軍中楽園

兵士と娼婦の悲恋物語、良くも悪くも追憶の彼方に…

公式サイトの画像やコピーをちらっと見て、軍人と娼婦の悲恋物語かなと予想して見に行きましたら、悲恋物語もあるにはあるのですが、全体としては、追憶の(やや)群像劇的な物語でした。


公式サイト / 監督:ニウ・チェンザー

ただ、(やや)群像劇的だとわかったのは中盤に入ってからですし、ああ、追憶物語なのねとわかったのもほぼ最後でした(笑)。 

思い込みで見てしまったというのもありますが、展開がもたもたしており、なかなか軸が見えてきません。群像劇に(やや)をつけているのも同じ意味合いですが、予想としては上の画像の二人が軸だろうと思っていてもなかなかそうはならず、結局、扱いの大小はありますが、三組の男女、ほぼ皆悲恋なのですが、それらの物語を軸にした兵士と娼婦たちの話でした。

1969年の金門島が舞台です。あらためて地図を見てみますと、ここですよ、ここ。映画の中では確か大陸から1.何キロとか言っていましたが、それにしても、蒋介石、よく持ちこたえましたね。

蒋介石が台湾に逃れたのが 1949年ですから、その20年後です。その間、幾度も一触即発の危機が訪れては、中国とアメリカのパワーバランスで全面戦争はまぬがれたという時代です。

ただ、さすがに20年の月日(だけじゃないけど)ということもあり、大陸からの砲撃シーンにしても、奇数の日は訓練だとか、いつものことよ的な鷹揚に構えたところもあり、常時緊迫した状態ではなかったのでしょう。

そんな時代ですので、島全体は要塞のようだったにしても、そこには軍隊が運営する娼館まであったようです。おそらく兵隊たちからの呼び名でしょう、それを「軍中楽園」と呼んでいたということです。

そこに、徴兵されたルオ・バオタイ(イーサン・ルアン)と友人(らしき) Chung Hua-hsing(Wang Po-chieh)が新兵としてやってきます。ルオは特殊部隊、Chungは補給部隊に配属されます。

特殊部隊の隊長はラオジャン(チェン・ジェンビン)、この部隊、多分海兵隊のようなものだと思いますが、訓練は厳しく、泳ぎが苦手なルオは落ちこぼれて「軍中楽園」を管理する 831部隊に移されます。

冒頭は厳しい訓練のシーンがしばらくありますが、ルオが 831部隊に移ってからはほぼ娼館が舞台となり、順番を待つ兵隊が娼婦を囃し立てたり、娼婦が兵隊をからかったり、あるいは娼婦たちのちょっとしたいざこざがあったりと、まあ言ってみれば、たとえ娼館ではあっても、そこにはそれ娼婦たちの生活があるみたいな、こうした場面によくある描き方がされています。

当然ながら、女たち皆、望んでそこにいるわけではないのですが、いいのか悪いのか、そうしたところへは意識がいかないように作られています。

で、その娼館で、男たち3人の脳内妄想物語が進んでいきます。

扱いの小さい方からいいますと、補給部隊に配属された Chungは、先輩たちからのいじめにあっています。娼館に来てルオに話しますがどうしようもありません。幾度か通ううちに、ある娼婦(名前不明)となじみ(かな?ちょっとニュアンスが違う)になり、一緒に大陸へ逃げようと誘い、ある日、娼婦の髪の毛を切り、兵士に変装させて二人で海へ泳ぎだします。

無事逃げおおせて泳ぎ渡れたかどうかは描いていません。公式サイトのキャストの下の画像、ベッドの二人です。

隊長のラオジャンは、故郷が大陸であり、今でも母はそこで暮らしています。特殊部隊ではルオを厳しくしごいていましたが、娼館で顔を合わせるようになり、母親のことや子供の頃のことを親しく話すようになります。

ラオジャンは(おそらく)孤独を感じているのでしょう、アジャオ(アイビー・チェン)という娼婦への思い入れが次第に強くなり、ついには、自分は除隊して餃子屋を開くから結婚しようと持ちかけます。

アジャオにしてみれば、男たちは皆、好かれたいがために、同じように結婚しよう、結婚しようと言ってくるわけで、ラオジャンもそんな男たちのひとりでしかありません。

ここ、見落としたのか流れがよくわかりませんでしたが、多分、ラオジャンはアジャオに結婚を約束させ、妊娠したと嘘を言わせ休ませていたのでしょう。ある日、アジャオが客を取り始めたことを見たルオは、思い悩んだ末、ラオジャンに話します。ラオジャンは、アジャオのもとに駆けつけ、かき集めてきた持参金(?)を叩きつけ怒ります。

アジャオ「結婚しても、毎日あなたの顔を見れば、ここのことを思い出すのよ!」

ラオジャンはアジャオの首を絞めて殺し、憲兵に逮捕されます。

その後、ラオジャンがどうなったかは描いていません。

ニーニー(レジーナ・ワン)という、どことなく気品を感じさせる娼婦がいます。ニーニーは自ら何枚かの札(何枚とノルマがあるらしい)を買い、あまり客をとりません。ルオと目があうなどの描写があり、次第にふたりは親しくなっていきます。ただ、身体を求めるような描写はなく、ニーニーがルオにギターや歌を教えたり、夜互いに合図をして部屋を訪ね話し込むなどの関係です。

そこにルオが欲望を抑えるなどの描写もなく、ごく自然にひかれ合っているという描き方がされています。ルオには故郷に結婚を約束した恋人がおり、互いに純潔のまま一緒になろうと約束しているようです。

ある日、ルオは、ニーニーが誰かに電話をしているところを目撃します。ニーニーに尋ねますが答えません。そんな時、娼婦のひとりがニーニーは夫を殺したとルオにささやきかけます。

ルオはニーニーを避けるようになります。そんな時に、 Chungやラオジャンの事件が起きます。そのどちらにも、ルオは自分がしたことやしなかったことへの後悔に苛まれます。

ニーニーはルオを優しく慰めながら、自分は夫の暴力に苦しみ、子どもが危険にさらされるに及んだために夫を殺したと語ります。

ニーニーとルオは親しさを取り戻します。ニーニーがこの娼館で働いているわけは、子どもと早く会いたいがために刑期を短縮できるということで、この仕事(?)を志願したのです。

そんな折、中華民国建国60年(だったと思う)の恩赦でニーニーが出所できることになり、この娼館を去ることになります。それまで抑えてきた情が極まったのでしょう、その夜、ふたりは互いを求め合います。しかし、まさにその直前、ルオは…、なんて言っていましたっけ、結婚するまで純潔でいたいから? 清くありたいから? まあそんなようなことを叫んで部屋を飛び出していきます。

笑っていいのか、なんだかよくわからないシーンなんですが、いずれにしてもニーニーをむちゃくちゃ傷つけますわね。そのように、つまり、のちにルオが後悔するように描いているのだと思います。

で、ニーニーは「軍中楽園」を去っていきます。二階の窓から見送るルオ、車の窓から見上げるニーニー、言葉にしますと叙情的過ぎますが、映画としてはあっさり描かれています。

で、エンディング、あの時代、こうした、人と人との出会いとつながりがあった(こんな感じ?)との字幕があり、大陸に逃げた Chungと娼婦のツーショット、ラオジャンとアジャオが子どもを抱いて自分の店の前に立つシーン、そしてルオとニーニーのツーショットがモノクロ映像で流れます。

ということで、それらすべて、ルオの後悔、もしあの時こうしていれば、あるいは、こうしていなければとの自責の念や悔恨の思いが追憶のシーンとして映像化されているということでしょう。

今の時代、こうした物語を描く、いわゆる立ち位置のようなものは非常に難しく、その意味では「追憶」として描くのは無難な選択であり、逆に言えば、いつか見た、ありきたりの描き方であり、特別興味を引くものではないということです。

映画的、映像的にも新鮮さはなく、たとえ美しくはあっても、新鮮さはありません。

モンガに散る スペシャル・エディション [Blu-ray]

モンガに散る スペシャル・エディション [Blu-ray]