菊とギロチン

シナリオと編集に難あり…

瀬々敬久監督の自主企画とか構想30年などという言葉がありましたので、どういうことなんだろうとググっていましたら、クラウドファンディングで資金を募っていた記事がありました。

やるなら今しかない! 7月7日公開 瀬々敬久監督入魂の『菊とギロチン』上映支援プロジェクト – クラウドファンディングのMotionGallery

プロデューサーの坂口一直さんと瀬々監督本人のメッセージがあり、ことの経緯がよくわかります。

公式サイト / 監督:瀬々敬久

これによりますと、ピンク映画の助監督をやっていた20代の頃にギロチン社のことを知り、中濱鐵の句「菊一輪 ギロチンの上に微笑みし 黒き香りを遥かに偲ぶ」にインパクトを受け、いつか映画にしたいと温めていた思いが今やっと実現できたということであり、なぜ今かと言えば、3.11後の今がギロチン社の時代、関東大震災後の時代にあまりにも似通っていることへの危機感からということのようです。

ギロチン社については確定された史実もありますので登場人物もすべて実在の人物だと思いますが、女相撲についてはすべて創作でしょう。なぜ女相撲なのかもクラウドファンディングのメッセージ記事にあり、井田真木子さんの『少女プロレス伝説』を読んだのがきっかけとあります。

という、この映画が作られた経緯のようなものやその意図には共感するところもあり、あまり否定的なことを書くのは憚られるのですが、やはりどうみても、映画としてまとまりを欠いていると思います。

一番の問題はリズムが良くなく、ああこのシーンいいなあと思っても、その良さが次につながっていきません。ワンシーンワンシーンはよくても映画全体としてひとつの流れが生まれてきません。

これは、「友罪」 でも同じことを感じており、おそらく瀬々監督には群像劇という志向が強いのでしょうが、どの映画でもあまりうまくいっているとは思えません。余計なお世話とは言え、もっとシンプルな作りにしたほうがいいように思います。

この映画でも、中濱鐵(東出昌大)と古田大次郎(寛一郎)の描き方が表面的なことばかりで一向に人物像や行動心理まで深まっていきません。まあそれが狙いなのかもしれませんが、無思想な「高等遊民」にしか見えません。やっていることがどれだけ浮世離れしていても、ああこういうことってあるよね、なんとなくわからなくもないよねなどと思えなければ、この題材を描く意味はないように思います。

結局、青春の熱情と絶望がないということじゃないでしょうか。

女相撲との関わりも、古田と花菊(木竜麻生)の恋愛感情を軸に進めようとはしているんでしょうが、ちらっと見せては他の話題にというつくり(編集)が、とにかくすべてを散漫にさせています。

中濱と十勝川(韓英恵)は、恋愛感情とはちょっと違ったところが狙いかとは思いますが、なぜもっと会話を入れないのか不思議です。こういうところを突っ込んでいかなければ、そもそも創作である女相撲との関係を入れる意味がよくわかりません。

正直、早く終わらないかなあと思っていたこともあり、あまりしっかり見られていないのかもしれません(ペコリ)。

64-ロクヨン-前編

64-ロクヨン-前編

 
64-ロクヨン-後編

64-ロクヨン-後編