ブラインドスポッティング

人種差別の複雑な内面化を描く

差別のある社会において、いや、もちろん、現在のところ、そうじゃない社会があるのかと言われれば悲観的にならざるを得ないわけですから、どんな社会においてもということになるのですが、ひとつは、差別する側に属する者は差別される者にどう対したらいいかという話、そしてまた、もう一方の差別される側に属するものは、差別する側の者が自分には差別意識はないよと、まるで差別される側に同化しようとしてきた時、差別される側の者はどうしたらいいかという話、今のところ、日本では決して生まれない見るべき映画です。

ブラインドスポッティング

ブラインドスポッティング / 監督:カルロス・ロペス・エストラーダ

ただ、私はこういう映画は嫌いです(笑)。だって、そっちへ行っちゃだめだよ!そっちへ行ったら絶対悪いことが起きるからだめだよ! って、いくら言っても(笑)、必ずそっちへ行っちゃうんです。

映画とわかっていても、少なくとも3ヶ所はひやひやします。

そのひやひや感は過去のニュース映像を想起させるひやひや感なんですが、でも、これが今のアメリカ、そしてオークランドの現実なんだと思います。その点では、オークランドという街を知らないとホントのところはよくわからないのかも知れません。

ウィキペディアをざっと読みますと、オークランドは「アメリカでもっとも人種的に多様な都市」らしく、映画でも、黒人、白人、ヒスパニック系、インド系、アジア系と人種的には多種多様で、表面的には人種という概念さえないように描かれています。もちろん意図的にそう描いているわけですが、黒人の母(息)子と主人公のひとり白人のマイルズ(ラファエル・カザル)カップル、もうひとりの主人公黒人のコリン(ダヴィード・ディグス)の母親はアジア系の子連れの男と同居し始めます。コリンの元カノなのかな、その女性はインド系です。

もうひとつ、オークランドという街をあらわしているのが経済的文化格差社会、映画では、コリンとマイルズは子どもの頃からオークランドで育った幼馴染で、(多分)裕福といえないブラックコミュニティで育っているようで、現在はともに引っ越し会社で働いています。その仕事先として何ヶ所か訪れるシーンがありますが、いわゆるアメリカの白人社会をイメージさせる小綺麗な街並みと住居になっています。

後半、行っちゃいけないと言っているのに(笑)行ってしまうパーティーも、オークランドで進んでいるらしいジェントリフィケーションの表現だと思います。古くからの地域コミュニティに新しく入ってきた洗練された人々、小綺麗な洗練された雰囲気のパーティー、明らかにふたりは浮いています。

そこでのマイルズと客のひとりの黒人との会話、そして喧嘩は象徴的です。

大勢の白人の中に黒人は三人だけ、ただ白人の誰にも差別的な言動は一切ありません。しかし、コリンも含めその三人はあまり居心地がいいとは感じていないようです。マイルズにしても黒人たちとのほうが居心地がいいのでしょう、そのうちのひとりに黒人のような話し口で話しかけます。相手の黒人が、白人のくせに黒人みたいに話すなと突き放します。キレたマイルズは殴りかかり大喧嘩、持っていた拳銃を空に向かってぶっ放します。白人のパーティー主催者が出て行けと怒鳴ります。

差別というものの複雑な内面性が描かれています。

マイルズ自体が差別というものを複雑に内在化した人物です。

幼い頃からコリンとともに育ったということもあるのでしょうが、黒人差別という現実を知らないはずもなく、なぜコリンとつるみ、黒人の母(息)子と暮らし、ヒップホップカルチャーの象徴であるグリルをし、自分をニガーと呼ばせ、黒人のような話し方(らしい)をするのか、そこには(おそらく)幼い頃から見てきた黒人差別の現実が屈折して、あたかもマイルズ自身のアイデンティティとして内在化しているのだ思います。

ラスト近く、コリンとマイルズ言い争いになり、コリンがマイルズに “Yeah, my nigga.” と言い、自分にも同じように言えと言いますが、マイルズは “Yeah, bro.” とは言えても、”my nigga” とはどうしても言えません。(my nigga とは?

コリンが好意を寄せている女性ヴァルの言葉が、ふたりが置かれている立場を端的に言い表しています。コリンが現在保護観察期間にあるのは暴行事件を起こしたからですが、むしろその時酷かったのはマイルズの方で、そのことについてヴァルが言います。

「もし警官が駆けつけた時、あなたが相手の白人を殴りつけていれば、あなたは警官に撃ち殺されていたのよ」

実際、コリンは罪に問われ、マイルズは咎められることなく釈放されているのです。

映画は、その保護観察期間1年の残り3日間がかなりドタバタで描かれます。残り3日間がこれなら、この1年どうやって過ごしてきたの? というくらいの毎日ですので、コメディタッチのところもあるのですがなかなか笑えません。

まず最初、ダチの車の中でマイルズがハイテンションで騒いでいます。コリンは門限だから早く帰りたい、車から降りたいと言いますが、クーペの後ろ座席ですので降りられません(笑うところかも?)。そうこうしているうちにダチが拳銃を出し、マイルズが買います。

別れて、引っ越し用のトラックでひとり帰るコリンは、黒人の青年が白人警官に撃ち殺される現場を目撃します。コリンと警官が互いに目を合わせるカットが強調されていますので、このシーンもひやひやします。

警官の違法射殺を証言することもできたのですが、あと3日ということもあり、何もしなかったことの罪悪感に悩まされ、以後頻繁に夢を見たりします。

そして例のパーティーです。コリンはいかないと言っているのにマイルズが行くと言って譲りません。行っちゃだめ、行っちゃだめと声が出そうになりますが、行きます、映画ですから(笑)。

案の定、マイルズの大喧嘩があり、コリンはマイルズがぶっ放した拳銃を取り上げ、自分のポケットに入れてしまいます。それ、やばいでしょう、あと1日だよ。

そして、”my nigga” の言い争いの末、コリンはひとり歩いて帰ります。パトカーとすれ違います。パトカーがUターンして戻り歩くコリンの横に付きます。コリンにサーチライトがあてられます。

ホントにどうなるかと思いました。映画のパターンとしては、拳銃所持で逮捕ならまだマシで、あるいは銃撃戦になり射殺ということもあります。そういう映画でなくてよかったです。パトカーは去っていきました。

そして、3日も過ぎ、保護観察期間終了です。

翌日、ふたりは引っ越しの依頼者宅を訪ねます。女性と子どもが夫が中にいるからと言って去っていきます。あれは、離婚ということですね。男が中にひとり? やばい! と思いましたら案の定、玄関先の伏せられた写真をひっくり返しますと、そこには、黒人青年を射殺したあの警官の顔が! コリンは地下室(違ったかな?)へ降りていきます。

気配を感じた警官は机の上の拳銃に手を伸ばそうとしますが、コリンが持っていた拳銃を構えます。え?あの拳銃、持ったまま?

とにかく、このシーン、コリンはラップ調で思いのたけを吐き出します。あるいは字幕では半分程度しか伝わってこなかったのかも知れません。

いずれにしても、映画の流れとしては、コリンが撃つことも撃たれることもないだろうとはわかっていましたが、それにしてもひやひやする場面でした。

引っ越し用のトラックのふたり、昨夜以来のぎこちなさもやや溶け、以前のふたりに戻り始めています。あるいは、新たな二人の関係が始まっています。

という、言葉のこともあり、なかなか細かいニュアンスが伝わりにくい映画ではありました。コリンを演じているダヴィード・ディグスさんは実際にラッパーですし、マイルズのラファエル・カザルさんはポエトリースラムなどの言葉を使ったパフォーマーということですので、台詞には字幕では伝わらないものがたくさん含まれていたのだと思います。

それにしても、コリンはいい人ですね。あのマイルズ、あれ、親友じゃないですよ(笑)。

フルートベール駅で [DVD]

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