明日の食卓

子育ては母親の仕事か?あたかもそう言っているかのような…

椰月美智子さんという作家の同名の原作があります。知らない作家さんですが、児童文学でたくさん賞をとっているようです。ただ、この「明日の食卓」は母親の話ですので大人向けの作品です。

下の画像にあるように菅野美穂さん、高畑充希さん、尾野真千子さんの三人が同じ「石橋ゆう」という名の10歳の息子を持つ母親を演じています。

明日の食卓

明日の食卓 / 監督:瀬々敬久

今やる映画だろうか? 

子どもの名前が同じというだけで三人に接点はありません。1ヶ所だけ三人のうちのひとりが三人のうちの一人のブログを読むシーンがありますが、物語的にはほとんど影響してきません。それに、全く別々の話が別々に進行していくというだけですので三人の俳優にも共演シーンはありません。

文字は違いますが名前を同じにすることで「誰にでも起こり得る」こととの意味合いなんだと思います。

で、何が起きるのか? ですが、まず最初のシーンで、母親が子どもを殴り、壁に打ち付け、激しく暴力を振るうシーンがあります。殺したことがわかるわけではありませんが、「ある日、ひとりの「ユウ」君が母親に殺された」ということです。

続いて、それぞれ三人の母親と三人のユウくんの日常生活が描かれていき、それぞれにそれぞれの問題があり、最後にはそれぞれ三人の母親がそれぞれ三人のユウくんに怒りをぶつけるという物語です。

三人のうちの誰がユウくんを殺したのだろう?

という見せ方はされていません。言い方をかえれば、3つのどの話にも子どもを殺すほどの映画的緊張感はありません。

映画のテーマは母親と息子の関係はどうあるべきかということです。あくまでも母親です。2つの家族には父親も登場しますがどちらもしょうもない男です。もう一人はシングルマザーです。

映画には家族という視点はありません。妻が家事も育児もしない夫に怒りをぶつけるシーンがあったり、夫が妻にお前の教育が悪いなどとなじるシーンがあっても、あくまでも母親の子育てがテーマであって、現在的意味における子育ての視点の映画ではありません。

もっと限定的に言いますと母親の息子の育て方という視点の映画です。

今やる映画だろうか? とはこのことです。

原作は2016年の発表になっています。

明日の食卓 (角川文庫)

明日の食卓 (角川文庫)

  • 作者:椰月 美智子
  • KADOKAWA

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石橋留美子(菅野美穂)の場合 

43歳石橋留美子には10歳と7、8歳の二人の息子がいます。兄ユウはややヤンチャかなという感じでスーパーでは走り回ったりカートで遊んだりしています。弟にはやたらとちょっかいを出し泣かせています。留美子は一日中怒りっぱなしという感じです。

留美子はもともとライターとして働いていたのですが子育てのために辞め、その間「鬼ハハ&アホ男児Diary」というブログを書き、そこそこ人気ブログのようです。夫はフリーランスのカメラマンです。

留美子は、子育てにある程度のきりがついたということなのか、仕事に戻りたいという決意なのか(よくわからない)、ライターの仕事を受け始めます。毎日、てんやわんやの日が続きます。

そんな折、夫の契約(専属?)が切られます。夫はやけっぱちになり昼間から酒を飲み働こうとしません(もともとフリーランスなのにそんなに軟弱でどうするの?と思いますが…)。

留美子が家計を支えることになったようです。だからといって夫が家事や子どもの面倒をみるわけではありません。ある日、そんな夫と衝突し、夫がユウに当たり始め暴力を振るいます。留美子は出ていってと叫びます。

また、ある日、仕事から帰ってみますと、自分の仕事部屋に子どもたちが入りクチャクチャにされています。留美子はついにユウに手をあげてしまいます。

石橋加奈(高畑充希)の場合 

30歳石橋加奈はシングルマザーです。昼はクリーニング工場、夜はコンビニでと昼夜を問わず働いています。家計は苦しく、一人息子のユウもそのことを知っており、母親に気を使っています。

ローン(何の?)の完済まであと1回、余裕が出来たらユウと旅行に行こうと考えていた矢先、クリーニング工場を解雇されます。さらに加奈が留守の時に弟が訪ねてきたらしく、全財産の通帳と印鑑を奪われてしまいます。ユウは責任を感じているようです。

加奈は混乱しています。ユウの「オカンはほんとうは僕が嫌いなんだ!」のひとことに加奈は…(はっきり記憶していません、殺人に結びつくような感じではなかったような…)。

石橋あすみ(尾野真千子)の場合

36歳石橋あすみは専業主婦です。何年か前に夫の実家の隣に家を建てて引っ越しています。夫は遠距離通勤です。隣の実家では母親がひとりで暮らしています。息子のユウは成績もよく、素直な子どもです。

ある日、同級生の母親からユウが自分の子どもに暴力を振るったと抗議の電話が入ります。ユウは否定します。この件は有耶無耶(よくわからなかった)になります。

またある日、学校から電話があり駆けつけますと、ユウが別の同級生を使ってその同級生に暴力を振るわせていたことが判明します。あすみはこの子はいい子なんですと叫びますが、当のユウは「実験だよ」と言い放ちます。さらに「ママだってパパの言う通りに動いているだろ」言い、不気味な笑いを浮かべています。

またまたある日、あすみがふと庭に目を向けますと、ユウが隣で一人暮らしの義理の母を足蹴にして姿が目に入ります。駆けつけますとユウは「汚い!」と叫びながら暴行をやめようとしません。ユウはこれまでもずっと祖母が庭で用を足していたのを見ていたのです。祖母は認知症を患っています。

あすみはどうしていいかわからなくなり…(どうしたのか記憶がありません)。

ユウを殺したのは誰だ?

留美子(菅野美穂)が拘置所(刑務所?)の面会室にいます。

ん? 留美子がユウを殺した? と、一瞬そう思わせるようにつくられていますが、留美子の着ているものがごく一般的なものですのでそうではありません。留美子がライターとしての取材のために、もうひとりのユウを殺した母親の面会に来ているのです。

この収監されている母親、その時は誰とは気づきませんでしたが、大島優子さんでした。はっきり俳優として認識したのは「生きちゃった」ですが、もうAKBの大島優子さんではなく俳優の大島優子さんです。

三人のその後

それぞれにそれぞれ母子の愛を確かめあって終わります。

ひとつひとつ丁寧に描くべき内容なのに…

原作なのかシナリオなのか、それぞれの話が雑です。

ひとつひとつ丁寧に、母のこと、子どものこと、そして父親、または家族のこと、子育てのことを現在的に意味において描くべき内容です。

今この時代に、あたかも子育ては母親の仕事のような描き方をして、その狙いがあるわけではないにしても、話のベースとしてその考えがある映画です。

テーマが矮小化され「息子を小さな恋人にしないで」ということになってしまいます。もちろん、それはそうなんですが。

それに、このテーマであれば子どもの視点をもっとはっきり出さないと上っ面をなぞっているだけの映画になってしまいます。なっています。

また、映画としても持ちません。退屈です。

企画の誤りでしょう。