そんなには褒めないよ。映画評

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「ウインド・リバー」(ネタバレ)アメリカの良心だとは思うけれど、現実は無理でも映画ならもう一歩前へ

映画としては、特に前半、ミステリータッチで隙なく進む展開は集中して見られますし、とてもよく出来ていると思います。ただ、この映画のテーマとなっている(かどうかも微妙)ものをどう捉えるかは結構微妙です。

 

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公式サイト / 監督:テイラー・シェリダン

 

映画の舞台は、アメリカ ワイオミング州のウィンド・リバー インディアン保留地(居留地)。

 

日本では「インディアン」(「インディアン嘘つかない」がか?)という言葉が「放送禁止用語」の名のもとにマスコミが自主規制をかけているらしく、この映画でも、字幕では(多分)インディアンは使われていなかったと思います。

それを「ネイティブアメリカン」と言い換えていたのか、省略して地名だけにしていたのかは記憶していませんが、いずれにしても、ヨーロッパから大挙して押しかけてきた(主に)白人が先住民族を狭い地域に追いやり、Indian reservation(インディアン・リザベーション)と名付けた地域に閉じ込めた、そのひとつ、ウィンド・リバーが舞台ということです。

 

雪深い山奥で女性の死体が発見されます。発見したのはFWS(合衆国魚類野生生物局)のハンターであるコリー(ジェレミー・レナー)、死体は、コリーもよく知る先住民のナタリー17歳です。

これは徐々に明かされていくことですが、コリーの娘エミリーも3年前に何者かに殺されて雪の中で見つかっており、そのことがコリー夫婦間で問題を引き起こしたのか、コリーは先住民の妻と離婚しています。

 

ナタリーには致命的な外傷はなく、裸足であることから何者かから逃げてきたと考えられ、その死因は寒さのために肺が凍って破裂したための窒息死です。

 

捜査のためにFBIから捜査員ジェーン(エリザベス・オルセン)がやってきます。しかし、殺人事件と認定できず、FBIからの応援は期待できません。ジェーンはコリーに応援を頼み、地元の警察ベン(部族警察長と訳されている)とともに捜査を始めます。

 

ということで、映画は、その地で先住民とともに暮らし、その土地を知り尽くしているコリーが中心となって事件を追っていく様を描いています。

 

ただ、ミステリーっぽい作りにはなっていますが、事件そのものは単純で、インディアン保留地には石油掘削場があり、その警備員のひとりとナタリーが付き合っており、ふたりでいるところを他の警備員たちに襲われ、ナタリーは裸足で雪の中に逃げ出し、付き合っていた警備員も殺されたというものであり、それらが明らかになっていく際にコリーの地の利や経験が生かされるというつくりになっています。コリーが、ナタリーの死因について検死を待たずに推察したり、スノーモービルの跡から掘削場が怪しいとにらんだりということです。

 

そしてラスト近く、掘削場でジェーンたち警察(ではないけど)側と警備員たちが対峙する場面、壮絶な銃撃戦になり、ジェーンも撃たれ、部族警察長たちも殺されてしまいます。警備員たちが、まだ息のあるジェーンに銃口を向けたその時、雪の中から銃声が響き、警備員たちが狙撃されます。訳あって別行動を取っていたコリーです。

 

その場からは警備員のひとりが逃げますが、と言いますか、映画的にはわざと逃し、その後、コリーが、その男を山の中で素足で放置し、ナタリーと同じ環境にして殺すという映画的おまけシーンがあります。

 

ということで、見終わってみれば物語としては単純ですが、クライムものとしてもそこそこ見ごたえはありますし、コリーをやっているジェレミー・レナーさんが内に怒りを抑えた抑制的な演技をしていてとてもいいです。

 

で、そのコリーの「怒り」が何に向けられているかということですが、当然、直接的には娘エミリーの死やナタリーへの暴行殺人(と同等)に対するものなんでしょうが、 コリーを演じているジェレミー・レナーさんの瞳には、アメリカ先住民の置かれている状況に対する怒りと言いますか、どうしようもないやるせなさのようなものを見ることができます。

 

つまり、脚本家であり、今回初めて監督をしたテイラー・シェリダンさんの思いがそこに現れているのだと思います。

 

こういうことです。

映画の中ほどに、事件の何かを知っているのではないかと、今はドラッグに溺れてドロップアウトしてしまっているナタリーの兄チップを訪ねるシーンがあり、コニーとの間でこんな会話があります。

チップが苦悶に満ちた声で「世界が敵に見える…」と絞り出しますと、コリーは「世界と戦うか、その感情と戦うかだ」と答え、さらに「自分はその感情と戦う」とぽつりとつぶやきます。

 

どうしようもない現状であってもその怒りを押さえ込んでいるということです。

 

映画の人物配置にもよく現れています。

殺されたナタリーの両親やナタリーやチップたち先住民がいます。チップたち若者には未来がなくドラッグに溺れたりしています。ナタリーたち年若い女たちは保留地の外からやってくる(おそらく)白人、それが父ほどの年齢であっても、彼らにある種未来を託そうとします。

ナタリーを死に追いやり、あるいはコリーの娘エミリーを殺したかもしれないのは、一体どこからやってきたのかも、どれほどの力があるかもわからない、さらに言えば征服者としての白人であるかどうかもわからない匿名の存在ということです。

 

戦おうにも、すでに敵が見えなくなっているということです。

 

そして、コリーはと言えば、先住民と共に生きてはいても、彼はFWSの政府職員でもあるのです。

 

本当のラストシーン、コリーとナタリーの父親が、あきらめにも似た表情でワイオミングの山々を見つめる後ろ姿で映画は終わります。

 

アメリカ人(だけではなく、もちろん日本には日本の問題があるという意味も含め)が、ああいい映画だったと終わってしまっていいのかという映画です。

 

フローズン・リバー (字幕版)

フローズン・リバー (字幕版)