そんなには褒めないよ。映画評

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「運命は踊る」(ネタバレ)三幕の不条理劇を見るような映画。戦争は父権的なるものの究極。

「レバノン」が2009年のヴェネチアで金獅子賞を受賞したサミュエル・マオス監督の最新作、 この作品も昨年のヴェネチアで銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞しています。

8年ぶりの新作ということらしく、IMDb を見てみても、2013年にドキュメンタリーとショートを撮っているだけです。寡作な監督ですね。

 

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公式サイト / 監督:サミュエル・マオス

 

三幕の舞台劇のような作りです。

 

一幕目は、テルアビブに暮らす夫婦、ミハエルとダフナの(高級)アパートのワンシチュエーションです。

(イスラエル)軍から息子が戦死したと知らせの者がやってきます。妻は失神、夫は放心状態になります。 ミハエルの兄がやってきて、涙は流していないのにミハエルを抱擁し慟哭します。軍のラビ(と字幕があったと思う)がやってきて葬儀の段取りを説明します。ミハエルは上の空です。

 

再び、軍から知らせがやってきます。戦死の知らせは間違いであったと言います。ショックからの反動か、ミハエルは興奮状態になり、今すぐ息子を戻せと怒り狂います。鎮静剤で眠っていたダフナは目覚めてミハエルをなだめますが、逆にミハエルはお前が(鎮静剤で)普通じゃないと怒りはおさまりません。

 

この一幕目のシーンでは徹底した息苦しさと閉塞感が場を覆っています。ミハエル自身の重々しい演技はもちろんですが、ミハエルをどアップで捉えた長いカット、極度にスローなパン、幾何学模様の床を真上から捉えたカット、 硬質なノイズ音などなど、かなり意図的に作り込まれています。

おそらく、それは、単に息子の死からくるミハエルの動揺や混乱を描いているのではなく、ミハエルの権威主義的な存在そのものを描こうとしているのでしょう。

 

この映画は、家族、あるいは父子の映画です。

 

第一幕は権威主義的な父権の表現、二幕目でそれがわかります。

 

第二幕、息子ヨナタンが赴任しているどこかの検問所、こちらもワンシチュエーションで進行します。

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言葉で語るよりも画を見れば一目瞭然、そこは、争いの気配などまるで感じられないのんびりした空間です。ヨナタンをはじめ4人(5,6人?)の兵士が検問にあたっています。

検問所を通るのもせいぜいがラクダといったところです。兵舎はコンテナ、沼地のようなところに置かれているようで、日に少しずつ傾いていきます。転げ落ちていく運命を暗示しているのかもしれません。

 

この二幕は、一幕のリアリズム志向とうって変わって映像的にもかなりシュールです。ラクダもそうですが、銃をパートナーにしてマンボを踊る兵士、4人の兵士が均等に並ぶ前を転がる缶詰、時々やってくる通行車両との無意味な駆け引き、乗り捨てられた車にはアイスクリームを持って微笑む女性のペイント広告、そのどれもが、本来緊張が支配しているはずの検問所の風景に似つかわしくありません。 

 

ここには力関係というものが存在していません。兵士たちに上下関係はなく、意味なく部下を圧迫する上官もいません。

 

マーラーの5番アダージェットが使われていました。

 

ヨナタンが3人の兵士を前に父について語ります。

父ミハエルは、若い頃、ピンナップガールが表紙を飾る「Playboy」をどうしても欲しくなり、それを手に入れるために、ホロコーストを経験した母親(だったかな?)から受け継いできた「聖書」を売り払ってしまったというのです。

おそらくこれはヨナタンの作り話、あるいは妄想、おそらく父権への抵抗なんだろうと思います。

 

第一幕に、ミハエルがヨナタンの部屋に入り机の引き出しを開けるシーンがあります。その引き出しには、表紙のピンナップガールの乳房に黒のバッテンが書かれた「Playboy」が入っていました。この黒のバッテンは、次の第三幕で、ヨナタンが書いている漫画(アメコミ)で父親の顔に貼られており、父権の否定というモチーフで登場します。

 

ある日、何も起きそうもない検問所で事件が起きます。ただし、この一連もかなりシュールに劇画調で進みます。

雨の夜、検問所に車がやってきます。例によって無意味な駆け引きが続き、その時、同僚の兵士が車から落ちた缶を手榴弾と勘違いし叫びます。ヨナタンはとっさに車に向けて機銃掃射してしまいます。全員死亡です。

上官がショベルカーと共にやってきます。「何もなかったのだ」と断定的に言い捨て、大きな穴を掘り車ごと埋めてしまいます。

 

上官はヨナタンにすぐに帰還するように命じます。

 

そして、第三幕、再びミハエルとダフナのアパートです。しかし、様子が違います。二人は何やら仲違い、次第に、今は一緒に暮らしていないことがわかってきます。

この第三幕はダフナが主導権を握っています。その理由はヨナタンの死です。ミハエルがすぐに呼び戻せと強引に求めたがためにヨナタンは亡くなってしまったようです。

ダフナに主導権が移っているとはいえ、映画が追うのは変わらずミハエルです。ミハエルの悔恨が描かれます。だだっ広い空間でフォックストロットのステップを踏むミハエルの母と老人たち、ヨナタンの遺品である漫画を眺めるミハエル、そこには父親である自分が、顔に黒いバッテンをされ、涙を流す姿が残されています。

あるいは、ヨナタンの語った「聖書」と「Playboy」の話は事実なのかもしれません。

 

ラスト、ヨナタンが乗る軍用車、車内からボンネット越しに荒野を真っ直ぐに伸びる道をとらえたカットが続きます。

 

戦争が身近にある国の映画だと思います。 戦争は父権的なるものの究極の姿ということでしょう。

 

正直なところ、個人的には苦手なジャンルの映画です。すべてに過剰ですし、思わせぶりですし、観念的ですし、押し付けがましく感じます。

 

戦争が遠い国のもの、それがいくら偽りであっても平和の国に暮らす人間には本当のところ理解できない映画でしょう。

 

レバノン (字幕版)

レバノン (字幕版)