奇蹟がくれた数式

あまりにも内容がなくビックリ!

ケンブリッジ大学のハーディ教授役のジェレミー・アイアンズさん、先日「ある天文学者の恋文」を見たばかりです。

こういう知的な役が似合う俳優さんなんですね。

一方のデヴ・パテルさんは「マリーゴールドホテルで会いましょう」以来です。

監督:マシュー・ブラウン

1914年、ケンブリッジ大学のハーディ教授は、植民地のインドから届いた1通の手紙に夢中になる。そこには著名な数学者である彼も驚く“発見”が記されていた。ハーディは差出人の事務員ラマヌジャンを大学に招聘する。しかし、学歴もなく身分も低いことから教授たちに拒絶され、頼りにしていたハーディも公式を証明することしか頭にない。二人の友情を描く涙の実話。(公式サイト

などと、当たり障りのない話題から入っているのは、要は何も書くことがないからです(笑)。

ネタも知れている、こうした物語を、何の工夫もなく、ダラダラと上っ面だけでを描いていく薄っぺらい映画を撮ってどうしようというのでしょう。

などと身も蓋もないことを書いたのは昨日ですが、あらためて思い返してみますと、一番の問題は、数学そのものへの深入りを避けていることです。

ラマヌジャンが発見した(?)数式やら公式の意味あいがどの程度のものなのか伝わってきません。もちろん、公式を事細かに説明する必要があるということではなく、たとえば、ハーディの、ラマヌジャンが持ってくる公式を見た時のシーンをちょっと工夫すれば随分違ってくるように思います。ほとんどノートやらペーパーをめくって「すごい」みたいなシーンばかりで、そのすごさが伝わってきません。

映画のストーリーとしては、ラマヌジャンにひらめきに対して、ハーディはそれを証明しようとしているということのようですが、その証明過程の苦労やら悩みやらがほとんどありません。

ラマヌジャンとハーディの友情を軸にした感動物語にしたいのであれば、二人の間の対立や確執、あるいは文化の違いや人種間の不理解など、物語に深みを与える要素はいっぱいあるじゃないですか。

物語の要素としてあまりにもありきたりな、妻との別れや自身の病に頼りすぎです。

ラマヌジャンの母や妻が嘆いたり悲しんだりするシーンが「英語」というのは、この時代、はっきり言っていただけません。タミル語(でいいのかな?)を使うべきでしょう。

とにかく、今どき、こうしたステレオタイプの人物配置や設定では映画になりません。

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