ヴィオレッタ/エヴァ・イオネスコ監督

ロリータというよりも、監督自身が持つ過去の記憶、ある一時期の母の記憶を映像化した…

「ロリータ」、小説のタイトルではなく概念としてのロリータですが、ロリータは芸術なんでしょうか? ロリータアートなんて言葉もあるんですね。


1977年、実の母親が撮影した自分の娘のヌードという触れ込みで、フランスのみならずヨーロッパや日本でも大きな議論を呼んだ写真集「エヴァ(初版タイトルは鏡の神殿)」が発売された。この写真集はまたたくまに世界中で話題となり、アメリカでは「史上最年少でPLAYBOYに載った少女」ということでセンセーションを巻き起こした。日本でも80年代にブームが巻き起こり、写真展が開催され雑誌「BRUTUS」の表紙を飾るなど、少女エヴァと母親の写真家イリナは有名な存在であった。

写真集の発売から34年がたち、被写体だった娘のエヴァ自身が脚本を書き監督したのが本作。『ヴィオレッタ』(原題「My Little Princess」は2011年カンヌ映画祭・批評家週間50周年記念映画として上映された。(公式サイト

幸いにしてと言うか、この映画は意外にもロリータ目線が感じられない映画です。

なぜなんでしょう? 多分、映画の中のヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)に当たる本人エヴァ・イオネスコさんが監督しているからでしょうね。インタビューの中で次のように語っています。

母は私が4歳のときから写真を撮り始めたんだけど、まず(年齢に応じて)何人かの女の子に役を演じてもらうのは嫌だったの。初めての映画を3〜4時間の長さにはできないので。ルールを厳しくする必要があって、やっと歩き始めたばかりの子どもにヌードでポーズをとらせるなんて、とてもできなかった。それに、私がずっとやってきた裸でアクセサリーをつけた少女のような、いわゆるヌードについては隠しているの。私が撮る側に回ったとき、ハイヒールをはき、ガーターベルトを身につけ、開脚するような少女を演じさせることはできなかった。暴力だってもっと酷くできたかもしれない。映画のこういった側面を頭では理解できるけれど、実際に画面には映ってはいないの。私の限界はそこだった。自分の傷とは距離を置いているのよ。(Cinema Factory

写真家の母親アンナ(イザベル・ユペール)がヴィオレッタに「誘うような視線を」とか「体をのけぞらせて」とかそれらしきポーズを取らせるのですが、画自体はそれらしくあっても、いわゆる倒錯的な香りのするロリータとは何か違うなという感じがします。

宣伝では、アナマリア・ヴァルトロメイさんを「新たなフレンチロリータ誕生!」などと煽っていますが、どちらかというと清楚な美人タイプでロリータとはちょっと違う感じがします。上のインタビューにあるようにキャスティングにしても監督自身にいろいろ葛藤があったのではないかと想像します。

この映画は、「ロリータ」というよりも、エヴァ・イオネスコ監督が持つ過去の記憶、ある一時期の母イリナ・イオネスコの記憶を映像化したものなんだろうと思います。ある一時期というのは、それがいつかということではなく、この映画の中の母子関係は、一つのパターンが繰り返されるだけで全く変化しません。最初から最後まで母アンナに変化はありません。エヴァ・イオネスコ監督には母親がこう見えていたのでしょう。

ですので、正直、映画的にはつまらないです。インタビューで本人が語っているように、その時の本人の思いを描くにしても、あるいは母子関係を描くにしても、結局「私の限界」、映画監督としての視点を持てなかった限界を超えられなかったということでしょう。