500ページの夢の束

「スター・トレック」ファンであってもなくても楽しめるけど、現実を考えると重い

「自閉症を抱える少女ウェンディが500ページの脚本を届けるためハリウッドを目指す」(映画.com)と紹介されている映画ですので、正しく理解しているとは言えない「自閉症」自体を調べたほうがいいだろうとウィキペディアなど読んでみましたが難しいですね。

公式サイト / 監督:ベン・リューイン

映画の中で描かれるウェンディ(ダコタ・ファニング)の症状は、相手と視線があわせられない、他人と直接的な接触が出来ないなどのコミュニケーション障害、 日常の同一作業が出来ない(ので常にメモを取る)、パニック状態になりやすいなどで、映画の軸になっている「スター・トレック」への執着も、あえて言えば、症状と言えなくもないのでしょうが、言葉が適切であるかどうかわかりませんが、スタトレオタク以上のものはない感じです。

ウェンディには、姉オードリー(アリス・イヴ)がいます。母親は亡くなっており、オードリーが面倒を見てきたようです。映画の前半に、オードリーが子供の頃のビデオ(まさにビデオだったと思う)を見るシーンがあり、時々パニック状態になるウェンディをオードリーが一生懸命落ち着かせようとしていました。ちょっと突っ込ませていただきますと、あのビデオは誰が撮ったんでしょう?

映画の冒頭から、ウェンディは施設に入っています。その理由は、どうやらオードリーに子どもが生まれ、不安を感じて施設に入れたようです。

はっきりとは語られませんが、そのことをウェンディは捨てられたような感覚で受け取っているのではないかと思われますし、オードリー自身もウェンディのその思いを感じ、かなり思い悩んでいるように描かれています。

最初にネタバレしてしまいますと、この映画のドラマの軸は、ウェンディが「スタトレ」のシナリオコンテストに応募しようと、自分の書いた500ページのシナリオをサンフランシスコからロサンゼルスに届けるロードムービーなんですが、基本のテーマはウェンディとオードリーの姉妹愛です。

つまり、ウェンディが、自分が書いたシナリオを一番読んで欲しいと思っていたのはオードリーだったという物語です。それがわかるのはラストシーンです。

シナリオの締切は2月16日(だったと思う)必着です。14日に出せば間に合うということだったのですが、特別これという理由もなく、結局出せずに終わります。

見ている時は、何かドラマを作ればと思いましたが、今考えてみれば、ウェンディの「スタトレ」への思い入れは相当なものですが、それを理解しているものは誰もいない設定になっていましたので、これはこれ、極めて自然な成り行きだったんだなあと思います。

その夜、ウェンディは、シナリオを自分で届けようと決心し、愛犬ピートとともに施設を抜け出します。

現在は、施設での努力もあり、何とか「シナボン」店でアルバイトはしてはいますが、基本、ひとりでの外出も難しいウェンディですので相当の勇気だと思います。

当然、様々な障害やトラブルが待ち受けています。

何とか、バスターミナルでロス行きのチケットを買い、バスに乗り込みますが、そのバスはペット禁止、途中でばれて、辺りには何もないところで降ろされてしまいます。

廃墟のようなところで親切そうなカップルに出会います。しかし、気を許したところ、お金を取られ、iPodも盗まれてしまいます。

とぼとぼ歩いてたどり着いたコンビニのような店では、なけなしの小銭をだまし取られそうになります。

やっとここでいい人に出会い、そのバスに同乗させてもらいますが、そのバスが居眠り運転で事故って、ウェンディは病院行きになります。

当然、オードリーや施設の責任者スコッティ(トニ・コレット)は必死に探し回るわけですが、やっとここで探し当て、病院に向かいます。

ウェンディの怪我は大したことはなく、病院を抜け出します。しかし、その際に、大事なシナリオが空に舞ってしまい、そのほとんどを失ってしまいます。

ウェンディは、失った部分を手書きで書い綴りながら、バスでロスへ向かおうとします。でも、お金が足りません。運転手の目を盗み、荷物スペースに潜り込み、何とかロスまでたどり着きます。

ロスです。パラマウント・ピクチャーを探し求めて歩いていますと、警官に失踪者として見咎められてしまいます。逃げるウェンディ、追う警官。

ここで面白いことが起きます。「スタトレ」ファンにとっては無茶苦茶くすぐるシーンじゃないかと思いますが、警官のひとりが何だかよくわからない言葉でウェンディに語りかけるのです。「スタトレ」で使われている「クリンゴン語」という言葉とのことです。

ロードムービードラマとしてはこのシーンがクライマックスです。スタトレに詳しくない者にとっては新鮮ですし、おそらくファンにとってはニヤニヤしてしまうようなことじゃないかと思います。

ということで、オードリーやスコッティ(と息子)も合流、失われたシナリオは、スコッティ(と息子)が拾い集めて持ってきています。

パラマウント・ピクチャーズ。ここでも、ちょっとしたあれこれがあるのですが、とにかく応募は完了、ウェンディはひとつのことを自力で成し遂げます。

後日、選考の結果の手紙のナレーションをバックに、ウェンディがひとりでオードリーの家を訪ねます。庭にはふたりの思い出でもあるオルガン(ピアノ?)が置かれています(理由は省略)。ウェンディが鍵盤を叩いていますと、それを聞きつけたオードリーが子どもを抱いて出てきます。アプローチに座るオードリー。ゆっくりとオードリーの隣りに座り、その肩にそっと寄り添うウェンディ。

シナリオ選考の結果は落選。でも、ウェンディが一番読んでほしかったのはオードリーだったという物語です。

映画としては、ウェンディがひとつのことを成し遂げたことで何かが変わったような作りになっていますが、おそらく現実の自閉症ではそう簡単ではないとは思います。

それに、もう少し姉妹の決して平坦ではなかったことを描いてほしかったと思います。

原題は「Please stand by」。

「スター・トレック」でもよく使われている言葉らしく、意味は「そのまま待機」、ウェンディがパニックになったときにスコッティが繰り返していたのもこの言葉ですね。

何度か涙も滲むいい映画でした。

ダコタ・ファニングさん、こういう映画のほうが合いますね。あまり印象はないのですが、「ブリムストーン」を見ています。映画は無茶苦茶書いています。