そんなには褒めないよ。映画評

映画を見てから読むブログ

「悪と仮面のルール」(DVD)人間存在の不条理を描く重厚なドラマかと思ったら、メロドラマだった。

映画を見る限りでは、原作の中村文則著『悪と仮面のルール』が「ウォール・ストリート・ジャーナル紙の2013年ミステリーベスト10に選出(講談社文庫)」されたというのはにわかには信じがたいです。原作どうこうではありません。映画がです。

 

悪と仮面のルール

悪と仮面のルール

 

 

そもそも、台詞の中で踊る「悪」「邪」 という言葉に実在感がまったくありません。

 

というよりも、何を言っているのかよくわからないですね。

たとえば、冒頭のシーン、久喜文宏(玉木宏)の父が、14歳になる前の文宏に対して、「お前の命は私が意図的に作った。お前は邪となる。悪のかけらといってもいい。邪とはこの世界を不幸にする存在だ。」と語り、「そのために14歳の時に地獄を見せる」と仰々しい作りで見せてくれるのですが、いつまでたっても(映画が終わっても)「地獄」らしきものを見せてはくれません。

 

もちろん、わかってますよ。

父親が、文宏が思いを寄せる久喜香織(新木優子)に何かを成す、それを文宏に見せることが「地獄」であり、それに抵抗するように文宏が父親を地下の密室に閉じ込めて殺害することが、結果として文宏が「地獄」を見ることになるという、つまり自分の意志で「悪=殺人」を成すということなんでしょう。

 

物語の発端となるこのあたりのことを、原作がどのように書いているのか興味はありますが、少なくとも小説という表現は、言葉の広がりでもって読む者の意識下まで刺激することが可能な表現形態ですので、「地獄」とはああだこうだと書かなくても作家によっては「地獄」を見せることはできるでしょう。

 

でも、映像はそういうわけにはいきません。映像で地獄を見せろと言っているわけではありません。おそらく人が地獄と感じるのは、イコール恐怖でしょうから、そうしたジャンルの映画はたくさんありますのでその手法を選択するのであればそれはそれで映画になるんでしょうが、この映画の場合であれば、そうではない方法によって地獄を見せなければ、そもそもの物語の発端が成立しないということです。

 

おそらく原作には文宏の少年時代の描写がかなりあるのではないかと思いますが、映画は成人した文宏が整形により顔を変える(仮面)ところから入り、少年時代は時々(フラシュバックでもなく単純に)挿入されるだけです。

この顔を変えるという行為の説明といいますか、文宏の意識がまったく描かれていませんが、きっと原作には決定的な何かがあるのではないかと想像します。まったく別人になろうとするわけですから、嫌だから程度じゃないでしょう。そのままの顔では耐えられない、生きていけないくらいの何かがなければ、この物語は映画的に成立しません。

 

映画がつまらないのはここですね。

 

ということで、もうDVDにもなっている映画ですのであらすじやネタバレは書きませんが、やはりこういう物語は、経験豊富な監督か、まったく新しい視点をもった若手かどちらかにしか、見られる映画は撮れないんだと思います。

 

ほぼ全編に劇伴をつけて誤魔化そうとするのはまずもってダメです。結果、えらくダサいメロドラマになっちゃっています。 

 

ところで、香織に残された遺産が3,000万円と言っていましたが、これ、マジですか!? 3億とか30億の間違いじゃない?

 

悪と仮面のルール (講談社文庫)

悪と仮面のルール (講談社文庫)