悲しみに、こんにちは

ネタバレしていますが、言葉で言い換えることの出来ないネタバレに意味のない映画です昨年のベルリンのジェネレーションKplus でグランプリを受賞した映画です。ジェネレーションKplus と言いますと、児童・青少年向け映画部門 (Kinderfilmfest)ということなんですが、この映画、(多分)子どもが見て感情移入できるような映画ではないですね。むしろ大人が見てあれこれ考える(感じる)映画で、実際、今年のアカデミー賞外国語映画賞のスペイン代表にも選ばれています。

公式サイト / 監督:カルラ・シモン

で、映画の話の前に、上映劇場で、これはちょっとどうなんだ?ということがありましたので一言。(書いてみましたら一言では済まなかったです。そんなことはどうでもいいという場合は  まで飛んてください。)

この劇場は、予告編が流れている時には会場内をハーフくらいの明かりに落とし、本編が始まる前に完全に暗くする方法をとっています。で、2,3本の予告が流れた後、何枚か配給や製作会社のクレジット画面が続きましたので、あれ?本編かな、でも暗くならないなあ、まだ予告? と見ていましたら、上に引用した子供の顔が映し出されるじゃありませんか! あーあ、忘れているのかなあと、しばらく我慢していたのですが、一向に暗くなりません。今、動くのも周りに迷惑かなと思いましたが、放っておいたらこのままだなあと思い、席を立って係の人に知らせたところ、慌てて映写室へ入っていきました。

数分から10分くらいはあったでしょうか、気になって集中はできないわ、ちょっとだけとはいえ見逃しているわで、バルセロナのシーンはすっかり飛んでしまっています。

それにしても、こういう状態が起きるということは、本編が始まるところをチェックしないで映写室を離れてしまっているということだと思います。こういうのは、どうなんでしょうね?

で、実はこんなこと書く気はなかったのですが、上映終了後に何かアナウンスくらいあるのかなと思っていましたが、それもなく、小さな劇場ですので、帰り際にちょっと声がけくらいすればいいのにと思いましたが、それもなく、ということで、せっかくの映画の冒頭部分が飛んでしまったこともあり、さすがにむっとしたわけです。

  カルラ・シモン監督は、この映画が長編デビュー作で、ベルリンでは、同時に Best First Feature Award を受賞しています。

監督ご自身の体験、多分幼い頃に両親を亡くしたというそのことだと思いますが、その体験をベースにして撮った映画とのことで、下のフリダ6歳がそうです。そのフリダが両親を亡くして、バルセロナから、かなり田舎の山の中の一軒家で暮らす叔父(母親の兄?)夫婦の元で暮らすことになります。叔父夫婦には4歳のアナがいます。

この映画のすごいところは、カメラの目線が、大人でもなく、子どもでもなく、どちらにも等距離な感じと言いますか、ある一点からじっと見ているような目線なんです。それも、自分自身の体験だからといって子どもの頃を振り返るということでもなく、客観的と言いますか、思い入れのようなものを一切入れないで撮られている感じなんです。

ふと浮かんだのはミア・ハンセン=ラヴ監督、なんとなくカメラの視点が似ているように思います。

それにしても、上の二人が主役の映画と言っていいと思いますが、本当に自然な印象で撮られており、それだけでもすごいと思います。

物語自体はシンプルで、バルセロナのシーンは上のことですっかり飛んでいますが、叔父夫婦のもとで暮らすことになったフリダのひと月? ふた月?くらいが淡々と描かれるだけです。

原題が「Estiu 1993」(英題 Summer 1993)ですので、1993年の夏の出来事ということでしょう。

淡々とはいっても、いろんなことが起きます。フリダにとってみれば絶望的な状況です。両親を亡くし、優しい(甘やかしてくれる)祖父母のもとを離れ、住み慣れたバルセロナという都会から周りは木々しかない田舎に移り、叔父叔母とはいえフリダにしてみれば他人同然でしょう。

(ただ、バルセロナのシーンは、例によってどういうことが描かれていたのかわからない)

叔父叔母は何をしている人なんでしょうね? 本当に山の中の一軒家という感じだったんですが、生活の糧が何だったのかはよくわかりませんでした。それにしても、二人とも、フリダへの接し方が極めて自然で、特別気を使うでもなく、叱るとことは叱り、アナと全く変わりなく接していました。

それでも、フリダにとっては、環境の変化は受け入れ難いのでしょう、叔母マルガへは静かなる抵抗を示します。その逐一を言葉で表現するのは難しく、それこそがこの映画の良さですので見ていただくしかないのですが、こんなシーンがありました。

確か、フリダを医者へ連れて行く行き帰りのどちらかでしたが、車の中で、マルガが、不機嫌そうなフリダに、何が気に入らないの?と尋ねますと、髪型と答えます。マルガが櫛を出し直して、どう?と尋ねますが首を振りますので、じゃあ、自分でやりなさいと櫛を渡しますと、フリダは櫛を窓から投げ捨ててしまいます。

特別何の感情も感じさせないフリダの表情といい、怒ることなく櫛を探しに車を降りて探すマルガといい、あまりにもリアリティがあり、切なくなるようなシーンです。

4歳のアナはお姉さんが出来た気分なんでしょう、フリダになついでいき、良くないところまで影響されます。例えば、アナは靴紐を自分で結べるのですが、甘やかされてきたのでしょう、フリダは結べません。マルガは、アナは自分でできるのだからフリダも自分で結びなさいとしつけようとしますが、フリダは一向にやろうとせず、とうとうアナまでまねをして結べないと言い出す始末です。

ああ、そうそう、両親が亡くなったのはエイズを発症したからです。そのことが映画の中で大きく扱われているわけではありませんが、フリダが、なぜお母さんは死んだの?と尋ねるのに対して、ウイルスでと答えたり、町の人は、肺炎で亡くなったらしいと噂したり、フリダが子どもたちと遊んでいる際に怪我をし血を流していると、子どもの親が駆けつけてきて、さっと子どもを連れ去ってしまうとか、1993年という時代の HIVウイルスに対する反応が描かれています。

といった感じで、祖父母が訪ねてきた際には、一緒についていくといって聞かなかったり、アナを森の中に置き去りにしたり、川遊びをしている際に、アナが溺れそうになり、これはフリダのせいではないのですが、叔父エステバに強く叱られたりと、決定的な大事件とはいかないまでもいろいろなことが起きます。

そして、ある夜、フリダは家出しようとします。ひとり、夜道をとことこと歩いていきますが、結局、家の近くまで戻ってきます。マルガとエステバが家の前を右往左往している姿を見ます。フリダはとことこと二人の方へ歩いていきます。「暗いから明日にするわ」と家へ入っていきます。

こういうシーンがこの映画を象徴しています。抱き合って感動みたいなシーンはありません。

明日から新学期の夜、マルガと一緒に準備をしています。母親のことを何か話していたと思いますが、台詞は記憶していません。いずれにしても、何かつっかえていたものがひとつ取れたようなシーンだったと思います。

そしてラストシーンです。ベッドの上で、フリダとアナにパジャマを着せるエステバ、飛び跳ねるフリダに飛び跳ねちゃだめだと優しく言うエステバ、それでもやめないフリダ、真似をして飛び跳ねるアナ、いつしかマルガも加わり…

突然泣き出すフリダ。

あえて言葉で表現すれば、どんなにつらくて孤独だったんでしょう、ということだと思います。

ということで、ジェネレーションKplus のグランプリではあっても、より大人が何かを感じられる映画だと思います。

あの叔父夫婦の住まい、どこなんでしょう、興味があります。ジローナという言葉がどこかで出てきましたので、その近くなんでしょうか? 町のシーンはジローナなんでしょうか?

あの大きな頭の人形の被り物の祭りのシーンも生きていましたね。