暁に祈れ

2時間の暴力、暴力、暴力…

予告編を見て、「名もなき塀の中の王」のような映画かと期待したんですが全く違っていました。もしこれから見ようという方がいらっしゃいましたら、公式サイトなどをよく読んで、よく考えてからにしたほうがいいです(笑)。私は、ほぼ最後までこの映画が一体どういう映画なのかさっぱりわかりませんでした(涙)。

暁に祈れ

公式サイト / 監督:ジャン=ステファーヌ・ソベール

やや極端な書き方をしましたが、とにかく最初から最後まで暴力(的)なシーンの連続ですので、そのこと自体に飽きてきますし、その暴力そのものに意味があるようには見えませんし、多分意図的なんでしょうが、タイ語にはほとんど字幕つきません。まあ、ひとことで言えば忍耐の2時間です。

意味のある暴力ってなんだ?という向きもあるでしょうから少し補足しておきますと、確かに暴力そのものには多くの場合他者を抑圧し支配しようとする行為という意味はあるんでしょうが、それだけで映画になるかといえば、やはりそこにはその行為に対する解釈というものがなければなりません。ありきたりの言い方をすれば、人間にしか生まれないだろう憎しみや怒りや復讐心、愉快犯的暴力も含めてですが、そうしたものがなければ映画にならないわけで、仮に無意味な暴力行為を描くにしても、その意味を探ろうとするのが映画(だけではないけど)なんだろうと思います。

で、この映画はといえば、たとえて言うなら、NHKの自然の王国(適当に作った)みたいな番組で、ある動物が交尾の相手を得ようとして争っている映像を時に目にしますが、そうした映像を2時間見せられているに等しいわけです。

仮にそうした無意味な暴力を2時間描いた先に何かを生み出そうとしたのであれば、単純に力不足ということになります。

見ていて理解できるこの映画の物語はこういうことでした。
ある男がムエタイの試合で闘います。勝ったのか負けたのか忘れてしまいましたが、その後、その男は部屋にいるところを警察に踏み込まれ、なぜだか(私には)わからないまま逮捕されます。裁判などあったのかなかったのか、男は刑務所に入れられビリー・ムーアと名乗ります。刑務所は体中入れ墨を入れた男たちが足の踏み場もないくらいに押し込まれた最悪の状態で、暴力、レイプ、殺人が日常的です。ビリーも日々理不尽な意味不明の暴力に苛まれます。囚人たちにタバコなどを売る(レディーボーイかどうかわかりませんが)女性と親しくなりセックスすることもあります。そしてある時、刑務所の中にムエタイのジム(のようなところ)があることを知り入門します。そこでも暴力、暴力です。そして、刑務所あげてのムエタイの試合があり、ビリーはそれに出場し勝ちます。後日、面会に来た父親と対面します。

というストーリーなんですが、見終わって公式サイトを読んでみましたら、ビリー・ムーアさんというのは実在のイギリス人ボクサーで、その自伝小説が原作ということのようです。

で、ラストに面会に来た父親をやっていたのがビリー・ムーアさん本人でした。

ということで、かなり暴力、暴力と書きましたので、見るのも嫌になるんじゃないかと思われるかもしれませんが、実はそうでもなく、見ている自分が痛いとか、耐えられないとかの感じるような迫力はありません。

結局、それがないからダメなんですが、つまりこういう映画を撮るのなら、見ていて気持ち悪くなったり、吐きそうになったりするくらいのものにしなければ意味がありません。

暴力シーンのほとんどがアップで撮られており、かなり細かくカット割りされているわけですから、嘘くさいといえば嘘くさいわけです。

全く格闘技に興味がないのがいけなかったかもしれませんね。

名もなき塀の中の王

名もなき塀の中の王