眠れる美女/マルコ・ベロッキオ監督

尊厳死ではなく、むしろ愛という不可解なるもの

愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」のマルコ・ベロッキオ監督です。タイトルから川端康成の原作かと思い込んでいましたが、違っていました。イタリアで実際にあった出来事を元に、マルコ・ベロッキオ監督が書き上げたオリジナルとのことです。眠れる美女とは、事故で植物状態となってしまった女性をさしており、その尊厳死をめぐる裁判を軸に、3つ(かな?)の物語が同時進行していきます。


映画『眠れる美女』予告編

公式サイトなどで3つの物語とありますので、そう書きましたが、第一、第二、第三などとはっきりはしておらず、見終えた後でもそんな印象は持ちませんでした。むしろ、群像劇と言ってもいいくらいたくさんの人物がそれ相応の扱いで登場します。

たとえば、議員親子の第一の物語のマリア(アルバ・ロルヴァケル)が恋をするロベルト(ミケーレ・リオンディーノ)の弟や母親など、私には結構印象が強く、あまり説明がない分、突然去ってしまうことに、え?何だったの?と興味を持ってしまいました。また、第三の物語と書かれている植物状態の娘ローザ(物語の軸となっている眠れる美女ではない)に執着する大女優と息子や夫との関係描写も、内容の重さや濃さの割にやや中途半端で、掴みづらい部分が多く、第三の物語というほど一貫した印象は持てませんでした。

といった感じで、いろんな人物が、それもかなり重くて濃いい何かを抱えている人々が次々に登場してくる印象のまま後半まで突入してしまいます。なかなかすっと一本筋が通るみたいなすっきり感がやってきません。かといって、群像劇と言えるほどのアンサンブルも感じられません。

で、やっと後半、ああこれかなと思えるものがやってきます。公式サイトには第二の物語と書かれている医師パッリド(ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ)と薬物中毒の女ロッサ(マヤ・サンサ)の物語です。

ロッサは、薬物中毒であり、また自殺願望を持っています。薬物中毒と自殺願望というものが一人の人間の中で両立しうるのかどうか、それらについて何の知識もありませんが、何となく違和感を感じるのはさておき、二人の出会いは最悪です。ロッサは、たまたま出会った(多分)出勤しようとするパッリドにお金をせびり、くれようとしたお金だけではなく、さらに多くのお金を掠め取ろうとします。次の出会いは(なぜかは記憶がありませんが)病院内です。ロッサは手首を切って自殺を図りますが、パッリドがそれを押しとどめます。

そしてその後、パッリドは、眠れる美女ロッサが目覚めるのを自らの病院のベッドの傍らでひたすら待ち続けます。なぜ、そこまでパッリドはロッサに惹かれたのか、もちろん何の説明をありませんし、見ていても言葉で説明できるものなどありません。

ロッサの死への行動に尊厳死をむすびつけることには無理がありますし、むしろ「生」への希求の裏返しとして突発的な「死」への衝動があるようにみえます。あるいは、それこそが(もし尊厳死をテーマとして撮った映画とするならば)図らずもにじみ出てしまったマルコ・ベロッキオ監督の内なるテーマではないかとも思えます。「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」にも通じる「愛という不可解なるもの」とも言える…。

眠れる美女

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