そんなには褒めないよ。映画評

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「いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち」(ネタバレ)笑いのポイントがまるでわからない、私が悪いのか、映画が悪いのか?

上映前に流れる予告編も結構効力を発揮するもので、この映画、予告編を見て、これは面白そうと見に行ったものです。

ただ、その期待はしっかり裏切られましたが…(笑)。

 

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公式サイト / 監督:シドニー・シビリア

 

(日本の)公式サイトの「イタリアン・コメディの金字塔」のコピーはともかくとしても、この映画がコメディだとすれば、私がイタリア語を理解できないからなのか、私にコメディを見るセンスがないからなのかのどちらかです。どちらにしても私のせいということになってしまいますが(笑)、とにかく、笑うべきポイントがまるでわかりません。

 

結局、私の期待はおバカ系だったのに、そうではなく、風刺劇の色合いが濃い映画だったということのようで、その意味ではイタリア語を理解できないことが致命的だったのかもしれません。

 

とにかく、この映画、初っ端から言葉の洪水です。出演者が喋りまくります。一対一の場面でも、鼻を突き合わせて、手振り身振りを交えながら口角泡を飛ばす勢いで互いに喋りまくります。

あるいは、そこに笑いの要素があったのかもとは思いますが、ただ、およそ7,8割方入っていた観客の誰ひとりとして、その会話中にクスリとも笑っている人いませんでした。

 

字幕が悪かった?

 

で、後から知ったのですが、この映画、シリーズ物の二作目らしく、何と! 一作目の「いつだってやめられる 7人の危ない教授たち」が、他の劇場で同時公開(名古屋地区)されているではありませんか!?

さらに三作目も、すでに今年のイタリア映画祭2018で「いつだってやめられる 名誉学位」のタイトルで上映されたそうです。

 

そんなことも知らずに見に行ったのかと言われそうですが、それにしても、なぜこういう公開の仕方をしたんでしょうね? 配給の権利関係に何かあるのかもしれません。

 

とにかく、この二作目、一作目が当たったために作られた続編ということなんでしょう。その手の二作目ってのはなかなか難しいことの典型のような映画です。

 

一作目のあらすじを公式サイトから引用しますと、

神経生物学者のピエトロは大学での職を追われ、恋人に打ち明けることもできず、ふとしたきっかけで思いついた新しいドラッグを開発することを決意。自分同様才能がありながら不遇をかこつ研究者仲間を集めてチームを結成する。新開発のドラッグは大人気となり、大きな富をもたらすが、ドラッグ市場を牛耳るボスに目を付けられたことから、次から次へと予想だにしない事態が発生する。ピエトロとその仲間たちは事態の収拾に奔走するが…(公式サイト

ということで、こちらのほうが面白そうです。

 

おそらく一作目で、ピエトロ(エドアルド・レオ)以下何人かは逮捕され有罪になったのでしょう。この二作目は、服役中のピエトロが2歳くらい(かな?)の子どもを抱いた妻と面会するシーンから始まります。

 

で、そのピエトロが、スマートドラッグの蔓延に業を煮やす刑事から刑期を短くする代わりに摘発に協力しないかとの取引を持ちかけられ、件の7人に新しく3人を加えた10人で、ドラッグ30種+1種(?)を摘発していくわけで、その過程がドタバタ喜劇(と言うほどでもないが…)的に描かれ、晴れて出所と思いきや、最後にドジを踏んで再び逮捕されるという展開です。

 

その過程のあれこれも全く笑いのポイントがわからず仕舞いで、そもそも10人それぞれのキャラクターそのものが生かされておらず、まあこれは第一作目を見ていないからということは差し引いても、考えてみれば、この10人は何らかのスペシャリストであるはずが、全くスペシャルな描写もなく、単にギャグのためのギャグをやっているだけにしか見えず、とても笑える代物ではありません。 

 

ということで、後半、追加1種類(?)のドラッグの密造グループとのピル(?)争奪戦がこの映画のクライマックスとなっており、多少笑えるところがあったにしても、こんなハリウッドの二番煎じのようなことをやってもと思いつつ見ていますと、何と、ラストは、まるで三作目の予告編のように、次作はテロリストの闘いよと宣言して終わります(って、どういうこと?)。

 

ところがですね、見終わって、あれ? と思うのですが、この映画の最初のシーンのピエトロの子どもは2歳くらいなんですが、この映画のラストの時間軸は妻が出産するあたりなんです。

 

確かに、かなり早い段階で、「◯年前…」といった字幕が出ていましたので、過去の話をやっているということはわかっていたのですが、よくよく考えてみますと、冒頭の妻との面会のシーンの次のシーン、ピエトロが自分の部屋(?)に戻る途中で誰かに拘束され喉にナイフを突きつけられるシーンは、その後のシーンとは全くつながっていません。

 

ということは、こういうことでしょう。

まず、この映画の冒頭の妻との面会シーンと喉にナイフのシーンを現在としますと、この二作目の物語は、(子どもを2歳としますと)2年前の話ということで、この映画の中では冒頭の2シーンはまるで関係ないシーンということになります。おそらく、三作目はこの映画のラストから、この映画の冒頭のシーンまでということでしょうから、この映画は連続ドラマの1回分を見ただけみたいなものです。

 

ダメでしょう、こういう映画は。

 

と言うより、公開の仕方の問題になりますが、同時公開ならともかく、この中途半端な二作目だけを単独で公開するというのはあまりにも不誠実です。

 

まあそれも、この映画が単独映画としてのまとまりを欠いているからの話ではあります。

 

そもそもの映画化の発想が、不況の煽りを受けた研究予算の削減による学術研究者たちの苦境を生む社会状況の風刺だったとしても、この映画を見る限り、全くその意味合いは感じられず、一作目にそれがあったにしても、すっかり落ちちゃっている二作目だけを、さも「愉快!爽快!痛快!」なコメディとして売るのはやめていただきたい(笑)と思います。

 

それに、予告編を見た段階から気になっていたんですが、これってアイデアをオーシャンズ・シリーズから取っていますよね。オーシャンズのシリーズ三作ともまともに見たことがありませんので自信なくググってみますと、やはり「イタリア版オーシャンズ」などと書いているものもあります。

 

映画って、そうしたパクリとは言わないまでもアイデアをもらうことに意外と寛容らしく、まあオリジナルよりも面白くすればOKみたいなところがあるのかもしれません。

 

映画だけではなく、創作物、何でもそうでしょうが、オリジナルなものなんてそうそう簡単に生まれるものじゃないということだとは思いますが、とにもかくにも、これ、(単体では)あまり出来のいい映画ではありません(ペコリ)。