こうした手法で何を意図したのかはわかりませんが、この人物を追っているということは明確に示されますし、この人物が見ているものではなく、この人物を見せようとしていることは間違いないと思います。

 

その人物(たち)は、高校生のブー、同級生のリン、ブーと同じアパート(?)に暮らすおじいさんジン、そして映画の中で怖い人と評されている(半グレ的?)チェン、この4人です。

 

始まってしばらくは戸惑い混乱しそうになりますが、手法がわかってくれば、必ずひとつのシーンは4人のうちのいずれかを追っており、代わる代わる切り替えられていることがわかります。

 

時間は連続しており、ある一日、朝から夕暮れを経て、最後は夜中までが描かれています。

 

まず4人それぞれの朝です。

チェンとある女性、かなり高層に見えるアパート、ふたりは(肉体)関係を持ったようです。そこに男がやって来ます。男はチェンを目に止めしばらく見つめいきなり窓から飛び降ります。これは後々わかることですが、男はチェンの友人、女はその妻です。

このシーン、おもしろいと言っちゃなんですが、そのアパートは男の住まいで、何かを忘れたのか家に戻ったのでしょう、なのに女もチェンもまったく慌てることなく、そして男も何も言うことなく(言ったかな?)飛び降りていきました(笑っちゃいけないので涙)。

 

ブーの朝、なんだかよくわかりませんでしたが、父親が怒鳴りまくっています。なにかパンのようなものをかじっていたブーはキレてパンを投げ捨て学校へ行きます。

ブーの人物像を表現するいいシーンがありました。紙のマッチ棒につばをつけ、火をつけて天井に放り投げると天井にくっつきそのまま燃え続け、しばらくするとかすかに火の残ったマッチ棒がゆらゆらと落ちてきます。天井には無数の焼け焦げた跡が残っています。

ブーの学校です。友人が同級生のシュアイの携帯を盗んだと絡まれており、かばったブーがシュアイの手をはねのけますとシュアイが階段から転げ落ちて大怪我をします。後に死にます。

 

ジンの朝、ジンは娘夫婦と同居しています。娘の夫がジンに老人ホームに入ってほしいと説得しています。ジンは犬を飼っており、犬を飼えないことを口実に嫌だと言って散歩にでかけます。

この、ジンが犬を連れて階段を降りてくるシーン、映画が15分、20分?くらい経ってからだったと思いますが、(私は)ここでああなるほど、映画のつくりがそういうことかとわかりました。この時、階段の下でブーがマッチ棒を天井に投げていたのです。

 

リンの朝、リンと母親との刺々しい会話が続きます。これも後からわかることですが、母子家庭なんでしょうか、母親は仕事で忙しく家のことやリンに構う暇がありません。リンはそれをよく思っていなく母親を詰っていたということです。

 

肝心の「静かに座っている象」の話は、映画の冒頭に、満州里のサーカスには一日中座っている象がいるという話を聞いたとナレーションが入っていました(と記憶している)。また、どこかのシーンでブーがサーカス団のチラシを見ていたと思います。

 

ということで、4人のある一日が始まります。

ブーはシュアイの兄チェンの復讐を避け逃げることを選びます。チェンはブーを追うことになります。と言っても逃走劇でも追走劇でもありませんので、逃げたり追いかけたりといったシーンがあるわけではありません。むしろ、ブーはもともと家族からも学校からも逃げ出したいと思っていた節があります。チェンもまたどこか冷めたところのある人物でいつも遠くを見ているような感じです。後に、追っているブーに対して、シュアイは弟だから仕返しもしなくてはいけないが、自分は弟が嫌いだと言っていました。

 

こうした登場人物もそうですが、全体の印象としても、この映画、かなり刹那的です。ラストはなんとなく揃った3人(+1人)が「静かに座っている象」を目指して満州里に旅立つわけですが、そこに希望などありません。あるのはこの今、抜け出したい現実だけです。

 

GoogleMap で満州里を見てみますと中国の北のはずれロシアとモンゴルに接する国境の町です。国境の町というのがなんとも暗示的ですし、それが南でもなく海にも面していないというのも、大陸人の感覚なのか、なにかフー・ボー監督に思いがあったのか、興味のあるところです。

 

ブーはつきあっているリンに一緒に満州里に行こうと誘います。リンは教師と(肉体)関係を持っており、それが理由ではありませんが行かないと言います。

ブーの友人が盗んだと疑われている携帯がリンの話に絡んできます。その友人が後にブーに語るところによれば、友人は実際に携帯を盗んでおり、その理由は自分が小便をしているところを撮られたからと他人にはよくわからない(笑)ことなんですが、その携帯にはリンと教師の関係がわかる動画(例によって映画は見せない)も保存されており、その動画がネットに流出します。

リンの家に教師と興奮したその妻がやってきます。リンやリンの母を罵倒する教師の妻、リンはバットで教師とその妻を殴りつけ、その場を去り、満州里へ向かうことにします。

 

ジンは、犬の散歩に出て、犬が犬に噛まれて犬を失います。つまり、自分の中で老人ホームに行くことを拒む理由を失います。老人ホームを訪れます。そこは(あくまでも)ジンにとっては絶望的な空間に見えます。

ジンがどこで「静かに座っている象」のことを知ったのかは記憶できていませんが、自分を慕っている孫娘を連れて(言うなれば誘拐)満州里へ向かおうとします。

 

ブーは満州里行きの鉄道チケットを買う際にチェンの手下に見つかり、チェンと相対することになります。そこに例の携帯を盗んだブーの友人もやってきて、あれこれあり(ここは結構面白い)、ブーの友人の持つ拳銃によってチェンは撃たれ負傷し、ブーの友人はその拳銃で自殺してしまいます。

 

満州里へ向かおうとするブー、リン、そして、孫娘を連れたジン、特に意図して集まったわけはない3人+1人の4人、石家荘の駅から満州里へ向かおうとしますが、鉄道は運休、やむを得ず途中のどこかまでバスで向かうことにします。この展開もかなり意味深です。

 

真っ暗闇、ヘッドライトが近づき、そのバスが停車します。点灯される車内灯、ひとり、ふたりと乗客が降りてきます。バスのヘッドライトに照らされた人々、幻聴のように象の咆哮が幾度も夜空に響きます。記事の冒頭に引用した画像のシーンです。

ここはどこで、人々は何を思い、どこに向かおうとしているのか、はたまた向かうべき先「象は静かに座っている」その場所は本当にあるのか、そしてまた、そこに何があるのかを映画は何も語っていません。

 

(私は)この映画が特別すごいとは思いませんが、少なくともこの映画が撮れる監督がもういないことはとても残念なことだとは思います。