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「ある船頭の話」ネタバレレビュー・オダギリジョー初監督作品だが…

オダギリジョーさんが映画を撮るという話は、「宵闇真珠」を見た時に知ったのですが、この映画がそれですね。

 

昨年2018年7月2日の記事です。

 

ある船頭の話

ある船頭の話 / オダギリジョー


キノフィルムズの製作です。と書いても、キノフィルムズの実態を知っているわけではありませんが、一観客の立場でも最近のキノフィルムズ配給の多さにはびっくりしますし、映画製作でもかなり目にするようになっています。

 

で、映画ですが、

んー、どういう経緯で、この映画が企画され、そうそうたるスタッフでプロデュースされ、さらに、そうそうたる俳優をキャスティングしてつくられたのかはわかりませんが、なぜ、どこかの段階で、オイ、オイ、ちょっと待てよと声がかからなかったのか不思議です。

 

シナリオ段階で手を加えなくてはいけなかったレベルです。

 

せっかくオダギリジョーさんを監督で売り出そうとするのなら、もっと手を加えて完成度をあげなくっちゃダメでしょう。そのためのプロデューサーでしょう。

 

映画の基本的なテーマは、世の中の発展や進歩によって切り捨てられていくものへの哀歌といったことで、それを福島県の霧幻峡や新潟県の阿賀の美しい風景の中で描くということだと思います。

 

たしかに霧(実写?)の立ち込めた川面は美しいです。

 

でも、この映画を見ていますと、映画の中の画の美しさは物語(ストーリーという意味ではない)次第だなあと強く感じます。この映画の美しさは観光PR動画の美しさです。画の中に、切り捨てられていくトイチの悲哀が宿っていません。

 

さらにいえば、物語自体に悲哀を感じさせるものがありません。

 

軸となる人物、トイチ(柄本明)にも源三(村上虹郎)にも実在感がありません。リアリティということではなく、なんていうんでしょう、スクリーンの中の人物がトイチや源三じゃなく、ちらちら俳優の顔がみえるんです。これは俳優の問題ではなく、監督の問題です。

 

そもそも台詞ができていないです。俳優の心の動きに台詞が乗っかっていないです。もし乗っかるはずだと、シナリオを書いたオダギリジョー監督が考えるのであれば、とことん俳優に指示を出し、俳優に心の流れが生まれるようすべきです。そうすべき映画だと思います。

 

少女(川島鈴遥)の存在が唯一映画を救っているといえます。逆説的にいえば、台詞がないぶん実在感があるということでしょう。

あの少女、そもそも実在なのか幻影なのかもはっきりしませんが、川上で起きた(らしい)惨殺事件と関係があるということなんでしょうか。もしそうなら、その犯人ということで、ラストに源三に襲われ、源三の首を掻っ切ったことはその再現と理解できます。

 

少女の素性を明らかにするしないはどちらでもいいと思いますが、テーマやトイチの存在との関連付けが曖昧すぎます。あるいは、トイチの幻想として描かれている善と悪の葛藤、つまり橋によって自分の存在が打ち消されることへの憎悪が橋を焼くという幻をみさせるわけですが、それと関連で少女を登場させているのかもしれません。

ぼろ布なのか意味不明のマントを来た少年の幻もそれに類するものでしょうが、物語にうまく噛み合っていません。

 

いずれにしても、シナリオ段階で整理されていない映画です。映画って整理されすぎてもダメですが、さすがにこれだけ整理されていないとせっかくのテーマに深みが出てきません。

 

映画の制作環境に口を出しにくい何かがあるのかもしれません。

 

俳優としての評価は高いオダギリジョーさんですので、その道での活躍を期待します。

 

湯を沸かすほどの熱い愛