ディナー・イン・アメリカ

パンクカップルはラブコメで世界を変える

面白い映画でした。アメリカはこういう映画はうまいですね。

社会規範への抵抗とラブストーリーを結びつけ、それでいて暗くならずにポップ(この映画ではパンク)でカラッとしています。犯罪性は抑えられてラブコメ要素がかなり強いのですが、「俺たちに明日はない」「地獄の逃避行」「トゥルー・ロマンス」の系譜でしょうか…。いや、そこまではいっていないか…。

ディナー・イン・アメリカ

ディナー・イン・アメリカ / 監督:アダム・レーマイヤー

パティとサイモン

時代は1990年代、場所はアメリカの片田舎、パンクオタクの20歳のパティ(エミリー・スケッグス)が、それと知らずに自分の推しメンである覆面パンクロッカーのサイモン(カイル・ガルナー)と出会い、パンクの同志となっていくとともにお互いに愛し合うという話です。

公式サイトなどには1990年代とありますが、カセットテープやウォークマンが登場しますので1980年代と言われたほうがピッタリきます。ただ、さほど厳密な時代性のある話ではありませんし、ラスト近くのライブでサイモンが歌うパンクロックも最近のラップメタルのような感じを受けました。

映画のつくりは、音楽ものかと思っていましたが、むしろ俳優で見せる映画でした。エミリー・スケッグスさんとカイル・ガルナーさんのふたりがとてもいいです。

エミリー・スケッグスさんは映画よりも舞台、特にミュージカルが活躍の場のようです。この映画の中でもラスト近くで歌っており、おお、そういう展開かと印象に残る歌でありシーンです。

このシーンのサイモン、完全にパティにやられちゃています。

サイモンのカイル・ガルナーさん、パンクヘアーにしてむちゃくちゃ頑張っていました。こういう成り切りキャラは吹っ切れば割と楽だと思いますが、ファーストシーンはかなりインパクトがあります(笑)。

ネタバレあらすじ

パンクロッカー、サイモン

いきなりサイモンがイッちゃっています。目は虚ろ、涎を垂らすは、吐くはというシーンです。

しばらくはどういうことかよくわかりませんでしたが、バンドを続けるために何やら怪しい薬の実験台、いわゆる治験バイトってやつで資金稼ぎをしているということのようです。後にバンド仲間に、オレが危険を冒してカネを稼いでいるのにと怒り狂っていました。

で、その治験バイトは、採用されなかったのかよくわかりませんがクビになり、同じくクビになった女性にXxXしてあげるから家でご飯食べていく?とか誘われてついていきます。

で、意表を突くディナー(まだ明るいけど)シーンです。

サイモン、仮面家族を破壊する

ダイニングテーブルに女性の両親と兄弟のひとり、そしてその女性が礼儀正しく座り、行儀よく食べています。しかし、サイモンだけは座り方も食べ方も、いわゆる無作法です。サイモンの言葉もFワード連発で、そのたびに女性の兄弟がパニクッています。父親は内心ではサイモンを追い出したい気分なんでしょうが、客だからということなんでしょう、取り繕って兄弟を叱っています。

このシーンではこういうコメディーなんだろうと思って見ていましたが、実はこのシーンと同じようなディナーシーンがあと2シーンあります。パティの家庭とサイモン自身の家庭です。サイモンの家は中流の上くらいの設定になっていましたが、いずれにしてもアメリカの、多分、郊外のごく一般的な家庭の気取った形式主義的なアメリカ的価値観の表現なんだろうと思います。

映画の意図はその風刺です。そうした形式主義的なものの対立項としてパンク・ロックを置いているということです。

サイモンはこの家庭を徹底的に破壊します。食事の後、キッチンで妻が誘ってきます。すでに食事のシーンでサイモンはそれを感じており、自ら誘いに乗ったということです。ディープキスをしているところを娘に見られ大騒ぎになります。サイモンは椅子で窓ガラスを割って外に飛び出し、火をつけて(放火して)去っていきます。

サイモンは資金稼ぎのためにドラッグの売人もやっています。それもあってすでに警察に目をつけられていたんだと思いますが、この放火で警察に追われる身になります。

パティ、パンクで自慰をする

パティはやや行動が遅い人物の設定になっています。言葉を出すのをやや遅くしたり、口をもぐもぐさせたり、癇癪を起こしてパニクる演技で表現していました。

パティはパンクバンド「サイオプス」の覆面ボーカリスト、ジョンQにはまっています。両親にライブに行きたいと言いますが認められません。パティは自室に戻りサイオプスの曲をカセットだったか、レコードで流し、踊り狂い、股間に手を入れ自慰を始め、それをインスタントカメラで写真に撮ります。

これも何をしているのかわかりませんでしたが、その写真と自分の書いた詩をジョンQに送っているのです。これも後にわかります。それに、こうしたシーンも文字にしますとシリアスっぽくなりますが、そんなことはまったくなく、とにかく全体通して笑える映画です。

パティ、サイモンを匿う

パティはペットショップで働いており、その休憩中に警察から逃げているサイモンと遭遇します。サイモンに隠れるところはないかと問われ、家につれて帰ります。

パティの家族も両親と弟の4人、おそらく典型的なアメリカの郊外の中流家庭という意味なんでしょう。ただ、パティの家族の場合はちょっと違っており、弟が養子であり、本人はそれを知りません。パティはそのことをサイモンに話します。

2つ目のディナーシーンです。パターンは1つ目と同じですが、サイモンが、父親だったか、自分だったかが聖職者であり、アフリカのどこどこから帰ってきたところで住まいがなく、しばらくここに置いてほしいと言い、その流れで食事の前にお祈りはしないのかと言い出し、皆で手をつなぎでお祈りを始めます。両親やパティへの感謝を述べたりした後、弟が養子であることをばらしてしまいます。

ここでもまた大騒ぎです。ただ、ここは良い方へ(?)いきます。落ち込んでいる弟にマリファナを教え、弟はハッピーになっていきます。

パティとサイモンの心の旅

中盤はパティとサイモンの心の旅です。物理的には大して移動するわけではありませんが、いくつかのエピソードがあり、それとともにふたりが心身ともに近づいていきます。

パティがサイモンに「サイオプス」のライブに行きたい、ジョンQのファンだと言い出し、サイモンはそのことに驚くとともに、パティが出したチラシには、自分たちのライブがなんとかというバンドとの共演となっていることにさらに驚きます。

バンドメンバーに、何だ、これは!とチラシを叩きつけます。サイモンにとってみれば、こんな奴ら、パンクじゃない!ということのようです。怒り狂うサイモンですがこの件は特に進展しません。

この映画、低予算ということもあると思いますが、物語に絡まない人物は一切出てきませんので屋外のシーンでもパティがぽつんとひとりとか、サイモンとふたりだけとかでシーンがつくられています。それがかえって映画のトーンにピッタリした象徴性を持っていてとてもいいのですが、ふたりに絡んでくる、一体何を象徴しているのかよくわからない笑える2人の男が登場します。

いつもジャージですので、ハイスクールの体育会系の男のパロディみたいなものなんでしょうか。この2人、最初の頃にパティを下卑た言葉でからかうシーンがあります。その2人とバスの中で遭遇し、またもやパティをからかい始めます。サイモンが間に入りますが、逆にやられてしまいます。

こういうところのパティがいいんです。コメディということもありますが、あらまあ以上のリアクションをしません。ただ、サイモンは怒り爆発で、徹底的に仕返しします。詳細は省略ですが、あの男たち、数人で同じジャージを着てストレッチをしていましたが、あれ、なんなんでしょう? 見ているだけで笑えてくるシーンです。

パティがペットショップを解雇されます。まだ給料をもらっていないというパティにサイモンは自分のことのように怒り、ペットショップへ向かいます。ペットショップにはすでにパティの後釜がいます。不景気だから(違ったかな)と言っていたのにとパティが覚醒したかのように Fワード連発で怒り、小切手を手に入れます。

サイモン、自分はジョンQだと明かす

サイモンはパティによく聞けと言い、自分がジョンQだと明かします。信じないパティに、サイモンはパティがジョンQ宛てに送っていた自撮り写真を見せます。

このシーン、あれが監督の意図どおりであったかどうかわかりませんが、思ったほどパティが興奮することなく、それはそれで映画的にはよかったと思いますが、不思議な感じに抑制されたシーンでした。

サイモン、パティとともに自宅へ戻る

サイモンはパティを連れてある邸宅に忍び込みます。地下室に入り、即興で曲をつくり、パティに送ってきた詩で歌うように言います。これが引用した動画のシーンです。

サイモンがパティの歌にメロメロになっている時、住人が戻ってきます。どうやって入ったの?!と騒ぎになります。そこはサイモンの家ということです。

食事が出ていたかどうか記憶が曖昧ですが、ダイニングテーブルに両親、多分姉、そして後に弟か兄が戻り家族が揃い、サイモンとパティも席についています。

この映画、シンボリックに描かれていますので説明がなくてもわかるということなんでしょう、まったく説明的な台詞がありません。ですのですべて多分ですが、父親はなにか事業をやっているという感じで、それなりに裕福な家庭の印象です。そうした環境に対する反抗心もあったのかも知れません、サイモンは自分自身に正直に生きる道を選んだということでしょう。

特に母親と姉がサイモンを罵っていました。弟(多分)はサイモンに好意的です。この設定は、ん?なにか意味がある?という感じがしましたので、あるいはこの家族構成自体が現実の何かの反映かもしれません。

追い出されるように飛び出したふたりは、パティの家に戻ります。両親がズボンを脱いだ姿でソファーに座っている姿を目撃します。多分、マリファナでしょう。

で、ここであったかどうか記憶がありませんが、パティとサイモンが結ばれます。

サイモン、ライブ中に逮捕される

ライブです。例の共演の件で、サイモンとプロモーターが言い合っています。「サイオプス」のライブが始まります。サイモンは覆面をしてジョンQになり爆発し、パティも最前列で大爆発です。

警察がやってきます。サイモンが逮捕されます。サイモンは中指を立てて(いなかったかも)プロモーターにパンクが警察に売ってどうする!と叫んでいます。車に押し込められたサイモンにパティが近づき窓越しに熱いキスを交わします。

パティ、パンクな人になる

サイモンは刑務所で曲(詩)づくりとパティへの手紙を書く毎日です。パティはパンクな人になってい(きつつあり)ます。

反抗的じゃなければ青春じゃない

パンクであるかどうかは別にして青春ってこういうもののような気がします。

反抗的じゃなければ青春じゃないと、私は思うのですが、そういう世の中も遠く成りにけりの時代になってきました。

それはともかく、シンプルでいい映画でした。